第19話 終わった世界とぞうきんがけ
あくる日の朝。
ブツンと照明が点灯し、3日ぶりにモニターが明るくなった。
そこには、いつもと変わらない、おだやかな安達の顔があった。
「おはようございます。いやあ、少し体調を崩して寝込んでしまいましてね。2日間、何もない空間でゆっくりくつろいでいただけたと思います」
自分たちがどれだけ醜く、けだもののように過ごしたかを知っているのか、いないのか。
安達は何食わぬ顔でそう言った。
そして、まるで天気予報でも伝えるような、軽いテンションで言葉を続けた。
「そうそう、寝込んでいる間にテレビのニュースを見たんですよ。あなた方の職場やご両親の家に、警察が血まなこになって踏み込んでいるそうです。お二人は今、強盗致死罪で全国に指名手配されていますよ」
本当は強盗致死罪なんかではなく、ただの詐欺罪だったが、安達は真っ赤なウソを並べ立てたのだ。
さらに、安達は何食わぬ顔で続けた。
「あなたたちのマンションの部屋ですけど、警察の調べが終わって競売にかけられてもう、他の人が買ったみたいですよ。」
「……は?」
慎二の口から、間の抜けた声がもれた。 幸子も顔を引きつらせ、震えていた。
強盗致死。
あの闇バイトで金をうばった老人が、自殺したからだけど、まさか強盗致死罪なんかになるなんて、考えてもいなかった。
しかも、もう帰る家すらない。
ここから逃げ出せば助かるかも。心のどこかにあったその希望が、音を立てて粉々に砕け散った。
外の世界にはもう、自分たちの居場所などない。
待っているのは逮捕と、死刑か無期懲役という破滅だけだ。
「さあ、今日からまた新しい教育を始めます」
モニターの横で、エレベーターが静かに降りてくる。
中には、空のバケツと、数枚のぞうきん、そして洗剤が置かれていた。
「この部屋も、毎日使っているんですから汚れるでしょう。明かりがついている間、家中をすみずみまで掃除してください。水は、お風呂場でくんで使ってください」
安達は、画面の向こうで優しくほほえんだ。
「いろいろとショックでしょうが、体を動かせば、少しは気もまぎれるでしょう。ここにいれば絶対に見つかることはないので、安心してください。」
ブツン、とモニターが消える。
あとには、絶望で凍りついた2人と、冷たいバケツだけが残された。
やるしかなかった。
「クソッ……クソがっ!…もう死にてぇよ…」
慎二は血走った目でぞうきんをわしづかみにし、幸子も無言で床にはいつくばった。
だが、掃除を始めてすぐに、2人はこの作業の本当の恐ろしさに気づき始めた。
立っている時でさえ気持ちが悪くなる3度のかたむきは、四つんばいになると、さらにじわじわと2人の神経と体力を削っていった。
劇的な負担があるわけではない。だが、平らな床なら何でもない作業が、常につま先や腕で「無意識のバランス」をとり続けることを要求してくるのだ。
滑りやすい洗剤と相まって、普段使わない変な筋肉が少しずつこわばっていく。
さらに、斜めになった床を至近距離で見つめながら動き続けているせいで、三半規管がおかしくなり、まるで船酔いのような嫌な吐き気が2人を襲い始めた。
ただのぞうきんがけが、じっとりとした拷問のように2人の体力を奪っていく。
昨日、自分たちがけだもののように交わった、その不浄な床。
外の世界のすべてを失った2人は、ただ荒い息を吐きながら、自分たちの汚れを自分たちの手でみじめに拭き取り続けるしかなかった。
指名手配の絶望の中、3度傾いた床を一日中ぞうきんがけさせられる。
夜、照明が消えて真っ暗な中、疲れ果てた2人は会話もなく、昨日交わった最悪な空気の中で泥のように眠った。
続く




