第20話 偽りの抜け穴
翌朝、ブツンと照明が点灯し、モニターが明るくなった。
画面の向こうの安達は、どこか楽しげに微笑んでいる。
「おはようございます。昨日はお疲れ様でした。お部屋が綺麗になって私も気持ちがいいです。さて、今日から3日間ですが、私は少しここを留守にします。実は千葉のマンションの方に、警察から『お隣の若いご夫婦のことで、少しお聞きしたいことがある』と連絡が入りましてね。まあ、他にも色々と用事がありますので、3日ほどあちらに戻ります」
警察。
そのワードに、慎二と幸子の体が強張った。
安達はそんな2人の恐怖をあざ笑うように、エレベーターのボタンを押した。
「皆さんが退屈しないよう、お土産を置いておきます。500ピースのジグソーパズルです。一つは美しい日の丸のパズル、もう一つは真っ青な空に白い雲がポツポツと浮かぶパズルです。お好きな方を選んで、3日間で完成させてください。時間はたっぷりありますので、楽しんで下さい。」
ブツン、とモニターが切れた。
残されたのは、エレベーターで運ばれてきた2つのパズルの箱。
「おい、俺が日の丸をやるからな!」
慎二は安達が消えた瞬間、我先にと日の丸の箱をひったくった。
赤い丸という明確な目印がある分、絶対に楽だと思ったのだ。
「痛いっ、離してよ! どうせまた自分が楽したいだけでしょ!」
幸子が怒りをぶつけ、2人がパズルの箱を激しく引っ張り合った拍子に、ドンッとテーブルの上のペットボトルが倒れた。
キャップの開いていた飲みかけの水が、床にドクドクとこぼれ落ちる。
「あ……」
幸子が声を漏らした。
こぼれた水は、水たまりを作ることなく、ツーッと一直線に部屋の隅に向かって流れていく。
「……おい。なんだよこれ?」
慎二は顔を引きつらせた。水はかなりのスピードで傾斜を流れ落ちていく。
「水が流れていく……。この部屋、傾いてるんじゃないか?。手抜き工事か?…このままここにいたら、俺たちやばくねえか?」
その瞬間、慎二の脳裏に昨日の「床拭き」の記憶がよみがえった。
這いつくばって床を拭いていた時、天井の隅に不自然な継ぎ目(点検口)があるのを見つけていたのだ。
「幸子チャンスだ……! あいつが警察の相手で3日もいない今しかねぇ! 天井に点検口があった。あそこから脱出するぞ! どっか遠い島にでもフェリーで逃げて、名前を変えれば何とか生きていける! 手伝え!」
目を血走らせる慎二を、幸子は冷めきった目で見つめ、青空のパズル箱を床にぶちまけた。
「……あんた本当にバカじゃないの!? 外に出たら刑務所に決まってるじゃない。家だって売られてもうないのよ? どこに逃げるっていうのよ」
「とにかくここから出るのが先だろ!」
「嫌よ。あんたの好きにしなさいよ。私はこのパズルでもやるわ」
幸子は倒れたペットボトルを起こし、残った水を口元へ運んだ。
静まり返った地下室に、水をチョロチョロとすする、冷めた音が響く。
彼女はそのまま床にはいつくばり、死んだような目で真っ青なピースをパチ……パチ……とはめ始めた。
「……クソッ! だったら俺一人で出てってやるよ!」
慎二は掃除用の小さな脚立を引きずり出し、天井の点検口の真下に立てた。
3度傾いた床の上でも、脚立はしっかりと接地している。
(あいつのミスだ。あんな抜け穴を残しておくなんて、詰めが甘いんだよ!)
そんな浅はかな希望にすがりつき、慎二は脚立を登り、天井のパネルに爪を立てた。
ハァハァと荒い息を吐きながら、必死にパネルをこじ開ける。
その真下では、幸子がチョロチョロと水を飲みながら、無心で青空のピースをはめ続けている。
「……っしゃあ! 外れたぞ!」
バキリと嫌な音がして、天井のパネルが外れた。
慎二は勝利を確信し、ギラついた目でその隙間の奥をのぞき込んだ。
だが、彼の視界に飛び込んできたのは、冷たくて分厚い、灰色の一面コンクリートの塊だった。
地下室の天井は、1階の基礎部分。土間のコンクリートだ。人間の素手や爪が通るわけがない、完璧な絶望の壁。
「……あ、あ、……嘘だろ……?」
慎二の口から、絶望のうめきが漏れた。
下では、幸子がパチ、とピースをはめる音と、水をチョロチョロとすする音だけが、虚しく響いていた。
続く




