↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/21

12 朝

出発した地点に戻ります。予定通りではあるけれど、元に戻った。

 翌朝、外のテーブルはペンキで厚く塗られた木のテーブルに戻っていた。

塗装の剥げたところに、木の細い割れ目が走っていた。

昨夜は気づかなかった、黒く焦げた跡が端々にあった。

 私はコーヒーを持って腰を下ろした。


 空は青かった。もう星は一つも見えなかった。

見えないだけでそこにあるということを知っていても

昨夜のものがどこへ行ってしまって

あの空と同じ…と感じられなかった。


 黒い空に浮かぶ白い帯の広がりは今も目に浮かぶが

私は、明るい朝のテーブルの前に座っていた。

あの暗さの感覚に、日が透けて降りて赤い色が混じった。


 ドアが開き、エリコが出てきた。


「もう飲んでる」


「君のも入ってる」

「ありがとう」


 彼女は中へ戻り、カップを持ってきた。

今日は私の正面に座った。


「首、痛い」

「ああ」


「見すぎたわね」


 彼女は肩を片方ずつ回していた。


 昨夜のことを続いて何か話そうかと思った。

大きかったとか、こんなものだと思わなかったとか。

だが、口に出す前に、その言葉を出すことで

少しずつ思いと違って行く気がした。


首を揉みながら彼女もコーヒーを飲んでいた。

ああ、ここに居る。そう思ってその姿を眺めていた。

「帰るの、動かせるかもしれない」

 私が言うと、彼女はカップを置いた。


「日本へ?」


「うん。仕事のほうね、まぁ聞いてみないとわからないけど」


「何日くらい?」

「まだ、わからない。西まで運ぶくらいの日数なら」


 エリコは黙った。

 私は、喜ぶだろうと思っていた。

その顔を確かめようとしていたことに、彼女が黙ってから気づいた。


「無理しなくていいのよ」

「無理かどうか、あっちにもまだ聞いてないから」


「そうね」

「手伝いに来たんだし」

 

エリコはテーブルに置いたカップを、両手で挟んだ。

「手伝ってもらいたくないんじゃない」


「じゃあ、何?」

 彼女は崖のほうを見ていた。


「私、あなたの帰る日に合わせて、次の場所を決めたくないの」


「ここを出ようって考えて、そして決めて……結構経ってるの。

でも、実際に動かせたのは、やっと今回でしょ。

西へ行ったって、置く場所を見て、違うと思うかもしれない」


「また探せばいい」

「あなたは、その間ずっといられる?」


 昨夜の空の下で近くなったものが、今テーブルを超えて離れていた。

その幅は、向かい合ってコーヒーを飲むには普通の距離だった。


「じゃあ、先に帰ったほうがいいってこと?」


 エリコは目を閉じた。

短い間だったが、その間に、私は言い方を間違えたことを知った。


「そういうふうに、私に決めさせないで」

 声は大きくなかった。


 私はカップの中を見た。

底に少し残ったコーヒーは、もう湯気を立てていなかった。


「来てくれて、うれしかったわよ」

 エリコが言った。


「今も、そう」


 私は顔を上げた。


「でも、いつまでいるかも、何をするかも、あなたが決めていいの。

私のためだっていうことにしないで」


 言い終えると、彼女はカップを持ち上げた。

口へ運んだが、飲んでいる様子は無かった。


 私は手をテーブルの下へ下ろした。

爪の端に、昨日の土が残っていた。


「少し、考えるよ」


「うん」

 彼女は頷いた。


 それ以上の返事を求められなかったことに、私は助けられた。

助けられたことも、わかっていた。


 その日は昼を別々に過ごした。


 喧嘩をしたわけでもなく、距離を置きたくて離れたのでもなかった。

エリコは読みかけの本があると言い、私も少し歩きたかった。


水を持って出るとき、彼女は話しかけてきた。


「どれくらい?」


「一時間くらい」

「暑いから、無理しないで」


「うん」


 家を離れると、風がシャツの背中に入った。

 私は歩きながら、いつまでいるのかを考えた。


けれど、日付を伸ばすかどうかだけ考えていると、何のために残るのかが思索から離れていってた。

 手伝いが済めば帰る。

その言い方はわかりやすかった。

自分でも説明できた。


 ただ一緒にいたいと言えば、仕事の都合だけでは済まなくなる。


どれくらい一緒にいたいのか。

彼女がどう思っているのか。


彼女の返事がどうあるのか、期待しない方の答えを聞いてしまったら……

今までのように、時々会いに来るだけではいられなくなる。


  歩きながら足元の石を一つ跨たいだ。


 暑かった。

帽子の内側は汗で色が変わり、支え切れなくなった汗が額へ下りてきた。


私は立ち止まり、水を飲んだ。

 歩いていれば何かが理解できるわけでもなかった。

家に戻る時間だけは守ろうと思い、時計を見ると引き返す時間だった。


 帰る時間は、離れていく時間よりも短かった。

家へ戻ると、エリコは本を伏せて眠っていた。


窓の隙間から入る光が、彼女の片方の足に当たっていた。


 私はドアを静かに閉めた。


 もう一晩泊まってから、あそこへ戻ろう。


 帰り支度は、来るときより早く進んだ。

何をしまい忘れやすいのか、二人とも知っていた。

エリコが棚を確かめ、私は窓を見た。

終わったところを声に出す。返事がなければ、もう一度言った。


 テーブルの上の楕円形の小さな木片を、私は手に取った。


「それ、まだ持ってたの?」

「地図、押さえてたから」


「役に立ったわね」


 私は木片を台所の引き出しへ入れた。

どこに仕舞ったか忘れても、それほどのものでもなかった。


 外のテーブルには、何も残さなかった。

椅子をしまう前に、一度空を見た。

朝から昼に掛かる空の青さの中へ、昨夜見た白い帯を置いてみようとした。

そこは、明るい青い空のままだった。


 帰りは、私が先に運転した。

 エリコは紙の地図を畳み、腿の上へ置いた。

行きに休憩で止まった広いところへ来たとき、私はウインカーを出した。


「休む?」


「うん。一度、肩を動かしたい」

「いいわ」

 彼女は頷いた。


 車を止め、二人で外へ出た。

後ろの家を回り、目につくところを確かめた。

何も変わっていなかった。


 エリコが伸びをし、私は首を回した。


「次、替わってもいいわよ」

「もう少し行ける。舗装へ出たら、お願いしていい?」

「いいわよ」


 私たちはまた乗った。

 エンジンをかける前に、私は言った。


「帰る日のこと、まだ決めてない」

「うん」


「でも、これを運ぶって事じゃなくて、もう少し君といたいと思ってる」


 エリコはすぐには返事をしなかった。

私は車の鍵に手をかけたまま待った。


「一緒にいると、結構面倒でしょう」

 彼女は言った。


「まぁ、それはね」

「そうよね」


 彼女が笑ったので、私も笑った。

何かが決まったわけではなかったが、さっきより息がしやすかった。


 舗装へ出て、休めるところで運転を替わった。

 携帯が短く震えた。

次にもう一度、少し長く震えた。いくつかの連絡が、まとめて入ってきていた。


 私は助手席で画面を開いた。

 水無月から新しいメールはなかった。

そのことに少しホッとして、すぐ、自分が返事をしない限り同じことが続くだけだと思った。


 下書きを開き、途中までの言い訳を消した。

 返事が遅くなったことを謝った。

荷物を引き取るつもりであること、帰国日を確認して、二日以内に受け取り方を連絡することを書いた。

写真の箱について、中身を確認する必要はない、と添えかけたが、消した。

自分では何が入っているかも覚えていなかった。

 読み返して、送った。


 送信が終わるまで、画面を閉じなかった。


「返事、した」

 エリコに言った。


「うん」

 彼女はまだ車を動かさず前を見ていた。


 私は携帯をしまった。

続けて何か言おうとしたが、声には出さなかった。


 少しして、彼女の携帯が鳴った。

止めてある車の中で、画面にキャシィの名前が出ていた。


 エリコはひと息ついて応答した。

 相手の声は聞こえなかった。

エリコはしばらく頷き、今日帰る、と言った。


それから、今夜は、と言いかけて黙った。

 私は窓の外を見た。


 道路の向こうで、誰かが車の荷台を閉めた。

乾いた大きな音がした。


「明日、話しましょう」

 エリコが言った。


 少しキャシィの話を聞いて、もう一度、明日、と言った。


 電話を終えると、彼女は携帯を裏返して置いた。


「晩ご飯、どうする?」

「残り物、まだある?」


「もうほとんどないわよ」

「じゃ、帰りに買おう。僕が作る」


「何を?」

 私は考えた。何も決めていなかった。


「店、見てから」

 エリコは笑い、シートベルトを引いた。


 車が動きだした。

 ミラーの中で、白い家が同じ距離を保ってついてきた。

私はその窓の一つに、朝しまった毛布のある場所を思い浮かべた。


 道の先には、タオスへ戻る分岐がまだ見えなかった。

移動の描写はこれくらい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。