第12話 万策は永遠に尽きず
ひと口に鍼灸や手技療法と申しましても、そのやり方や流派は星の数ほどもあります。
帯津病院で鍼灸師として勤務していた頃、私がその星の数の中でどのような方法を用いていたかと申しますと、これがまたずいぶんたくさんの方法を採用していました。
星の数とまではいかないまでも、今私の住んでいる四国で畑を荒らし回っているイノシシの数は下らなかったと思います。
つまりけっこうな数です。
患者さんを傷つけない方法であれば、「これは良さそうだ」というものを手当たり次第に節操なく毎日の施術に取り入れていました。
これは帯津病院の先輩鍼灸師でその頃すでに池袋で開業していたU先生も同じで、よく二人で技の交換会をやったものです。
新しいもの好きは私の鍼灸手技療法に限らず、帯津病院の代替療法全般についても同様でした。私の師匠でもあり雇い主でもあるO名誉院長もまた手広く節操なく様々な代替療法を日々の治療に取り入れていました。
O先生は、業者がくれるサプリメントなどの試供品を疑いもせずに喜々としてまずご自分の口に放り込んでは試しておられました。
「まったくどこの馬の骨かもわからないサプリを次から次へと口にして、あーあ、先生に長生きは無理だな。」
と当時30代とまだ若かった私は思いましたが、とんでもない。
先生は90になられた今もご健在です。
ちなみに当時、先生のお気に入りサプリは納豆キナーゼでした。
「だったらサプリじゃなくて納豆そのものを直に食べたらいいじゃん。」
若い私は思いました。
この思いは今も変わりません。
私は鍼灸師なので、人は何かを食べることで健康になったり病気になったりはしないと思っています。
鍼灸師は食べることよりも出すことを重視します。
先生が長寿で健康なのは、毎朝気功や太極拳をやり体の中に老廃物、東京大学出身の先生の難しい言葉を借りるなら“エントロピー”を溜め込まないからだと思っています。
心身に滞りがないおかげで先生はいつもスッキリしたお顔をされていました。ただし腹は出ていました。
ところでなぜ、私たちは節操なく様々な代替療法を使ってきたのか?
これは鍼灸や手技療法などの代替療法に効果がないからしかたなく次々と効果のありそうな方法を探していたからではありません。
代替療法にはもちろん効果があります。もちろん全部が全部ではありませんが。
効果がある証拠に、帯津病院で働いている医師、看護師それに薬剤師までもが、熱発、頭痛、生理痛、激しい肩こり、ギックリ腰、寝違いなどに見舞われると、まず薬より先に鍼灸室に声をかけてきたものです。
「早く!中元さんを呼んで!」
病棟への階段を登っていると上から私を呼ぶ悲鳴が聞こえてきました。
それは朝、がんばって出勤してきたまではよかったけれど、あまりの生理痛の激しさにお腹を抱えナースステーションで座り込んでしまった看護師の悲痛な叫びでした。
他の看護師や医師が心配と好奇の目で見守る中、私の手はものの1、2分で彼女をスタスタと歩けるまで治してしまいました。
あの時の私は、見かけこそクールに振る舞ってはいたものの、内心では鼻の下が極限まで伸びきっておりました。
すぐに武勇伝を語りたがるのは鍼灸師の悪い癖です。改めます。
話がだいぶ横道に外れました。元に戻します。
“代替療法は新しいものほどよく効く”
この法則こそ、私たちが次から次へと新しい療法に手を出していた理由です。
この法則は、確かアメリカの研究家のアンドルー・ワイル博士もご著書で紹介されていたと思います。
確かにまったくその通りで、新しい施術方法ほど実によく効きました。
ただこの法則は別の角度から言い換えると、古い代替療法は効かなくなるとも言えます。
実はこれもまたまったくその通りで、新しかった頃は鋭く効き目のあった治療法も、やがて古くなるにしたがい効き目は落ちていきました。
そのため私たちは常に新しい施術方法を探し求め次から次へと取り入れる必要があったのです。
そこで心配になるのが、やがていつか新しい方法も尽きてしまわないかということです。
代替療法がいくら星の数ほどあると言ったって無限ではありません。調子に乗ってどんどん使っていったら、いつかは全部使い切り、万策尽きてしまうことになるのでは、と心配になります。
それが驚くことにまったく心配はありません。
この業界は本当に不思議で、新しい健康法や治療法の類が次から次へとどんどん生まれています。
人間の体はここ数万年、構造がほとんどまったく変わっていないというのに、新しい医学や代替療法は雨後の筍の如く次々と誕生し、なぜか絶えることがありません。
それに加えて、古くなり効果のなくなってしまった治療法も、しばらくみんなから忘れられていると、やがてまた復活します。
もう終わったと思われていた古い治療法もしばらくの間忘れられているとまた新しくなるのです。
こうなるともう星の数どころか、治療法は無限にあるとさえ言えます。
近頃また首の骨をバキバキ鳴らす手技療法が人気だと聞いています。
これは20年くらい前までとても盛んに用いられた療法でしたが、やがていつの間にか流行が終わり、最近までほとんど忘れ去られていた手技療法です。
どうやらこれが復活したようです。
「中元さんは首をバキバキ鳴らすのできます?」
「できますよ。」
「じゃあやってください。」
「いいですよ。でもその前に死んでも文句を言わないって一筆入れてください。」
こんな冗談混じりのふざけたやり取りを、20年の時を経てまたやることになるとは思いもしませんでした。
代替療法は同じ方法でも効き目が出たり消えたりする。
考えてみたら不思議です。
ちなみに効き目が復活するために必要な“忘却”は、世間だけではなく施術者本人や患者さんが個人的に忘れていただけても十分足ります。
ある朝気功のあとO先生が、
「昨日面白い男と会ったよ。なんでも胸鎖乳突筋をビンビーンと弾くだけで万病を治すって方法を開発したそうだ。どう思う?」
とうれしそうに聞いてきました。
「これは良いことを聞いた!」
と頭の中で電球がポンっと灯りました。
万病を治すのとビンビーンのことではありません。
そんなことはどうせ嘘とハッタリに決まっています。そんなどうでもよいことは置いておいて、大事なのは胸鎖乳突筋です。
胸鎖乳突筋は首の前側にある筋肉で、とても繊細な場所にあるためあまり他人が触ることはありません。
ところがこれが実は施術上とても重要な筋肉でして、ここをほぐすことで様々な症状を軽くできます。
私などは自分の頭痛や目の疲れをここ(とその奥の筋)を使って治します。
ところがその朝O先生から言われるまで、私はこの胸鎖乳突筋のことをすっかり忘れていました。
何しろ前述の通りここは普通他人に触わられて心地よい場所ではないので、普段施術に用いることはあまりありません。よっぽど症状の辛い人がいたら、切り札的に触れることがあるくらいです。
そのためすっかり忘れていました。
「これは良いことを思い出させてくれた。」
とすぐその日から臨床に使ってみると、これがまた案の定ものすごく良く効きます。
うれしくなって、そのことを帯津病院の先輩鍼灸師だった池袋のU先生に伝えると、やはり目を輝かせています。
「それで?そのビンビーンってどうやるんです?胸鎖乳突筋を弾くってどうやるんですか?」
「それは聞いてません。」
私が答えるとU先生はとても呆れた表情になりました。
「どうしてです?どうして胸鎖乳突筋の弾き方を聞かなかったのです?ビンビーンが気にならなかったのですか?」
U先生はとても不満そうで「直接O先生に聞いてみようか、いやO先生はもっと知らないに決まっている。あの人はそういう人だ。」などとブツブツ文句を言っています。(0先生の性格はU先生の方が私よりもはるかに付き合いが長いのでよく知っています)。
自分だって忘れていたくせに逆に文句を言われ、私も腹が立ちました。
「ビンビーンなんてどうだっていいじゃないですか!胸鎖乳突筋の溶かし方なら俺たち何十通りも知っています。どうしてビンビーンなんかにこだわるんです?」
「だって気になるでしょ!ビンビーンって弾くと、万病が治るんですよ。万病を治したくないんですか?」
U先生はとてもまっすぐな人で、他人の言うことをすぐに信じてしまう癖があります。いつか悪い人間に騙されてしまわないか心配です。
いや、たぶんもうすでに騙されていて本人は気づいていない可能性もあります。
それはともかく、
新しい代替療法は向こうからやってきてくれることもありました。
O先生は日本ホリスティック医学協会の会長もされていたので、様々な代替療法の研究者や実践家が先生の元に集まってきたからです。
「中元さん、この人はあなたの守備範囲だと思うから、話を聞いてみてくれませんか?」
O先生から内線をもらうと、すぐに鍼灸室のドアを叩いたのは中年の男性で、この方はがんを治す江戸時代の秘法をカバンの中に携えていました。
この方は、趣味か仕事かで江戸時代の文献を読んでいるうちに偶然その中にがんを治す秘術を見つけたのだと興奮しながら話してくれました。
文献によると、この方法を使えばどんながんも立ち所に治るとあり、その方はその効果になぜか絶大な自信を持っていました。
知り合いにその方法を試してみたところ、かなりの手応えを得た。しかし如何せん知り合いは健康でがんではない。そこで、この方法の真の効果を試すため体験モニターとして本物のがん患者さんを何人か紹介してほしい、というのが彼の訪問の目的でした。
ではその江戸時代の秘術とはどのようなものか?聞いてみますと、
※注意※
以下にご紹介する方法は、とても危険なので決して実践しないでください。万が一実践された場合、私は一切の責任を負いません。
まず10センチほどの大きさのモグサの球を数十個作ります。次に裸でうつ伏せに寝ている患者の背中に濡らした布を敷き、その上に作ったモグサ球を隙間なく敷き詰めてから、そのモグサ球全部に火を付けます。
当然ものすごい量の煙が出ます。
そこで、その方はお知り合いに試したときの写真を見せてくれました。写真に写っていたのはほぼほぼ全部煙で、他はほとんど見えませんでした。
その方はとても用意周到な方でしたので、大量の煙が出ても近所から一切苦情の出ない場所、万が一火災に発展してしまったとしても近隣に絶対延焼しない安全な場所をすでに借り上げ、そこでその秘術を行っていました。
そのため私の患者さんで体験モニターになっても良いという奇特な方がもしいらした場合、その患者さんは東京から北へ電車を乗り継ぎ2時間、たどり着いた最果ての無人駅からさらにタクシーを呼び1時間、遠い関東平野の田んぼの真ん中の打ち捨てられた掘立小屋まで足を運ぶ必要がありました。
裸の患者さんは、うつ伏せに寝たまま背中で巨大なモグサが燃え尽きるのを待ちます。ようやく燃え尽きると、再び同じようにモグサ球を数十個背中に乗せまた火を付ける。この工程を3度繰り返します。
そして背中が終わったら、今度は仰向けになりお腹の上に濡れた布を敷き、モグサ球をまた数十個乗せ火を付け、燃え尽きるまで待つ。そしてまた乗せ火をつける。これを繰り返すこと再び3回。
最終的に治療が終わるまで5、6時間はかかるとその方はおっしゃったと思います。
この方は、この荒行ともいえる治療法に帯津病院の公認がほしいともおっしゃいました。
これは丁重にお断りしました。
そもそも帯津病院に公認の治療法などありません。そもそもがんを治す確実な方法がまだこの世には存在しないのですから公認など出しようがありません。
江戸時代の秘術に強く魅力を感じながらも、申し訳ないのですが、私はモニター希望の患者さんを紹介するのもお断りしました。
濡らした布をかませるとはいえ、火傷なしでこの治療を終えられるとはとても思えなかったからです。
池袋のU先生だったら患者さんに「こんな変わった方法を持ってきた人がいました。興味ありますか?」と聞くくらいのことはしたかもしれません。
しかし私は患者さんに聞くことすらお断りしました。
藁にもすがる気持ちでいる人に、がんが治ると称する方法があると伝えることには慎重でなければいけません。ましてやそれがものすごい危険を伴う方法であるなら尚更です。
母がまだ生きていたとしたら、
私は母にこの治療法を受けさせただろうか?
やはり受けさせなかったと思います。
身体を温める目的なら他にもっと安全で効率的な方法がいくらでもあります。
だいたいいくら末期がんを治すためとはいえ、遠く虫だらけの最果ての地まで母を連れて行き、こんな恐ろしい治療を受けさせたとしたら、母は自分が死ぬ前にまず私を殺したことでしょう。
この治療法を持ってきた人は、私が何一つ首をタテに振らないのでものすごく不満そうでした。
「この方法がこの先がんを治すと証明された暁には、その時は私の方からそちらへうかがい、こちらから頭を下げて教えを乞います。」
そうお伝えすると、少しだけ機嫌を直してお帰りになられました。
彼とはまたいつか会いたいと願っています。
私が頭を下げ教えを乞う日を楽しみに待ち望んでいます。
ところで、私の知る限り、江戸時代にはがんという名前の病気はなかったはずです。東洋医学にもがんという病気はありません。
がんは現代西洋医学が作り出した現代医学に固有の病気です。
現代医学だけががんを診断でき、病院だけが私たちにがんのレッテルを貼ることができます。
そのため、以前にも書いた通り、私はあまりがんを相手にはしていません。
がんは現代医学の仕事。彼らに任せます。私たちは人が健康になる手伝いをします。
以前にも書いた通り、がんが消えなくても人は健康になれます。
様々な代替療法については帯津病院の患者さんからも数多く教わりました。
一時期病院で盛んに行われていたびわ灸や足浴などは患者さんが持ち込んできたものです。
たくさんの代替療法を教えてくれたことについては印象深い患者さんがいます。
この方は、部位は忘れましたが体のどこかが原発の末期がんを患っている初老の男性で、最初にお会いした時、驚いたことにこの方は明るく生き生きとされていました。
目なんてもう、キラキラと輝いていました。
末期がんを宣告されもなお本気で生き生きとしている方を、私はこの方以外に見たことがありません。まして男性ではほとんどありえないことです。
一般に男というものは気が弱く、がんなんて宣告されようものなら、その瞬間に全身から元気が消失するのが常です。
抗がん剤の副作用で髪が抜けたときにも、実は女性よりも男性の方がはるかに落ち込むとある女医さんが言っていました。
確かに言われてみれば、大手カツラメーカーの主な顧客は男性です。
ハゲハゲと互いに茶化し合うのも男性ばかりです。
しかしその方は末期のがんなのに元気に満ちあふれ颯爽としていました。
どうしてそんなに元気でいられるのか、不思議に思い聞いてみました。
なんでも、その方は元々大変な仕事人間で、若い頃から家庭も顧みず人生の大部分をずっと仕事だけに打ち込んできたそうです。
それが定年で仕事を辞めなければならなくなってしまいました。
「次におれは何をしたらいい?やりたいことも、やらなければならないことも、何にもなくなってしまった。生きる意味がなくなってしまったんだ。」
仕事がやりたい。でももう仕事はできない。
残されたのは絶望のみ。
死ぬまでただダラダラと時間が過ぎるのを待つだけの人生。
そんなときがんになった。
末期がんだと言う。
「これだ!と思ったね。」
男性の目にギラギラとした輝きが戻ってきました。
「おれはこのがんを治す。敵は末期がん。相手にとって不足はない。おれは命をかけてがんを治すことにした。これこそ神様がくれたおれの新しい仕事だ。」
この方はもう末期なので現代医学の三大療法の適応はありません。
そこで古今東西あらゆる代替療法や健康法を研究し、試してみることにしたそうです。
私のところに鍼灸を受けに来たのもその一環でした。
その方は日本中を旅して興味を惹かれたあらゆる代替療法を試し、月に一度私のところに来ては、その様子を事細かに教えてくれました。
施術中、他にもっと面白い療法はないかと私を質問攻めにすると、次に行くことになっている代替療法について楽しそうに話しながら鍼灸室から帰って行きました。
「それがどんなだったか、次の予約の時に教えるよ。」
「楽しみにしています。」
帰りしな、さよならの代わりにそう言って別れるのが私たちの常でした。
それが半年くらい続いた後、パッタリとこの方が鍼灸室に来なくなってしまいました。
予約をキャンセルしたい、次の予約はまた連絡します、との電話が事務にあっただけで、以来顔を見せなくなってしまいました。
やはり元気そうに見えてもこの方も末期のがん。私としてはどうしても悪い想像をしてしまいます。
がんの患者さんばかりの病院に勤めていれば、さようならを言えない寂しいお別れにも時として耐えなければいけません。
それからまた半年ほどが経ち、もう会えないと半ばあきらめかけてきた頃、その方がふらっと鍼灸室に現れました。
「どうしました!」
こっちは再会ができてとても喜びました。ところがその方は暗く沈んでいます。
「いやあ、よく来てくれました。お待ちしていましたよ。前回からだいぶ間が開いたから、ずいぶんたくさんの治療法を仕入れたんじゃないですか?またいろいろ教えてください。」
私がニコニコしながら聞いても、
「うん、まあ。」
全然話に乗ってきません。
それ以上は私も何も聞きませんでした。
聞かなくてもわかります。
この方は、言いましても末期のがん。聞かなくても経過があまりよくないのだろうとすぐに察しました。
その日の鍼灸をするため、ベットに横になるとその方がポツリと言いました。
「がんが治ってしまったんだよ。」
なのに、この方はちっともうれしそうではありません。むしろ今にも泣きそうなくらい落ち込んでいます。
「どういうことです?」
私は理解できずに尋ねました。
「がんが治ってしまったんだ。検査してももう何もない。消えてしまった。」
「それは、良いことじゃないですか?」
「この先おれは何をしたらいい?がんを治すことだけを生きがいに生きてきたのに、がんが消えてしまった。もう何もやることがない。また元に戻ってしまった。」
その日の施術はほとんど会話もなく終わりました。
この方は暗く落ち込んだままうつむきながらトボトボと帰って行きました。
以来この方とは一度も会っていません。
その回の施術が最後の施術でした。私が帯津病院にいる間に次の予約が入ることはありませんでした。
いったいこの方はどんな代替療法を受けてがんを治したのか?
これを聞かずに彼を帰してしまったことを今でもとても後悔しています。
またすぐに会えるだろう。
末期がんになっても元気を失わなかったほどの人だ。すぐにまた元気を取り戻し、会いにきてくれるさ。
呑気にそんなことを思っていました。
あの時もう二度と会えないとわかっていたなら、彼の胸ぐらを掴んで、
「おい!どんな代替療法を受けた!何をやってがんを消した!教えろ!」
と無理矢理聞いておけばよかった。
後悔しても後の祭りです。
おかげで私はいまだに星の数ほどもある代替療法の海を彷徨い漂流し続けています。
だけどそうは言っても、この方とはもう二度と会わない方がいいと思っています。
彼がまた生き生きと目を輝かせて私の前に現れたとしたら、間違いなく彼のがんは再発しているからです。




