2 道の長さ
このパートも前作から引き継いでいます。前作では空港から出ていくシーンを何度も何度も書き直し、書き足していましたが、時間を隔てて読んでみると、書きたい、書き足りない、そういう、もっともっとという満足感を満たすために、読むと言う事と乖離した書きたいが先行しすぎて、バランスが崩れているように思えました。
空港を出ると、赤茶けた地面の向こうに低い山が見えた。
道路の両側には、膝ほどの灌木が散っていた。
その一つ一つが、隣の木から離れて、同じだけの土地を与えられているようだった。
目をやる場所がいくらでもあるのに、何を見ても同じところへ戻ってくる。
しばらく走るとエアコンが効いてきた。日の当たる腕だけが熱く、腹のあたりは冷えていた。
「あそこ、古い戦闘機みたいなのがあったね」
「空港? 乗せてもらえるらしいわよ」
「へえ」
「お金払えばね。保険は別で」
「保険って、落ちたときの?」
「そういうのじゃない?」
「こっちで保険金が出ると、税金とかどうなるんだろうね」
「私がこっちで受け取る分には、困らないんじゃないかしら」
答えが早かった。
こちらが打つ場所を決める前に、次の石を持って待っているようなところが、昔からあった。
「そりゃ、よかった」
「乗ってみる?」
「今回は遠慮しとくよ」
彼女は笑った。私も笑い、二人ともそれきり前を見た。
会ってしまえば、こうなることはわかっていた。
昨日まで一緒にいて、たまたま今日の昼だけ別々に過ごしたように、話は続く。
電話では面倒だったことが、目の前にいるだけで面倒でなくなる。
反対に、電話を切れば済んでいたことも、ここでは隣に座り続ける。
空の青さは、見ていると涼しそうだった。
窓の外へ手を出せば、とてもそんなものではないだろう。
向こうから来るトラックが一台、道路を隔てた中央の広い窪地の向こうを通り過ぎた。
「長いよねぇ」
「そうね」
エリコは、少し間を置いた。
「ここでもう三年になるわ。あなたが日本へ戻ってからだと、五年」
私は道路の先を見た。
私が言ったのは道、その先の目的地までのことだった。
しかし、道のことだよ、と言い直すのも、何かをわざわざ引っ込めるようで言えなかった。
「そんなになるか」
「なるわよ」
五年のあいだ、会わなかったわけではない。
彼女は日本へ帰ってきたし、私も何度か来た。
一緒に暮らした時期の話をすれば、どちらも昨日のことのように覚えていた。
離れてからの日々については、電話で聞いた出来事のほかに、あまり知らない。
このトラックを、彼女がいつ買ったのかも知らなかった。
「あのさ」
「うん?」
「……ちょっと、トイレ」
彼女は一度だけこちらを見た。
「どうして空港で済ませなかったの」
「済ませたよ。ちゃんと。それでもさ、飛行機で水ばっかり飲むもんだから」
「ビールでしょ」
「水も飲んだ」
「しばらく何もないわよ」
そう言われてから、道路の継ぎ目が気になりだした。
今まで気づかなかった揺れまで、律儀に腹へ届く。
外の景色を見て気を紛らわせようとしても、建物が見えればトイレがあるかどうかを考え
建物でないとわかれば落胆するだけだった。
ようやく降ろしてもらえたのは、小屋の並ぶフリーマーケットだった。
簡易トイレのドアを開けて外へ出たとき、さっきまで見えていなかった色が目に入った。
赤い布、青い石、日ざしに褪せた木彫り。
風が吹くと、軒先の飾りが触れ合って軽い音を立てた。
エリコは日陰に立っていた。
「手、洗った?」
「中にジェルがあった」
「そう」
叱られなかった子供の気分で、隣に並んだ。
店先に、掌に乗るくらいの小さな石の鳥が並んでいた。
一羽を持ち上げると、腹に製造国のシールが貼ってある。
「地元のものじゃないんだ」
「気に入ったの?」
「いや。別に」
戻すとき、隣の鳥と嘴が触れた。小さな硬い音がした。
「欲しかったんなら、別にいいじゃない」
「今買うと、ずっと持って歩かなきゃならんし」
「そうね」
彼女は棚の奥のものを見ていた。
布に包んだ人形だった。
触らずに見て、すぐ歩きだした。
車へ戻る途中、水を買ってトートへ入れようとしてか紙袋に気づいた。
「忘れてた」
「ああ」
私たちはトラックの影に立ち、冷めた揚げパンを一枚ずつ食べた。
縁は硬く、真ん中にはまだ油のやわらかさが残っていた。
食べると急に腹がすいてきた。
「買ってきてくれたんだ」
「二つ買っただけよ」
彼女は指についた油を紙袋の内側で拭いた。
私にはきれいな面を向けて袋を差し出してくれた。
その袋を小さく畳みながら、エリコが言った。
「ハリーのものね、まだ結構あるの」
「今回の片づけ?」
「ええ」
紙袋の折り目を、親指の爪で押さえた。
「ベリンダに送るものは送ったし、使えるものは私が使ってる。
でも、よくわからないものが残っちゃって」
「捨てていいかどうか?」
「それもあるし。何なのか、わからないものもあるのよ」
それなら私にもわかるとは限らない。
そう言いかけたが、彼女はもうドアを開けていた。
走りだしてから、ハリーが亡くなったのは半年前だと聞いた。
病気が進んでデンバーへ移ったことは知っていた。
私が電話で聞いたのか、彼女のメールに書いてあったのかは思い出せなかった
。向こうで暮らしているベリンダの身内が、いろいろ手配をしてくれたという。
「帰ってくるつもりだったのよ。少なくとも、あっちへ行くときは」
「トレーラーへ?」
「そう。大きいのに替えて、冷蔵庫まで新しいのを選び直して」
彼女は右手をハンドルの下へ移した。
「ベリンダはシカゴに行ったわ。
こっちにいたって、買い物のたびに誰か呼ばなきゃならないし。
それに一緒に住んでもいいって、言ってたんだけどね」
「……君と?」
「ええ。狭いけど、住めないことはないから」
彼女がそのつもりでいたことを、私は知らなかった。
電話で話さなかったのか、私が聞き流したのか。
どちらなのかを確かめるほどのことでもない気がして、黙っていた。
「でも、好きに使ってって。あれも、中のものも」
「重いねぇ」
「そうなのよ」
彼女はすぐ頷いた。
「だから、あなたを呼んだの。あなた、捨てるのは得意でしょ」
「そんな用で呼ばれるっていうのも、なんだかねぇ」
「長所よ」
「はいはい」
「本当に大事なものは、捨てられない人だから。大丈夫」
どこを見てそう思うのか、聞けばよかったのかもしれない。
私は買ったばかりの水を飲んだ。薄いボトルは水が減ってペコっとへこんだ。
空港から出て行くシーンです。かなり端折ったわけで、そのため描写が足りない部分があるようにも思えますが
それをつつき出すと、また止まらなくなって同じ沼にハマってしまいますので、ここはあっさりと。




