第18話 胡蝶の夢
数日後のとある朝。
沈七は鏡の前で固まっていた。
「・・・・・・。」
机の上に並ぶ衣。
白い中衣。
薄青色の外袍。
懐かしい。
昔、薬仙として生きていた時に着ていた衣と
似ている。
いや、もっと豪華だ。
高級品だ。
「・・・・玄夜。これは、私には似合わない。」
銀髪に灰青色の瞳だった薬仙とは違い、
今は黒髪黒目の平凡顔だ。
どう考えても、服に着られてしまう。
「いえ、師尊にとてもお似合いになります。」
「本気で言っているのか?」
「はい。」
そんな、期待した顔をされると、
断りにくい。
仕方なく、袖を通す。
着替えが終わると、椅子にすわらされた。
玄夜が櫛を持ち、私の髪をすく。
自分で出来るのに。
薬仙時代腰まであった髪も
、今は背中の中程までしかない。
だから、自分でも簡単に結える。
そう思いながらも、嬉しそうな玄夜に何も言えない。
暫くして、昔と同じように玉冠をつけられる。
上半分だけ結った髪型だ。
「師尊、やはり似合っています。」
・・・・・
鏡を見ると、平凡な男が豪華な着物を、着ている。
何処かの商家の三男みたいだ。
でも、まぁ。
玄夜が、喜んでるなら。
いいか。
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豪華な昼食を玄夜の部屋で食べた後、
沈七はついに切り出した。
「玄夜。私はそろそろ、夜陵城に帰ろうかと思う。」
「師尊!何故ですか?至らない所があれば、言ってください。」
「いや、私は平凡な料理人だから。お前の怪我が治ったのなら、ここにいる理由はないだろ。」
「師尊。実は、師尊の為に薬王閣を作りました。ぜひ、閣主になって下さいませんか?」
えっ!
たった数日で、そんなものを作ったのか?
「い、いや。私は・・・・」
「先日、新しく魔人となった15名も、薬王閣に配属されました。思い付く限り薬草や薬も集めてあります。」
嬉しいだろ?
とばかりに、ニコニコしている玄夜。
「ここにいる理由になりませんか?」
私は、本当はまた崑崙閣で働きたい。
料理を作るのが楽しい。
でも、玄夜の気持ちを思うと、断れない。
まぁ、薬学も好きだから。
今は、趣味みたいなものだけど、
別にいいか・・・・・
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薄青色の衣を着た師尊を見つめる。
優雅に、食事を取っている最中だ。
ああ、本当に美しい。
昔と、髪の色は違うけど、
落ちてきた髪を耳に掛ける姿も、
困ると、右手をぎゅっと掴む癖も。
本当に、帰ってきてくれた。
師尊に、薬王閣の事を伝えると、
驚いたみたいだが、嬉しそうに了承してくれた。
月影教にも師尊の居場所ができた。
これで・・・安心だ。
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沈七は翌日、薬王閣に顔を出した。
正直、どんな顔をしていけばいいのか分からなかった。
料理人として客に接するのと、閣主として人の上に立つのは全く違う。
こんな大勢の前に立つのも久しぶりだ。
だから――
薬仙だった頃の自分を思い出すことにした。
少し背筋を伸ばす。
表情を整える。
自然と声も落ち着いた。
「私は薬王閣主の沈七です。」
静まり返った広間に声が響く。
「これからは、皆さんの上司になります。」
十五人の新人魔人達が緊張した面持ちでこちらを見ていた。
周青の姿もある。
皆、予想していたのだろう。
恐ろしく厳しい薬師を。
あるいは、得体の知れない毒師を。
しかし目の前にいるのは、どう見ても穏やかな男だった。
「これから、あなた達は、私から薬学を学ことになります。分からない事があれば、遠慮なく聞いて下さい。」
沈七は少し考えて続ける。
「ただし。」
その瞬間。
空気が変わった。
穏やかだった瞳が静かに細められる。
ほんの僅かな変化。
それだけなのに背筋が伸びた。
「薬は、その用法用量を間違えれば、毒となります。一歩間違えば、人を殺します。」
「肝に命じて下さい。」
「勝手な判断で、誤った調合をしたら、私は許しません。」
ごくっ
何処からか、固唾を呑む音がきこえた。
玄夜は、その様子を遠くから眺めていた。
師尊が帰ってきた。
十三年前と同じ。
弟子だった頃と同じ。
真っ直ぐに伸びた背筋。
穏やかな声音。
誰よりも美しい所作。
薬学を語る時だけ宿る、静かな熱。
胸の奥が熱い。
苦しい。
もう二度と離したくない。
薬王閣も作った。
弟子も集めた。
薬も集めた。
これから必要なものは、何だって用意する。
だから。
もうどこにも行かないで下さい。
玄夜はそっと目を閉じた。
師尊は帰ってきた。
ようやく。
本当にようやく。
俺の元へ。




