11 夜空
別項の短編、夜空を書き直して入れました。
午後はトラックへ戻り、その後ろに繋がってる家の中で過ごした。
窓を覆ったカーテンから入ってくる明るさは
あちこちの隙間から覗き込み、部屋の中を回っている。
エリコはベッドで足を伸ばし、私はテーブルで帰りの予定を確かめた。
電波の届かないここでも航空券の画面は開いて見れる。
チケットの日付も時刻も、来る前に決めたままだった。
それを見ながら、これからを頭の中で並べていく。
動かせるものもあったし、動かすには人に頼まなければならないものもあった。
そこまで考えたところで、まだ誰にも頼んでいないのだから
できるともできないとも言えないことに気づいた。
私は画面を閉じた。
奥から、エリコがいつの間にか寝てしまっていて寝息が聞こえてくる。
さっき何を考えてあの話をしたのかはわからない。
帰ってほしくない、と言ったわけではなかった。
それでも私は、言ったのかもしれない。
そう受け止められる言い方だったのかもしれない。
今度はこちらがしっかり伝える必要があるのか。
椅子の上で動くと、床が小さく鳴った。
寝息が止まった。
しばらく経つと、また聞こえてきた。
夕飯には、残った肉を玉葱と炒めた。
エリコが切り、私が火の前に立った。
「塩は……」
「目の前」
瓶のラベルばかりが目に入っていて、その横の小さな容器に気づかなかった。
「案外見てないもんだねぇ」
「あっちとは違うのよ」
彼女はそれ以上は何も言わず、皿を出した。
食べるころには、昼の暑さが窓の外へ遠ざかっていた。
皿に残った汁をパンで拭い、洗う手間を少しだけ減らした。
昨日の肉は、一晩で別のものに感じるほど違っていた。
「今晩は、起きてられそう?」
エリコが聞いた。
「昼、頑張ったからねぇ。どうだろ」
「じゃあ、寝るまでに済ませましょ」
彼女は私の皿を取ってシンクへ沈めた。
外へ出たとき、地面にはまだ少し明るさが残っていた。
空の低いところが薄い色を帯び、その上で青が深くなっていた。
崖の縁は細かく欠け、その輪郭だけが空から切り取られていた。
私は椅子を持ってきたが、エリコは作り付けのテーブルに座った。
靴底をベンチの上へ置き、膝を抱えていた。
「寒くない?」
「まだ」
少し離れて立ち、頭を上げた。
初めは、明るい星だけが見えた。
それらを結べば知っている形になるのかと思い、目で線を引いた。
だが、見ているうちに、その線の間から別の星が出てきた。
さっきまで何もなかったところに、小さい光が増えていく。
私は眼鏡を外して拭いた。
かけ直しても、空は元の疎らな形へは戻らなかった。
拭く前より遠くまで見えた気がしたが、それは目が暗さに慣れただけなのかもしれない。
「あれ、動いてる」
エリコが言った。
指の先を探す。どの星を指しているのか、すぐにはわからなかった。
「ほら。あの明るいのの、少し下」
「ああ」
小さな光が、星の間をゆっくり進んでいた。
瞬いているようには見えなかった。
飛行機なら灯りが、と考えた。
人工衛星だろうか。
この時間にあの向きで見えるものは何だったか。
「何だろうね」
「わからないわ」
エリコは楽しそうだった。
「わからないものが飛んでるんだから、未確認飛行物体ね」
「まあ、そうなるか」
何と呼ぶかを考えているうちに、光は思ったより先へ行っていた。
星が増えているところへ入り、目を離したら見失いそうだった。
私は追い続けた。だが、いつの間にか見失った。
「消えた?」
「わからない」
彼女も同じあたりを見ていた。
私はテーブルへ戻った。
エリコの隣へ座ると、厚い板は昼間と違い冷えていた。
薄い上着の袖を手の甲まで引き、彼女は顎を少し上げていた。
「綺麗ね」
「雲が少ないからね」
「ないわよ」
「いや、あのへんに」
私は空を横切る、薄い白さを指した。
昼間の雲なら、こんなふうに見えるのではないかと思った。
輪郭がはっきりせず、濃いところと薄いところがあり
どこから始まってどこで終わるのかがわからなかった。
エリコはその先を見たまま、口を少し開けた。
「あれ……」
私も、言おうとしていた。
「天の川」
二人の声が、最後のところで重なった。
言葉にしてから、しばらく、その名と目の前のものとが繋がらなかった。
知っていた。
写真でも、図でも、何度も見ていた。
夏の夜空にはそういうものがあると、子供のころから知っていた。
けれど、今見えている白さは、写真の中で眺めたものよりずっと大きかった。
視界に収めようとすると、首を動かさなければならなかった。
エリコも顔をゆっくり回した。
白い帯は、見えているところだけで終わっていなかった。
崖の向こうへ下り、その先も続いているようだった。
私の背中の側にも空があり、そこへ振り向けば、また別の星があった。
上を見ているのに、上という感じが薄くなっていった。
私は足をベンチへ戻し、地面から離した。
体が少し不安定になったので、掌を板についた。
ざらついた木の感触があり、さっきまでいた場所がそこにあることに、ほっとした。
目の前の星は、同じ面の上に並んでいるようには見えなかった。
明るさの違いだけではない奥行きがあった。
黒いところを見つめると、その黒のさらに向こうに、目が進んでいく感じがした。
小さな光が見えたかと思うと、見ようとした途端に消えた。
どこまでが空なのだろうと思った。
自分が見ている方向だけに空があるのではなかった。
崖も、足元の赤い土も、このテーブルも、空の広がりの中に置かれていた。
そういうことを言葉にすれば、前から知っていた話になる。
けれど、今は体のほうが、私の考える速さより先に、それを受け取っていた。
息を深く吸った。
昼の土の匂いは弱くなっていた。
冷えた空気が鼻の奥に入り、胸を下りていった。
自分の体の幅が、いつもより小さく感じられた。
その小ささが怖いようでもあり、力を抜いてよいようでもあった。
しばらく、何も言わなかった。
隣でエリコが息を吐いた。
その音だけが近かった。
私は彼女の顔を見ようとしたが、目が空に慣れていて、輪郭しかわからなかった。
口元に袖を寄せているらしかった。
昼間、日陰で話したときと同じ顔がそこにあるはずなのに、今は、その表情を確かめようという気にならなかった。
同じところを見ているのかどうかも、もう聞かなかった。
袖と袖が触れていた。
風が吹くと、その接触が少し離れ、また戻った。
寒さを感じ始めたのは、膝だった。
体を動かすと、首の後ろが痛かった。
どれくらい上を向いていたのかわからない。
エリコが手を下ろし、指を何度か握った。
「戻る?」
私は聞いた。
「もう少し」
「毛布、取ってくる」
テーブルから離れると、足が地面へ着くまでの短い距離が、思ったより深かった。
靴の裏に土の硬さが戻った。
ドアを開けたが、灯りはつけなかった。
目の前の闇に手を伸ばし、ベッドの端を探った。
自分の毛布だと思って引いたものは薄い上掛けだった。
それを持って、もう一枚探した。
外へ戻ると、エリコはさっきと同じ姿勢でいた。
肩へ掛けようとすると、片側が背中から落ちた。
彼女は端を掴み、少し横へずれた。
私が隣へ座ると、もう片方をこちらの膝へ押しやった。
「二枚、持ってきたよ」
「じゃ、それは足に」
言われたとおりにした。
布の下で彼女の膝が触れた。
私は少し足を引いたが、狭いのでまた当たった。
彼女は動かなかった。
空は、何も変わっていないように見えた。
けれど、さっき目印にしていた明るい星を探すと、崖の縁からの距離が違っていた。
動かないと思っていたものが、私たちが黙っている間にも位置を変えていた。
彼女が小さく何か言った。
「何?」
「明日も、晴れるといいね」
「そうだね」
それだけ答えた。
いつもそうですが、書き出すと、やりすぎる笑




