第四章
俺が入社したのは、横浜に本社のある西横部品株式会社という自動車部品メーカーだった。西横部品の当時の野球部は、都市対抗にもときどき出場していたものの、決して強豪と言われるようなチームではなかった。しかも、投手陣の大黒柱であった選手が三十歳を過ぎ、俺と入れ替わるように引退したばかりだった。投手力が著しく弱体化しているのは誰の目にも明らかだった。
ただ、現実は厳しかった。後からわかったことだが、同じ声がかかるにしても、それなりのチームからしか俺には声がかからなかったのだ。都市対抗の常連と言われる他のチームは、俺以外の別の有力な投手に声をかけたのだろう。もしかすると、西横部品だって狙った投手を採り損ねて、やむなく俺の獲得に方向転換したのかもしれない。それが俺に対する正直な世間の評価だったのだと思う。
しかし、それは俺にとっては願ったり叶ったりのチーム事情だった。どんなに弱いチームでもいい。とにかく自分がエースになれるチャンスがあるのだ。二番手の投手と言われるのはもう御免だ。俺は強くそう思った。そういう立場にならないとわからないことも多い。そういう立場になってこそ見えてくる景色もある。立場が人をつくるという面だって否定できないのだ。そして俺は大学時代以上に練習に励もうと心に決めた。プロの世界に入ることができるのなら、どんな厳しい練習にも耐えられると思っていた。
三月末ともなると、あちこちに桜が咲いた。西横部品野球部のグラウンドは横浜の郊外にあった。外野の芝は荒れていてあまり手入れが行き届いていなかった。ところどころ芝生が剥げていたり、スパイクで掘られた大きな穴が目立ったりしていた。野球部の寮はグラウンドに併設されていて、二人一部屋だった。
部屋の相方は三歳年上の郡司という小柄な先輩だった。内野の控えをしているらしいが、内野ならどこでも守れるユーティリティプレーヤーらしい。地味な位置づけだが、チームに一人いるとありがたい存在なのだろう。口数が少ない男で、それでも新入部員の俺に対して気を遣っているのはよくわかった。
「仙道君は期待の星だからね。頑張ってもらわなくちゃね」
郡司はときどきそんなふうなことを呟いた。本心でそう言っているのか、嫉妬心から言っているのか、判断しかねるような暗い呟きだった。
「そろそろ都市対抗にも出場しないとね。このままじゃ監督の首どころか、野球部の存続にも関わるからね。仙道君の力で何とかしてもらわないとね」
郡司はそんなことも言った。いつもとつとつとした喋り方で、俺は自分が励まされてるのか馬鹿にされてるのかよくわからなかった。そういえば、俺がまだ大学二年や三年のとき、すでに自分の野球人生を見切ったような先輩が何人かいた。高校時代はそれなりの選手だったのだろうが、大学になってポジション争いに敗れ、レギュラーになる見込みを失った先輩たちだった。ポジションは限られているわけだから、そういう選手が一定数出てくるのは致し方ない。相手チームと戦う前に、まず同じチーム内の競争に勝ち残らなければ試合には出られない。だが、レギュラー争いに敗れたからといって、すぐに退部する者などそうはいない。四年の最後の大会が終わるまでは控え選手としてチームに残ることになる。そのときに控え選手は二つのグループに分かれる。完全に白けてしまい不平不満に埋没してしまう選手と、レギュラーになれなくても何かしらの形でチームに貢献しようと頑張る選手だ。ベンチからの大きな声出しを率先して行う選手や練習の準備や後片付けを進んで引き受ける選手だ。
実際にチームに合流してみると、それほどレベルの高い選手がいないことは俺の目にも明らかだった。長打力のある選手はほとんどいない。これではスモールベースボールに徹するしかないが、かといって足の速い選手が揃っているわけでもない。守備力はごくごく標準レベル。投手陣を見ても、自分より遥かに実力が劣るのは明白だった。右投手も左投手もスピードはないし、変化球といえばスライダーぐらい。カーブやフォーク、チェンジアップといった変化球はどうしても習得に時間がかかるし、いくら練習してもものにできるかどうかはわからない。コントロールだってそれほどいいというわけでもない。アバウトにストライクを取ることはできても、コーナーぎりぎりに投げ分けるほどの力はない。これでは相手打線の一巡目はごまかせても、二巡目以降は確実につかまるだろう。
すぐにこのチームのエースになれるだろう、俺はすぐにそう確信した。実際、監督やチームメイトの俺への接し方を見ていてもそれがよくわかる。まだ新人だというのにまるで先輩に対するかのような態度だった。中には敬語で話しかけてくる奴もいる。俺に媚びたところで何かいいことがあるわけでもなかろうに。
俺はどこかで同じような雰囲気を感じたことがあると思った。そうだ。道城大学での福山に対する接し方とそっくりだ。入部したばかりの頃はそうでもなかったが、福山がすぐに頭角を現すと、チームメイトの福山に対する態度は明らかに変わっていった。リスペクトという言葉で表現していいのかどうかわからないが、とにかくそういう態度で接しなければならない選手だとみんながそう思っていた。そうか。福山はこういう雰囲気の中でずっと練習していたのか。周囲から持ち上げられ、気持ちよく練習できるといえばできるのだろうが、一面それがプレッシャーにもなり得る。常にチームの模範としての言動が求められるような圧迫感がある。本当はそこまでのことではないのかもしれないが、自分で自分にそうプレッシャーをかけてしまい、下手をすると身動きできなくなってしまいかねない。
西横部品の入社式で、俺は新入社員代表として決意表明をさせられた。
「とにかく元気よく、大きな声でね。社長も来られるんだから」
そう言う人事課長を横に、俺は何度も練習をさせられた。もちろん俺は悪い気はしなかった。原稿は自分で書かずとも人事部が用意してくれた。俺なんかに書かせようものなら、何日かけてもろくな文章も書けないだろう。もともと大学でも勉強なんかほとんどしていなかったのだから。人事部が用意してくれた原稿には、ご丁寧にすべての漢字にふりがなまで付けてくれていた。
入社式の大人数の前でも俺が緊張することはなかった。高校時代から大きな試合でも投げてきたのだ。そういう度胸だけは身についていた。
「仙道君、よかったよ。実によかった。さすがだね」
入社式が終了すると人事課長が近寄って来て嬉しそうにそう言った。
西横部品の社内報では、社長と俺の対談の様子も大きく取り上げられた。期待の新人選手ということで異例の扱いだったに違いない。対談当日、会場の応接室の中では多くの社員が忙しそうに準備に追われていた。俺は新入社員にもかかわらず、それを手伝うわけでもなく、それを横目にただ社長をじっと待っているだけだった。
「おう、準備は万端か?」
まだ若い野球部の監督までが心配そうにその姿を見せた。道城大学の監督はもう還暦が近かったが、西横部品の監督はまだ三十代後半だろう。引退してすぐに監督に抜擢されたのかもしれない。
「とにかく粗相のないようにな。新入社員の代表であると同時に野球部の代表なんだからな。さすがは野球部と言われるように。頼んだぞ」
監督はそう言ってそそくさとその場を後にした。監督は何のためにわざわざ顔を出したのか? 心配は心配なんだろうが、俺だって子どもじゃない。
ほどなく社長が会場に現れた。高そうなスーツであることはこんな俺にもすぐにわかった。白髪には綺麗に櫛が通り、靴も一点の曇りもなく磨き上げられている。
社長は屈託のない笑顔で俺に握手を求めてきた。社長には時間がなかったのだろう。すぐに対談は始まり、広報の若手社員が熱心にメモを取っていたが、事前にほぼシナリオはできていた。たかだか十五分程度で対談は無事に終了した。
「さすがに緊張したでしょう? 社長と一対一で話ができるなんて機会は滅多にないですもんね」
広報の中堅社員が俺にそう言った。
俺には正直よくわからなかった。社長といわれても俺にはほとんど関係のない存在だ。偉い人なのは間違いないだろうが、俺はほぼオフィスには顔を出さず、本社ビルからは遠く離れたグラウンドで毎日野球をしているのであって、社長としょっちゅう顔を合わせるわけでもない。ましてや仕事上で報告に行くようなこともない。だから、社長と話をするといったって緊張するはずもない。俺にとって実感を持って偉い人と呼べるのは、いつも野球部の監督だけなのだ。しかも、その監督とてまだ若く、俺に気を遣っているのがよくわかった。
しかし、驚いたのは後日社内報を実際に目にしたときだった。
「野球も仕事も真剣勝負」「チームワークはすべてのベース」「最後まで諦めない気持ちが逆転を生む」
そんな話は対談本番では一切出なかったはずだ。にもかかわらずこのやり取りは何だ? しかも、この俺が話したことになっている。
「一所懸命頑張ります」「一日一日の積み重ねが大事だと思います」
俺が喋ったのはせいぜいそんなことだ。対談での俺の発言はことごとく修正され、ほとんど俺の言葉ではないものに塗り替えられていた。恥ずかしくなるぐらい青臭く、若者らしい元気溢れるきれいなコメントに書き換えられていた。会社恐るべし。これが会社というものかと俺は初めて思い知らされた。改めて写真を見たとき、それでも少しは緊張していたのだろう、少し引きつった俺の笑顔が実に不自然だった。俺は苦笑せざるを得なかった。
いざシーズンが始まると、俺は既定路線としてエースとしての役割を任された。初めての練習試合は、昨年の都市対抗にも出場した強豪相手だった。その日はなぜか絶好調で、どの球種もコントロールがよかった。外角低めぎりぎりにストレートでストライクを取ると、二球目はスライダーでファウルを取り、三球目は高めのストレートで空振りを誘うか、それを振ってくれなくても四球目でフォークの空振り三振。
そうでなければ、まずはスライダーで初球のストライクを簡単に奪い、二球目は球速を落とした縦割れの大きなカーブ。予想していない打者はただ見送るだけだからあっさりとツーストライクにこぎつけられる。大きなカーブの後にフォークを投げると打者にはストレートに見えるから、あっさり空振りをとって三球三振。
その他の配球パターンだってある。初球にカーブ。初球に遅い球を待っている打者はまずいないから簡単にストライクが取れる。二球目はフォーク。見逃されたってかまわない。この打席は変化球攻めという印象を打者に植え付けることができさえすればそれでいい。その後は最後までずっとストレート。打者の裏をかけば二球目か三球目のストレートで詰まってくれる。その日はこんな調子で何もかもがうまくはまった。俺は七回までヒット二本、四死球一つ、無失点という内容で初戦を締めくくった。
初戦で強豪相手に見せたこのピッチングはチーム内に強烈な印象を植え付けた。やはり期待どおりのルーキーだという評価はわずか一試合で定着した。
その後の試合では、初戦のようにエースらしい投球で見事に勝利することもあれば、調子は悪くないにもかかわらず、なぜか相手打線に打ち込まれて完敗することもあった。実は、抑えるのも打たれるのも運次第と考えているところが俺にはあった。ど真ん中にストレートを投げたところで、打者が変化球待ちであれば見逃しのストライクになる。打つ気満々で少々のボールなら振ってくる打者が相手なら、ワンバウンドのフォークだって空振りしてくれる。それを駆け引きというのだろうが、たまたまといえばたまたまなのだ。結果なんて意外にそういうことで決まってしまう。必ずしも投手の調子で決まるというわけでもないのだ。
唯一投手の調子で変わってくるとすれば、それはコントロールだ。制球が定まらず、四死球を連発して自滅してしまう試合も何試合かあった。それも大学時代からの俺の持ち味だった。そんな日は、それを何とか修正しようと試みるのだが、それがうまくいったことなど一度もなかった。ワンバウンドが多ければもう少し早くボールをリリースすればいいのだろうが、その微妙な感覚の修正は簡単にできるものではない。意識すればするほどホームベースのもっと手前でワンバウンドする球になってしまう。逆に高めに浮いてしまうときは、もう少し指先に引っかけてボールを押さえるようにしなければならないのだろうが、そうしたつもりでもさっき投げた球と軌道は何も変わらなかった。そうした投手の感覚は、爪の先のわずかな感覚、いや、もしかすると指紋にボールの縫い目がどれほど引っかかるかほどの微妙なものだ。
しかし、いくら俺の調子が悪かろうとも、俺に代わる投手などこのチームにはいないのだ。俺はこのチームの中ではすでに絶対的なエースとして誰からも認められていて、俺の調子に賭ける以外にこのチームには選択肢がないのだから。




