表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
がん病棟の鍼灸師  作者: 中元信作


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/10

第3話 ワタシ、生きちゃダメですか?

 私みたいな鍼灸師を雇い自由診療を提供していたせいで帯津病院はずいぶんと世間からの批判にさられました。

 それはつまり「帯津病院は末期がんが治ると嘘をついて人の弱みにつけ込み、がん患者に高額な自由診療を売りつけてボロ儲けしている」というものです。    

 鍼灸師の立場からこの批判に反論させてもらいますと、批判は完全に的外れで、大いなる誤解に基づいています。

 まず後段の、高額な自由診療でボロ儲けしているという部分はこれこそ誤解です。私が勤務していた10年の間、帯津病院がボロ儲けしたことは一度たりともありません。それどころか病院は常に大赤字で火の車。O先生は銀行のみならず怪しい金貸しからも金を借り莫大な借金を抱え込み悩んでいました。人前ではいつも笑顔を絶やさない先生ですが、かわいそうに心中では借金をかなり苦にしていました。ただ一方でO先生は自分の医療に対する世間の批判はたいして意に介していませんでしたが。

 病院の赤字はひとえに私たちの代替療法、つまり自由診療のせいです。かわいそうなO先生。真面目な外科医なのに代替療法のせいで批判され、そのせいでさらに赤字まで抱えるとは。気の毒なことでした。

 例えば、病院が設定した私たち鍼灸の施術代は1回3,000円、びわの葉温灸1回2,000円。これは相場から言っても高額とは言えませんし、この料金だと私たちの人件費を払えば、うまくいってトントンくらいです。また病院自慢の漢方薬に至っては、当時希望する患者さんから月に3万円くらい頂いていたと思います。が、何しろ高価な生薬を中国から輸入していた上に、院内で専属のスタッフを雇い調合したり煎じたりもしていたので、およそ黒字にはなり得なかった思います。

 おまけに病院に来る患者さんは国の健康保険で処方される薬を使いたがらない人も多かったので、経営はいつも自転車操業、ボロ儲けのカケラもありませんでした。


 一方、批判の前段「末期がんが治ると嘘をついて」の部分につきましては、完全な誤解だとは言い切れない面もありますので、長い話にはなりますが説明させてください。


 医者から「あなたは末期のがんで、もう間もなく死にます」と言われた時、「はい、わかりました」と素直に自分の病気と死を受け入れ、残された時間を思い残すことがないよう有効に使い、しっかりと死の準備をしてから悠々とあの世へ旅立つ。そんな人がこの日本にどれくらいいるかは知りません。

 少なくとも帯津病院に来る患者さんは、医者から末期がんを宣告されても死を受け入れず「何があっても生きる」と決心した人とその家族がほとんどでした。

 そうやって厳しい状況でも生きようとがんばっている人に対し「滅多にないことだけど、がんも治ることもあります」としょっちゅう言っていたのは確かです。実際ごく稀にがん細胞が消失することは事実ですし嘘ではありません。ただ滅多にないことなので、そうやって患者さんを励ますことがおそらく私たちが患者さんに嘘をつき弱みにつけ込んでいると誤解された一因だと思われます。

 もちろん言うまでもないことですが、私たちが「この病院に来たらがんが治る」とか「私の鍼灸を受けたらがんが治る」などと言ったことは一度もありません。そんなことを一言でも言ったらそれこそ悪質な詐欺です。まさに人の弱みにつけ込んでいます。

 私たちは医師の診断を真剣に受け止め否定したことはありません。それでもなお生きたいとがんばる患者さんを支えるのが自分たちの使命であり仕事だと思っていました。


 あまり知られていませんが、一般に、終末期に携わっている医者や看護師は、自分の末期患者さんが生きる望みを持つことを極端に嫌います。このような医療者は、患者さんがほんのわずかでも生きる希望を持っているとちらっとほのめかそうものなら、目くじらを立ててその小さな希望を奪い取り、さっさと生きることを諦めて自らの死を受け入れるよう説得します。いえ、強要します。

 ある帯津病院の看護師は、生きようとがんばっている中年女性の入院患者さんの病室を、真夜中みんなが寝静まった時刻に訪ね、「あなたはもうすぐ死ぬのよ」とこんこんと言って聞かせ、患者さんを恐怖におとしいれました。翌朝、私が病室を訪ねると「昨日真夜中に死神が来たわ」とその患者さんは眉をしかめて教えてくれました。

 なぜ、医療者はそんなことをするのか。

 これからまたそのことについて書くと長くなるので、詳細は別の回に譲るとして、ここでは短くまとめると、生きる希望を持つことは結局終末期の患者さんを苦しめると彼らが固く信じているからです。

 終末期の患者が、ほとんど叶えられる可能性のない生きる希望を持てば、遅かれ早かれ必ず失望し苦しむことになる。どうせ人間はいつかみんな例外なく死ぬことになっているのだから、がんになって余命がわかった以上、生きる希望なんてさっさと捨てて死を受け入れる方が楽だし、なにより幸せだ。死の受容を迫る医療者の理屈を短くまとめるとこんな感じになると思います。

 それに対して私たち、O先生と一部の病院スタッフはあくまでも患者さんに寄り添い「治りたい」「元気になりたい」と希望を持っている人にはその希望が叶うように力を貸しました。

 この宇宙には無数の命が満ちあふれ、日常的に生まれたり死んだりしているけれども、それぞれの命は全宇宙でたった一つしかない唯一無二の大切で貴重なものです。「私」も「私の家族」も他に代わりのない宇宙でたった一つの存在。だとすればどんなに絶望的な状況だとしても生きようとするのはごく自然なことではないでしょうか。たとえ100万分の一しか生きる確率がないとしても生きようと努力して後悔することがあるのでしょうか?

 実際、ほとんど実現不可能な希望を持つことで結果、苦しんだり後悔したりする患者さんを私は一度も見たことがありません。その逆はあります。どんなに望み薄な希望でも、それを奪われて激しく苦しむ人を私はたくさん見ました。

 医療を提供する側から考えても、生きようとがんばる人を支えることは自然なことに思えます。対して、人から希望を奪い死を受け入れるよう努力することはとても不自然なことに思えます。それどころかむしろ異常なほど残酷なことに思えます。


 残念ながらO先生の作った帯津病院でありながら、患者さんの希望を大切にするO先生の考えに賛同するスタッフはごく少数派で、ほとんどの病院スタッフはO先生の考えには興味がなく、ただそこに仕事があるから就職した人ばかりで、おまけにみんなごく普通の真面目な人ばかりだったので、真面目に医療の一般常識に従った仕事をせっせとやろうとしました。つまり、よく考えることもなく患者さんからせっせと希望を奪っては当たり前のように死を押し付けていました。


 今回のエッセイのタイトルは、私たちの病院に入院していた40代女性の末期がん患者さんの言葉です。彼女は、ある若い医師との面談を終えた直後、入れ替わりで病室に入ってきた私に掴みかかり、泣きながらタイトルの言葉を言いました。

「ワタシ、生きちゃダメですか?生きようとするのが、そんなに悪いことですか?」

 10年以上も前のことですが、その言葉も、表情も、真っ赤に泣き腫らした目も、まだはっきりと覚えています。

 いったいどうしたのか患者さん本人に聞くと、医師から早く死を受け入れろと強く迫られたそうです。

 この医師はその後すぐに病院を辞めたのであまり覚えていません。おぼっちゃま育ちの真面目な青年で、どこかで勉強した緩和ケアを無批判に正しいと信じ込み、素直に患者さんにぶつけただけだったようです。患者さんとその家族から猛抗議を受けても、患者さんがなぜ自らの運命と死ではなく自分に対して怒りをぶつけているのか理解できないようでした。ナースステーションの丸テーブルに座りボカンと口を開け、味方する看護師から慰められていた姿をぼんやりと思い出します。

 「こんなひどい病院なんていられるか!」

 医師とこの医師を雇った帯津病院を激しく怒り恨んだ患者さんはその後すぐに退院し、数ヶ月後、亡くなったとご家族が電話で私に知らせてくれました。家族は夫とまだ中学生くらいのお嬢さんでした。

 電話でもご家族はお母さんを傷つけた医者にまだとても腹を立てていて絶対に許せないと言っていました。当然です。


「お母さんはとても強く立派な方でした。ご存命であればきっとすぐに立ち直ったことでしょう。どうぞお二人も、一日も早くお怒りを忘れ、お母様が生きてらした頃のように穏やかな心を取り戻してください。」


 もし今日再びあの家族から電話がかかってきて、まだ怒りが収まらないと言われたら、こう伝えたいと思います。もう二度と私のところへ連絡が来ることはないでしょうが。


 ただあの当時の私はまだ若くそんな達観したことは言えませんでした。私も家族と一緒に激しく怒り医師を激しく憎みました。

 こんな感じで感情の起伏激しく働いていたので、私の病院勤めがよくもまあ10年も続いたと我ながら感心します。


 それにしても、あれほど人を傷つけ恨まれる医療とはなんなのか?彼らはなぜそれが正しいと言えるのか。また耐えられるのか。私には理解できません。


 長い文章になりました。

 こうやって書いていると次から次へと様々なエピソードが思い浮かんできます。それをそのまま書いていると永遠に終わりそうもないので今回はここでいったん筆を止めておきます。

次回は、患者さんからがんを治せと頼まれた時の話を書く予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ