9 窓の外
キャンプ場へ着いた。
道路脇にある看板からオフィスの建物まで、少しある。
ゆっくり走らせチェックインのためオフィスの前に止まった。
車から降りるとき、朝からずっと体を動かしていたようなだるさが滲み出てきた。
実際に運転していたのは彼女で、私はほとんど外を見ていただけだったけれど。
Aが3つ並んだ楕円のシールが貼ってあるドアを押しのけて
スナック菓子や薪、車のリペア部品が並んだ棚の奥へいく。
キーホルダーやピンバッジが並んでいるカウンターに
エリコが向いその後をついていく。
二言三言カウンターのおばさんと話した後
エリコに言われて、IDとライセンスを渡す。
「あら、いいわねぇ、観光?」
「ダンナが日本から来たので連れて回ってるのよ。それがね……」
女同士の会話は、いつでもどこでも枝葉が増える。
ジョークやスラングだらけになっていく会話は
日本で立ち話するおばさんたちと変わらず
どうでもいいことで笑い合っているようだった。
A3くらいのカラフルな案内地図を出して
受け付けのおばさんが、ここね!とオレンジのフェルトペンで大きく置き場所を囲んだ。
「じゃあ!」
「楽しんで」
「行くわよ」
ベンの代役を引き受けた私は、舌を引っ込めて尻尾も振らずについていく。
外に出ると、ゴルフカートに乗ったおじさんが待っていた。
エリコが案内地図を彼に見せると、おじさんは右手を振って
ついて来いと言う仕草をした。
カートは三角の旗を釣竿の先に掲げて
芝刈り機のような音を出しながら、先に動き出した。
おじさんはどこでも気が短いんだなぁ
マリオカートが小さくなっていくのを眺めながら、トラックに戻った。
ヒゲも赤い帽子もないおじさんが、ここだよと、指差してから、去っていく。
車に割り当てられた場所は
向こうへ抜けられるタイプの置き場所で前から入っていく。
その後ろに見える崖の色は、近付いていくと
ミルフィーユのように何層にも重なっていて、茶色の中には薄い灰色があり
少し白くなったところは、日が当たるところだけ黄ばんでいた。
崖の下には低く積み上げた石の壁が見えた。
私はエリコの見えるところに立ち、手を上げた。
窓の中で、彼女が頷いた。
トラックは呼吸を止め、エリコが降りてきた。
後ろに繋がっている家に電気と水と排水を繋ぐのだが
電気と水は、児童公園にある水飲み場に立っているような、腰くらいまでのポールに
来ている。
下水は、その近くの地面に黒くて丸い蓋があり、そこにフライデーの腕を突っ込む。
エリコがそう呼ぶので、ずっとそういう名前だと思っていたが、実は違うらしく
長めのものを買いに行ったら、全く通じず、横でエリコが大笑いしていた。
家をの両サイドを広げ、水を確かめ、ようやく儀式が終わって二人で中へ入った。
テーブルも、椅子の脚でついた床の傷も、昨夜と変わらなかった。
それなのに窓の外には、ロイの車も、ジューンの花鉢もなかった。
地面が広がり、その先に崖があった。
エリコが冷蔵庫を開けた。
「何なら食べられる?」
「冷えててもいい」
「私も、火は使いたくない」
肉を薄く切り、パンに挟んだ。
キャシィの持ってきたトマトを切ると、まな板に汁が広がった。
エリコは端を一つ口へ入れ、私にも差し出した。
甘いというより、匂いが濃かった。
噛んだ瞬間、葉や茎の近くに顔を寄せたときの匂いが、口の奥から鼻へ上がった。
「うまいね」
「でしょう」
皿に載せず、流しの前に立ったまま並んで食べた。
パンの端から肉がずれ、私が押し戻すと、エリコは笑った。
「ちゃんと切ってあげたのに」
「大丈夫」
言ってから、二人とも少し黙った。
私はひと口を小さくした。
エリコは自分のパンを包んでいた紙を広げ、私の足元へ落ちたトマトのヘタを拾った。
日暮れ前、私は外の椅子で眠ってしまった。
目を覚ますと、膝に薄い上着がかかっていた。
顔の右側だけが冷たかった。
崖の高いところにはまだ日が残り、下の岩はもう暗灰色になっていた。
家の中から、水の流れる音がした。
ドアを開けると、エリコが流しの下を覗いていた。
床にタオルを敷き、その上に片膝をついている。
「どうした?」
「少し濡れてるの」
私は覗こうとして、彼女の背中にまわった。
「何か、いる?」
「そこのライト。小さいほう」
買ってきたちゃんと点く方のライトを渡すと、彼女は首を振った。
「持ってて。ここ、照らしてくれる?」
私は横へしゃがみ、言われたところへ光を当てた。
彼女が指を伸ばすと、その影で見えなくなった。
腕の角度を変える。
「そこ」
「ここ?」
「うん。そのまま」
私は肘を膝へ載せた。
光を動かさないようにしていると、手が疲れてきた。
エリコは乾いた布で金具の下を拭いた。
しばらく待ち、水を少し流し、また指で触った。
「緩んだのかな、走ったから?」
「わからない。前から少しあったのかも」
道の揺れのことを言わなくてよかったと思った。
何もわからないままだった。
もう一度確かめ、床に新しい紙を敷いた。
あとで濡れ方を見るという。
彼女は立ち上がり、膝を伸ばした。
「ありがとう」
私はライトを消した。
壁に当たっていた薄黄色い輪がなくなって
窓から入る夕方に目が行った。
「ロイに聞かなくていい?」
「ここ、電話だめみたい。明日また見てみる」
彼女が見せた携帯は圏外で、私は自分のものも同じだった。
最後に書きかけた水無月への返事は下書きのままだった。
出る前に送ればよかったかな。
ふと思ったのは確かだが、今は送れないことが解決してくれていた。
その晩、星を見ようと言いながら夕食を食べた。
暗くなってから少し外へ出た記憶はある。
頭上の星が、普段より多かった。
けれど、椅子を出そうとするエリコに、先に休むと言った。
彼女は一人でしばらく外に居たいらしく、そのまま座っていた。
次に目を開けたときには、窓が薄く明るくなっていた。
流しの前に、昨夜の紙が敷かれていた。
私はしゃがみ、端を持ち上げた。乾いていた。
足音がして、エリコが後ろへ来た。
「どう?」
「濡れてない」
「よかった」
「昨日、星、見た?」
「少し」
「綺麗だった?」
「今晩、見ればいいわよ」
彼女は紙を受け取った。昨日の話は、それ以上は話さなかった。




