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悪役令嬢ですが、攻略対象を全員無視して隣国の王子を奪います  作者: サトー
第二章 隣国の王子と始まる新たな物語
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リヴィアが選ぶ未来

 放課後。


 王立セイレーン学院の廊下には、生徒たちの話し声が響いていた。


 授業を終えた生徒たちが、それぞれの友人と話しながら校舎を出ていく。


 窓から差し込む夕方の光が、長い廊下を淡い金色に染めていた。


 その中を、リヴィアはエヴリンと並んで歩いていた。


「ねえ、リヴィア」


「はい?」


「今日の課題、もう書いた?」


「……まだです」


「やっぱり」


 エヴリンが楽しそうに笑う。


「リヴィアなら、すぐに完璧な文章を書きそうだと思ってた」


「私を何だと思っているんですか?」


「何でも一人で考えすぎる人」


「……否定できません」


 リヴィアは苦笑した。


 昨日出された学院の特別課題。


『自分が望む未来について記述せよ』


 たった一枚の課題用紙。


 それなのに、リヴィアはまだ一文字も書けていなかった。


 机の前に座って紙を見つめることまではできる。


 しかし、ペンを持った瞬間に手が止まってしまうのだ。


 未来。


 以前なら、避けたい未来ならいくらでも書けた。


 破滅しない未来。


 処刑されない未来。


 ゲームのシナリオから外れる未来。


 けれど。


「望む未来……」


 リヴィアは小さく呟いた。


「それを書くのが、こんなに難しいとは思いませんでした」


「だったら簡単なところから始めればいいんじゃない?」


「簡単なところ?」


「明日、何をしたいか」


「明日……」


「明後日でもいいし、一週間後でもいい」


 エヴリンは指を一本立てた。


「十年後のことなんて、今決めなくてもいいんだよ」


「……」


 リヴィアはその言葉を聞いて、少しだけ肩の力を抜いた。


「そうですね」


「うん」


「では、明日は……」


 リヴィアは考える。


「学院に来て」


「普通だね」


「授業を受けて」


「うん」


「昼食を食べて」


「うん」


「帰ります」


「普通すぎる!」


「では何を書けというんですか!?」


 二人の声が廊下に響いた。


「……」


「……」


 周囲の生徒たちがこちらを見る。


 リヴィアはゆっくり顔を伏せた。


「……今のは忘れてください」


「ふふっ」


「笑わないでください」


「ごめんごめん」


 エヴリンが笑いながらリヴィアの肩を軽く叩く。


 その時。


「随分と楽しそうですね」


 聞き慣れた声がした。


 リヴィアの足が止まる。


「……」


 嫌な予感がする。


 ゆっくり振り返る。


 そこにはルシアンが立っていた。


 黒に近い青色の髪。


 深い青の瞳。


 夕日の光を受けた横顔は、相変わらず落ち着いている。


「ルシアン様」


「こんにちは」


「こんにちは」


 エヴリンが笑顔で挨拶する。


 リヴィアも続けて頭を下げた。


「何のお話をしていたんですか?」


「学院の課題です」


 エヴリンが即答する。


「『自分が望む未来について』という課題ですよ」


「なるほど」


 ルシアンはリヴィアを見る。


「それで?」


「……まだ書けていません」


「意外ですね」


「私だって悩むことくらいあります」


「知っています」


「……」


 リヴィアは少し頬を膨らませた。


「ルシアン様は、もう書いたんですか?」


「まだです」


「え?」


「僕も書いていません」


「意外です」


「では、お互い様ですね」


「……」


 リヴィアは思わず笑ってしまった。


 ルシアンも微笑む。


 その様子を見ていたエヴリンが、何かを思いついたように手を叩いた。


「そうだ!」


「どうしました?」


「三人で考えればいいんじゃない?」


「三人で?」


「うん。『望む未来』を一つずつ言ってみるの」


「それを課題に書くんですか?」


「参考にはなるでしょ?」


 リヴィアは少し考えた。


「……確かに」


「では、エヴリンから」


「私?」


「はい」


 エヴリンは少し考える。


「私は……」


 彼女は窓の外を見る。


「好きな人と、普通に笑っていられる未来がいい」


「……」


 リヴィアは微笑んだ。


 ルシアンも静かに頷いた。


「いい未来ですね」


「うん」


「では次は僕ですか」


 ルシアンが腕を組む。


「僕は――」


 一瞬だけリヴィアを見る。


「大切な人たちが、自分で選んだ道を歩いている未来がいい」


「……」


 リヴィアの胸が少しだけ温かくなる。


「ルシアン様らしいですね」


「そうですか?」


「はい」


 そして二人の視線がリヴィアに向く。


「……私ですか?」


「うん」


「そうですね……」


 リヴィアは困ったように眉を寄せる。


「私は……」


 言葉が出てこない。


 けれど。


 昨日の夜から何度も考えていたことがあった。


 学院で笑うこと。


 エヴリンと話すこと。


 友人たちと過ごすこと。


 ルシアンと歩くこと。


 そして。


 何でもない一日を、何でもないまま終えること。


「……平凡な未来がいいです」


「平凡?」


「はい」


 リヴィアは小さく笑う。


「朝起きて、学院へ行って」


「友人と話して」


「勉強して」


「時々、面倒な事件に巻き込まれて」


「最後のは平凡じゃないよ」


 エヴリンが突っ込む。


「……確かに」


 リヴィアは苦笑する。


「では、事件には巻き込まれない未来で」


「リヴィア、それは無理だと思う」


「なぜですか?」


「あなたの周り、事件が多すぎるから」


「……」


 反論できなかった。


 ルシアンが静かに笑う。


「僕も否定できません」


「ルシアン様まで……」


 リヴィアは頬を膨らませた。


 その瞬間だった。


 学院の時計塔から、鐘の音が響いた。


 一回。


 二回。


 三回。


 四回。


 三人が同時に時計塔を見る。


「……また」


 リヴィアの表情が変わる。


 昨日と同じ。


 時計塔の最上部に、淡い銀色の光が灯った。


 そして。


 リヴィアの視界にだけ、文字が浮かび上がる。


『第二記録』


『対象――リヴィア・アーデント』


『選択――未来の伴侶』


「……」


 リヴィアは息を呑む。


 ルシアンが気づく。


「何か見えましたか?」


「……はい」


「何と?」


「私の……」


 言葉が止まる。


「未来についてです」


 ルシアンの表情がわずかに引き締まる。


 エヴリンも心配そうにリヴィアを見る。


「何を選べ、と?」


「……違います」


 リヴィアは首を横に振る。


「選べとは書かれていません」


「では?」


「ただ……記録すると」


 リヴィアは空を見上げる。


「私が、誰と未来を歩くのかを」


 ルシアンは黙った。


 エヴリンも何も言わない。


 しばらくして。


 ルシアンが静かに口を開いた。


「なら」


「……?」


「今まで通りでいいでしょう」


「今まで通り?」


「はい」


 ルシアンはリヴィアを見る。


「僕は、答えを急がせるつもりはありません」


「……」


「記録されるから選ぶ必要もない」


「……はい」


「君が自分で答えを出すまで、僕は待ちます」


 リヴィアの指先がわずかに動く。


「どうして……」


「何がです?」


「そこまで待てるんですか?」


 ルシアンは少しだけ考えた。


「君だからです」


「……」


 リヴィアの顔が一気に赤くなる。


「……そういうところです」


「何がです?」


「そういうところが、ずるいんです!」


「僕は普通に答えただけですが」


「普通じゃありません!」


 エヴリンが口元を押さえる。


「ふふっ……」


「エヴリン!」


「ごめん!」


 しかし笑いは止まらない。


 リヴィアは顔を赤くしたまま俯いた。


 その時。


 銀色の光が変化した。


『選択――未確定』


『感情――確認』


『観測継続』


 文字が一つずつ消えていく。


 そして最後に。


『自由意思――維持』


 その文字が残った。


 リヴィアは目を細める。


「……自由意思」


 ルシアンもそれを見つめる。


「以前の観測者とは違うようですね」


「はい」


「では、これは何なのでしょう?」


「分かりません」


 リヴィアは少し考える。


「でも……」


「でも?」


「今までとは違います」


 彼女は胸元に手を置く。


「以前の観測者は、未来を記録するために世界へ干渉していました」


「しかし今回は?」


「私たちが選ぶことを、邪魔していない」


 リヴィアは空を見上げる。


「ただ見ている」


「……」


「それなら」


 リヴィアは静かに笑った。


「私たちは、自分たちの好きなように生きればいいんです」


 ルシアンが頷く。


「その通りです」


 エヴリンも笑う。


「じゃあ、課題も好きに書こう」


「そうですね」


 三人は歩き始めた。


 しかし。


 リヴィアは数歩進んだところで足を止める。


「……」


「どうしました?」


 ルシアンが振り返る。


「いえ」


 リヴィアは時計塔を見る。


 銀色の光はもう消えていた。


 けれど。


 胸の中には、先ほどの言葉が残っている。


『未来の伴侶』


 その言葉を思い浮かべた瞬間。


 リヴィアの脳裏に、黒に近い青色の髪が浮かんだ。


 深い青色の瞳。


 いつも自分を静かに見つめている顔。


「……」


 リヴィアは慌てて首を振る。


「違います」


「?」


 ルシアンが首を傾げる。


「何がです?」


「な、何でもありません!」


 リヴィアは早足で歩き出す。


 その後ろでエヴリンがルシアンを見る。


「……ルシアン様」


「はい?」


「今の、分かりました?」


「何がです?」


「……いえ」


 エヴリンは笑った。


「何でもありません」


 ルシアンは不思議そうな顔をした。


 そして三人は学院を後にした。


 その夜。


 リヴィアは自室の机に向かっていた。


 目の前には課題用紙。


 白紙だった。


 ペンを持つ。


 しばらく考える。


 そして。


 最初の一文を書いた。


『私が望む未来は――』


 そこで手が止まる。


 少しだけ頬が熱くなる。


 けれど。


 今度はペンを置かなかった。


『自分の大切な人たちと、一緒に笑っていられる未来です』


 そこまで書いて。


 リヴィアは小さく息を吐いた。


 そして最後に。


 まだ書くには早いと思いながらも。


 ほんの少しだけ続ける。


『そして、その隣に誰がいるのかは――』


 そこで止める。


「……これは、まだ秘密です」


 リヴィアは一人で呟き、顔を赤くした。


 窓の外。


 遠くの時計塔には、銀色の光がほんの一瞬だけ灯った。


 しかし今度は、何の文字も表示されなかった。


 ただ。


 静かに。


 リヴィアの選択を待っているようだった。

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