16 再び
ベリンダは昼過ぎに来た。
空港で借りた青いセダンには、彼女のほかに誰も乗っていなかった。
私は外でロイとホースを巻いていた。
水を抜くために端を持ち上げると、靴の上へ落ちた。
ロイは何か冗談を言い、車に気づいて手を止めた。
私に預けられたホースが、腕の上で緩んだ。
ベリンダはロイに先に抱きついた。
彼の胸のあたりへ額を押し当て、肩を二度叩いて離れた。
泣いてはいなかった。
私は、エリコを呼んでくるべきかと思いながら、巻きかけのホースを抱えていた。
彼女は私の名を確かめて握手した。
爪は短く、手は冷たかった。
エリコから聞いている、と言った。
そのあとへどんなことかを付け加えはしなかった。
家へ入る前に、彼女は家の外壁へ手を触れた。
撫でるのではなく、日にあたったところの熱さを確かめるように、指の背を撫でるように一瞬当てた。
「お帰りなさい」
ベリンダは笑い、その声を背中に過ごさせてから中を見た。
「明るくなった」
「カーテンを洗ったの」
「ああ。そうね」
私は鉢を退かそうとしたが、ベリンダは反対側へ座った。
このところそこは私とベンの席だった。
わずかに身体をずらし、背もたれの隅へ肩を入れる。
その収まり方を見て、自分がいつも浅く腰を掛けていたことに気づいた。
エリコがコーヒーを出した。
ベリンダはカップを両手で包み、ゆっくりと口をつけた。
エリコは出しかけたていたミルクを棚に戻した。
「もう入れないの」
「そう」
私は立ったままでいるのも妙なので、端の席へ腰を掛けた。
膝がテーブルの脚に当たり、カップの水面が揺れた。
ベリンダは、台所の引出しにあった整備のノートのことを話ていた。
フィルターの番号が書いてあると、前に二人で見たものだ。
エリコはすぐに出した。
しおりの挟まれたページを開いた。
「ここの番号、写してもいい? 次に買うときに」
「もちろん」
ベリンダが手を伸ばした。
エリコはノートを渡した。
ベリンダはしおりのところに指を挟んだままノートの後ろからページを戻していった。
中ほどで止まり、指を一行ずつ滑らせた。
そこには短い文が書かれていた。
小さい、右へ傾いた字で、ところどころ線が強く重なっている。
「この辺りだと思った」
彼女は言った。それからエリコに、ある町の名を訊いた。
エリコは聞き返し、ベリンダはゆっくり発音した。私には知らない町だった。
「帰りに寄るって、言っていたところ?」
「そう。帰りに」
ベリンダはカップを持った。持ち上げたまま、しばらく飲まなかった。
エリコが冷蔵庫の話をした。
ハリーが新しくしておいたから、今もよく動くと。
氷もちゃんとできる。
言葉はいつもより速く、説明の途中でベリンダが返事を続けても、最後まで話した。
「戻るつもりだったのよね」
最後の一言は、私にもはっきりわかった。
ベリンダはノートを閉じた。
「ええ。そう話していた」
エリコは冷蔵庫のほうを見た。
何か言おうとした口元が、そのまま笑顔になった。
「ほかにも、見ていく?」
「今日は、これだけで」
ベリンダはノートの角を揃えた。
夕方には知人のところへ行く、と続けていった。
私は相手の名を聞き損ね、エリコに尋ねようとして、やめた。
そのときベンが寝床から出てきた。
ベリンダの膝に鼻を当て、彼女が手を下ろすと尻尾を振った。
彼女は犬の耳の後ろを掻いた。
ベンは目を細め、頭の重さを指へ預けた。
「あなた、まだここにいるのね」
エリコも笑った。
午後に集荷の予約が取れたことを水無月へ知らせた事を、なぜか急にそのとき思い出した。
向こうが確かめるのは次の朝。
水無月のところから箱が出る日は決まっている。
そしてここでは一冊のノートが、テーブルの上から膝へ移っただけだった。
ベリンダが立つと、エリコも立った。
「見る?」
彼女が答える前に、そちらのカーテンを少し引いた。
ベッドの上には洗った毛布が畳まれていた。
「そのまま使ってるの」
何がそのままなのか、私にはわからなかった。
ベリンダはカーテンまで行き、中へは入らなかった。
「この取っ手、まだ固い?」
棚のほうを指した。エリコは頷いた。
「ハリーが直したのに、余計に固くなった」
ベリンダが取っ手に指をかけた。
引く前に、手首を少し持ち上げる。
扉は拍子抜けするほど静かに開いた。
中の衣類が見え、彼女はすぐ閉めた。
「こうするの」
「知らなかった」
エリコは笑った。私も笑ったが、ベリンダは扉の収まりを見ていた。
指を離したところに、ごく薄く脂の跡が残った。




