第三章
福山の会見後、それからしばらくの間、俺はどこで何をして過ごしていたのかほとんど記憶がない。野球部の練習から解放され、急に時間を持て余すようになっていたのは事実だった。それまで練習ばかりで自由な時間などまったくなかった俺に唐突に突き付けられた目の前の膨大な時間。戸惑う俺には何もすることがなく、何をすればいいのかすらわからず、ただ無意味に過ぎ去っていく時間を困惑しながら傍観しているしかなかった。大学の講義に出席するわけでもなく、バイトに精を出すわけでもなく、おそらくただ漫然と街の中を歩き回っていただけなのか、あるいは卒業までは住むことを許された野球部の寮で一日中ごろごろとしていただけなのか、そのどちらかだったのだろう。
そんなある日、俺は突然野球部の監督に呼び出された。あとは卒業を待つだけの、ドラフト会議で指名漏れになったこの俺にいったい何の用があるというのだろう? そもそも俺は監督のことを全面的に信頼していたわけではなかった。起用法にも不信感があった。ピンチになっても福山は続投させたが、俺の場合は試合の後半で四球を一つ出しただけでも交代させられた。それが裏目に出てリリーフ投手が勝ち越し点を奪われるということも何度かあった。
すっかり葉を落としたケヤキに囲まれたグラウンドには、すでに選手の姿はなかった。俺は安物のコートの襟を立て、グラウンドを見下ろせる大学の一室に急いだ。三階の西の端の小さな会議室で監督は待っていた。
「おう、来たか」
監督は無精髭を撫でながら、俺の聞きなれたしゃがれた低い声を出した。もう還暦が近いはずだ。日に焼けた赤銅色の顔には深い皺が刻まれていた。西日で橙色に染まった部屋の中で、監督は静かに話を切り出した。
「仙道、お前にぜひ来てほしいという会社がある。そこで野球を続けてみる気はないか?」
「私に来てほしい会社?」
俺は監督の言っている意味が一瞬わからなかった。
「そうだ。社会人野球だ。お前の実力なら社会人でも十分通用するはずだ。お前をすぐに投手陣の柱にしたいとその会社は言っている」
そう言って監督は不自然に目尻を下げた。そんな表情はこれまでほとんど見たことがなかった。
「ぜ、ぜひやらせてください。野球ができるんであればどこの会社でも結構です」
俺は有頂天になってその場ですぐに承諾した。ほとんど無意識のうちにそんな言葉が口から出ていた。その会社がどんな会社で、どんな事業をしていて、どこに所在する会社かなど、俺にはまったく関心がなかった。ただ、野球を続けることさえできれば、どんなところでもよかった。自分にもまだ野球を続けるという道が残されている。野球を続けてさえいれば、またドラフト会議で指名を受けるチャンスが舞い込んで来るかもしれないし、そうなればまたあの福山と同じ土俵で改めて勝負ができるかもしれないのだ。
「おお、そうか。それはよかった。私の顔も立つというものだ」
俺の返事に監督も上機嫌になった。
「安定感さえ増せばお前のピッチングは十分通用するはずだ。そのためにはコントロールを磨くことだ。投げてみないとわからないというようなピッチャーはどうしても使いづらい。前回は素晴らしい投球をしたのに今日は四球の連発というようなことではベンチとしては困るんだ。お前はスピードもまずまず、球種だって豊富にある。あとはコントロールだけだ」
監督からの最後のアドバイスはおそらくそんなものだったと思う。しかし、そのときの俺の頭はもう遠くに行っていて、あまり記憶に残っていない。聞きようによっては嫌味なアドバイスだったかもしれないが、監督のことなどもうどうでもよかった。卒業すれば俺の監督でも何でもない。過去の人に過ぎない。媚びを売る必要もない。俺は新しい世界に行く。新しい世界で本当の実力を示してみせる。きっと見返してやる。




