第49話 逃亡
玄夜は、呆然と周囲を見回した。
太い柱が三本も折れている。
鋭い切り口は、夜哭で切り裂いた跡だ。
さらに、遠くを見ると、四人の部下達が、
それぞれ柱を凹ませたり、壁にめり込んだりしている。
これは、なんとなく憶えている。
夜哭の剣気で、凪払った。
徐々に、血の気が引くのがわかる。
大広間をめちゃくちゃにしたうえ、部下に
怪我をさせてしまった。
不味いことになった。
抜き身の夜哭をそっと鞘に納める。
むしろ、気を失った方がいいのか?
いや、それでは、教主の威厳が…
教主は、天でなくてはいけない。
決して、倒れないと父を殺した時に、誓ったのだ。
ぐっと、腹に力を入れて、何時もよりやや低めの声で...
「怪我をした者は、いるか?」
気まずい。
恥ずかしい。
「く、君上!!!お気づきになられましたか?!」
「………」
玄夜は、紛らわすように、咳払いを一つ。
そして、言った。
「………怪我をした者は、申し出よ。来月の給金で、銀子を増やそう。」
「く、君上。」
高要が、おそる恐る恐る訪ねる。
「まさか、それで無かったことにするつもりでは、無いですよね。」
「…………」
玄夜は、ふいっと顔をそらした。
柱にぶつかって、暫く動けなかった温如春は、
ようやく立ち上がった。
頭から流れる血が、痛々しい。
かけていた、眼鏡をくいっと直す。
にこっ。
いい笑顔で言った。
「…君上。元老院には、きちんと報告いたします。君上の衣装代で、柱を直すよう進言しましょう。」
玄夜は、苦虫を噛んだような顔をした。
奥歯を噛みしめ答える。
「………わかった。」
「がはははっ!君上、俺みたいにこれ一枚になったら、いいんじゃないか?一枚あげるぞ!」
玄夜は、内心ぞっとしながら、獅岳を見た。
虎の皮の腰布。
筋骨粒々の半裸の野人。
「……………」
少し考える。
…見なかったことにした。
「しかし、君上。夜哭の心魔が深刻になってきたようですね。」
朱香は、服についたほこりを払いなが言う。
「先代も、夜哭には悩まされていました。」
玄夜は、その言葉に金の目を細めた。
「………今回の心魔で、本座はその正体がわかった。」
「君上!本当ですか?」
「本当だ。」
俺の心魔の正体は、師尊への未練。
そして、沈七だ。
師尊への未練は、すぐに断ち切れるものではない。
俺自信も、断ち切りたいと思っていない。
…しかし、沈七の事は、すぐに解決できる。
沈七は、嘘つきで姑息な男。
どうせ、ろくでもない人間に違いない。
あの男の正体が分かれば、自然に興味がなくなるだろう。
「本座は、沈七を探る事にする。」
それを聞いた高要は、目を見開いた。
「君上、自らですか?」
「そうだ。本座の心魔には、沈七が関わっている、奴を調べる事が、心魔を克服する助けになる。」
「…はぁ、そうですか。」
高要は、ため息をついた。
玄夜は、その様子を見て決めた。
「高要。お前は本座についてこい。」
「……えっ!」
続いて、温如春に目を向ける。
「本座がいないあいだ、魔教を頼む。何かあったら、伝令蝶を飛ばせ。」
「拝命しました。」
如春は、両手を合わせ拱手した。
「朱香、獅岳。二人は、温如春を補佐してくれ。」
「拝命しました。」
「拝命した。」
二人は、揃って拱手した。
そのまま、玄夜は、黒衣を翻す。
四人に背を向け歩く。
扉から一歩踏み出した所で、顔だけ半分振り返った。
「後は、任せた。」
スタスタ
あっという間に、背中が遠ざかっていく。
高要は、はっとして、急いで玄夜を追いかける。
「君上!!まってください!」
……残された三人は、折れた柱、凹んだ壁、砕けた床を見て思った。
(((逃げたな。)))




