第14話 醜い本音と紙の耳栓
「鈴木さん、これは反省文ではありませんね。ただの言い訳です。……本当は『自分は悪くない、全部こいつのせいだ』と、心の底で相手を見下しているんでしょう?」
小型エレベーターから回収したノートをめくりながら、モニター越しの安達は冷酷に言い放った。図星を突かれ、慎二と幸子は言葉に詰まる。
「課題を変えましょう。お互いの許せないところ、クズだと思うところを腹を割ってノートに書き出しなさい。それができたら、温かいご飯を下ろします」
極限の空腹と、換気口からわずかに漂う出汁の匂い。
その動物的な誘惑に負け、2人は憎々しげに相手を睨みつけながらペンを握った。
「お前が見栄張って、フルスモークのアルファードなんか欲しがるからだろ!ばか」
「あんたが甲斐性なしで、くだらないプライドばかり優先するからでしょ!闇バイトなんかに手を出すから、こんなことになったんだ。馬鹿じゃないの?」
今まで「夫婦」という殻でごまかしていたドロドロの感情が爆発する。
ノートに書きなぐるだけでなく、口汚く罵倒し合う2人。
3度傾いた床の上で、長年連れ添った夫婦の絆は完全に音を立てて崩れ去った。
辛うじて2人は温かな食事にありつけたのだ。
「素晴らしい。では、その醜い心と向き合いながら休んでください」
安達が満足そうに微笑むと同時に、部屋を照らしていた古びた照明がブツンと嫌な音を立てて消えた。
完全な漆黒。
そして、天井のスピーカーから『カチッ』と不規則なメトロノームの音が鳴り始める。
極度の緊張とストレスで、幸子の胃腸が限界を迎えた。
「……トイレ」
暗闇の中、幸子が手探りで引き出しを開け、1本しかない懐中電灯を掴み取った瞬間、不規則な音に怯えきった慎二が半狂乱になって飛びかかった。
「おい! 俺をこんな真っ暗な中に1人で置いていくな!」
「離してよ!もう… 漏れちゃうでしょ!」
たった今、お互いのクズな部分をノートに書きなぐり合ったばかりの2人が、たった1つの光を巡って床を転げ回る。
だが、切羽詰まった幸子の執念が勝り、彼女は慎二を突き飛ばしてトイレの個室に駆け込んだ。
便座に座る幸子を、赤い光を放つ監視カメラが天井から冷たく見下ろしている。
荒い息を吐きながら、幸子はそのレンズを力強く睨み返した。
そして、カメラの死角になるように体をわずかに捻ると、トイレットペーパーをガラガラと多めに巻き取り、素早くズボンのポケットにねじ込んだ。
部屋に戻ると、懐中電灯の光の先で慎二が頭を抱えてうずくまっていた。
不規則に鳴り響くメトロノームの音に、神経が擦り切れる寸前だった。
幸子は無言で懐中電灯を消した。
再び訪れた漆黒の闇の中。
忘れた頃に、カチッ、カチッという不快な音が鼓膜を叩く。
幸子はポケットからくしゃくしゃになったトイレットペーパーを取り出すと、それを手探りで半分にちぎった。
「……ほら」
暗闇の中で、幸子は慎二の震える手にその半分を乱暴に押し付けた。
「……なんだよ、これ?」
「耳に、突っ込むのよ」
いがみ合い、互いの尊厳をズタズタにした直後。
それでも、この地獄の中で共に生きているのはこの2人だけだった。
3度傾いた冷たい床の上で、2人は不格好に丸めたトイレットペーパーを両耳にねじ込んだ。
音は完全には消えない。だが、そのほんの少しの静寂と、暗闇の中で分け合った紙の感触だけが、2人を完全な狂気からギリギリのところで繋ぎ止めていた。
続く




