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がん病棟の鍼灸師  作者: 中元信作


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第4話 このがん消してください

 鍼灸師が病院にいるとやれ詐欺師だのやれインチキだの現代医学のスタッフからよくからまれます。とかく鍼灸をはじめとする代替療法は現代医学から目の敵にされがちです。理由はよくわかりません。意外とライバル視されているのかもしれません。


 鍼灸に対する心ない批判に火を注ぐわけではありませんが、私は鍼灸師であるにもかかわらず病棟の入院患者さんにはほとんど鍼を打ったことがありません。

 と申しますのも、極端に衰弱し免疫力が極度に落ちている人の体に、たとえ小さな鍼先であったとしても傷をつけてしまうと感染症の恐れがあったからです。

 それに、入院患者さんはみんな動くのもしんどいから入院しているのに、私が鍼を打ちたいからといって仰向けになってくれ、うつ伏せになってくれ、横向け、さあ背中を出せとはとても言えません。

 それでは患者さんに何をやっていたかと言いますと鍼治療としては「てい(しん)」という小さな銀の棒を用いて服の上からツボを刺激していました。てい鍼がないときは手でツボを刺激していました。これで患者さんから詐欺師インチキと呼ばれたことはありません。効果をあげれば患者さんは納得してくれます。(心の中でどう思われていたかは神のみぞ知るです)。

 もちろん相手は終末期のがんを患った難しい患者さんばかり。ツボを刺激するだけでは効果をあげられないこともあります。そのため母の看病(本エッセイ第1話参照)をしている時から、良いと言われる手を使った治療法、例えば整体、カイロプラクティック、オステオパシー、リフレクソロジー、レイキ、などなどを片っ端から勉強し身につけていきました。帯津病院に就職してからも、あっちに名人がいると聞けば行って教えを乞い。こっちに天才がいると知れば行って患者のふりをして技を盗み、患者さんからこの療法が素晴らしいと聞けば勉強会に参加したりして、腕を磨き、使える技を増やしていきました。

 ある時点で、自分の手が技を身につけるためにいくら使ったかを計算してみたことがあります。ざっと見積もっただけで2000万円を軽く超えていて驚きました。それも交通費を除いての金額です。道理でひどく貧乏だったわけです。計算してみて初めて気がつきました。恐ろしいことに、あの時の貧乏は今もずっと続いています。


 さて、当然のことながらがんの患者さんが集まる病院で鍼灸師をやっていれば患者さんから「がんを消してくれ」と頼まれることもあります。しょっちゅうあります。

 私は患者さんの希望に徹底的に寄り添うことを信条としていたので、頼まれれば、結果は約束できませんでしたが「はい。わかりました。がんばります。」と気を引き締めて仕事を引き受けました。

 実際、がんの中には乳がんや舌がん、腹膜のがんのように体の表面やその近くにあるものがあり、それらは目についてとても邪魔なので消してしまいたいと患者さんのみならず私も思うことが多々ありました。

 ところが、私がどんなにがんばっても、がんを消すことに成功したことは、実のところ残念ながら一度もありません。2000万円の腕をもってしても帯津病院で働いた10年間、試みは悔しいことにすべて失敗に終わりました。

 希望が何より大切だとこのエッセイの前書きで偉そうに主張しておきながら希望を奪うようなことをここに書くのは本当に心苦しいのですが、悔しいけれど本当のことです。

 ただ失望するのはお待ちください。

 希望は常にあります。


 では、私が担当した患者さんにがんの消えた人が一人もいないかと言えばそうでもありません。時としてがん細胞が消えてしまった患者さんも確かにおりました。年に数人はいたと思います。

「不思議なのよ!何にもしてないのにこないだのCTで肺のがんが全部消えてたのよ!」

 あるとき、中年女性の外来患者さんがうれしそうに言いながら鍼灸室に入ってきました。

「何にもやってないって、毎週鍼をやってるじゃないですか!」

 この時ばかりは東京生まれの東京育ち、生粋の関東人の私も関西人ばりにツッコミを入れたのを覚えています。

 ただ、そうはつっこんでも私もこの女性患者さんとまったく同じ気持ちで、自分の施術ががんの消失に役に立ったとはまったく思ってはいませんでした。思いたいけど思えない。

 感覚的な話になりますが、実際に施術をしているとがんというのはどの人のものでもたいていみんな石のような印象を受けます。手や鍼を当ててみても冷たく反応がない、気が通らない、血の通わない無機質な感覚です。そんな石みたいなものが大きくなったり小さくなったりするのだから実に不思議です。ともかく、そのようなわけで私の手ががんに対して何らかの影響を与えたとはどうしても思えませんでした。まあ間接的には何かしらよい影響はあった、と信じてはいます。


 さて、告白をすると、患者さんのがんが消えたと聞いて私が喜んだかというと、正直あまり喜びませんでした。断っておきますが私は冷たい人間ではありません。病院で働き始めた最初の頃はとても喜びました。がんが小さくなったと聞くと患者さんと手を取り合って喜んだものです。

 それがだんだんと心が動かなくなったのは、私の知る限り、がんは消えても必ずと言っていいほど例外なく再び元に戻ってきたからです。うれしそうに鍼灸室の扉を開けてくれた先ほどご紹介した女性も2ヶ月と経たないうちにがんが再びCT画像の上に、前とほぼ同じか、何なら消える前より少し大きいくらいになって姿を現しました。だいたいみんなこんな感じです。

 そのため帯津病院で働き始めて数年が経つ頃になると、私は患者さんからがんが消えたとか小さくなったとか聞いても、まったく心が動かなくなっていました。

「そうですか。それはよかった。」

 私のリアクションを冷たく感じて嫌な気持ちになった人もいたに違いありません。

 では私の心もがんと向き合っているうちにがんと同じように気の通らない石のようになってしまったのか?

 それもまた違います。


 帯津病院で働き始めて数年が経つと、がんと健康はあまり関係がないのではないか、がんであっても健康になれるかもしれないとだんだんと気がついていきました。がんと健康は共存できる。これに気がつくと次第にがんの大小にはほとんど関心がなくなってしまいました。

 厳密にいえば、さすがに患者さんのがんが大きくなった場合にはやはり落ち込みました。それでも患者さんと同じくらいには落ち込みません。それはやはりがんと健康は共存できるとわかったからです。いわゆる「がんとともに生きる」と呼ばれる状態、時々耳にする「がんサバイバー」」を目指すようになりました。

「このがんを消してください。」

 と患者さんから頼まれて、

「はい、わかりました。がんばります。」

 と言いながら、実はがんは無視して健康を目指す。この意味で私は詐欺インチキと言われてもしかたありません。でも私はそのあと正直に言いました。

「がんは消そうとがんばります。だけどたぶん私には無理です。そんなことよりも、まず健康になることを目指しましょう。健康になるお手伝いは、たぶん誰よりも強力にできると思いますよ。」

 つい2、3日前にもテレビで余命数ヶ月と宣告された人が20年元気に暮らしている様子が放送されていました。こういう人は決して珍しくなく、同じように末期がんでありながら10年以上元気に暮らしている人が帯津病院の気功道場やロビーをうろうろしていました。この方達は医者や病院が間違えたわけではなりません。がんではない人をがんと誤診したのではないのです。みんな確かにがんでした。

 その証拠に、がんと診断されてから3ヶ月とか半年ごとに何度も検査しているのに、やっぱりがんはそこにいてしかも末期のままです。にもかかわらず、みんな健康な状態を維持したまま何年も普通に生活し暮らしています。

 帯津病院でがんの患者さんと向き合っているうちに、私の施術はこの状態、つまりがんとの共存状態を目指そうというふうに自然となっていきました。もともと鍼灸その他手技療法は病気を治すというよりもより健康になることを目指すものです。ですから鍼灸本来の目的を改めて自覚しただけともいえますが、がんはがんとしてひとまず置いておいて患者さんが健康になることに集中する。これを自覚することで私自身がんをあまり恐れなくなりました。どんなに難しく困難な状況にある患者さんのベットサイドにも堂々立てるようになりました。


 がんの治療、病気を治すのは現代医学の仕事。自分たち鍼灸師は患者さんが健康になるお手伝いをする。現代医学と鍼灸はライバルではなく競合もしない。病院の中でこう主張していれば、鍼灸は詐欺インチキだとからんでくるスタッフもいなくなると思いましたが、不思議なことに代替療法を目の敵にする現代医学スタッフは常に必ず一定数いました。やはり理由はよくわかりません。現代医学は意外と自信がないのかもしれません。

次回は、がんと共存ことについて経験や患者さんから学んだことを考察します。

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