第四世界への扉
月明かりのような銀色の光が、観測室の奥から差し込んでいた。
リヴィアは、その光をじっと見つめていた。
扉の向こうに何があるのか。
分からない。
ただ一つだけ、確かなことがある。
あの先には、ルシアンの存在に関する答えがある。
そして同時に――。
『最も大切な存在を一つ失う』
その言葉も、頭から離れなかった。
「……」
リヴィアが黙っていると、隣からルシアンの声が聞こえた。
「怖い?」
「はい」
今度も、リヴィアは素直に答えた。
「かなり怖いです」
ルシアンが少し驚いたように目を瞬く。
「意外だね」
「私だって怖いものは怖いです」
「そうだね」
「でも……」
リヴィアは彼の手を握った。
「行きます」
ルシアンは彼女の手を見つめる。
「どうして?」
「殿下がいるからです」
一瞬、ルシアンが黙った。
「……それは、ずるいな」
「何がですか?」
「そんなことを言われたら、僕も絶対に行かないといけない」
「最初から行くつもりだったでしょう?」
「ばれた?」
リヴィアは小さく笑った。
そのやり取りを見ていたエヴリンが、少しだけ安心したように微笑む。
「二人なら、大丈夫そう」
セレネは扉を見る。
「ですが、注意してください」
「第四世界は、これまでの世界とは違います」
リヴィアが振り返る。
「どう違うんですか?」
「ここまでの世界は、すべて何らかの記録が残っていました」
「でも第四世界には――」
セレネが言葉を止める。
「記録がない」
「……記録がない?」
「はい」
「だから、何が起きても予測できません」
リヴィアは扉を見る。
予測できない。
その言葉を聞いて、逆に少しだけ安心した。
「なら……」
リヴィアは小さく笑う。
「ちょうどいいですね」
「え?」
「私たちが一番得意なことです」
ルシアンが笑う。
「予測できない未来を選ぶこと?」
「はい」
セレネも少しだけ笑った。
「あなたらしいですね」
リヴィアたちは扉へ向かった。
その時。
背後からエヴリンの声がした。
「リヴィア」
「はい?」
「絶対に戻ってきてね」
リヴィアは振り返る。
エヴリンは笑っていた。
けれど、その瞳には不安が浮かんでいる。
「……約束します」
リヴィアは胸元へ手を当てる。
「必ず戻ります」
「ルシアン様も」
ルシアンが頷く。
「もちろん」
セレネも続く。
「私も戻ります」
エヴリンが三人を見つめる。
「じゃあ、待っています」
リヴィアは微笑み、扉へ向き直った。
そして――。
三人は銀色の光の中へ足を踏み入れた。
視界が白く染まる。
身体が浮かぶ。
これまで天門を通った時とは違う。
今回は、時間そのものが流れていないような感覚だった。
過去も。
現在も。
未来も。
すべてが消えていく。
「……殿下!」
リヴィアが叫ぶ。
手を伸ばす。
けれど、一瞬だけルシアンの姿が見えなくなった。
「リヴィア!」
声だけが聞こえる。
「ここにいる!」
その声を聞いた瞬間、リヴィアは必死に手を伸ばした。
指先が触れる。
「……!」
強く握る。
今度は絶対に離さない。
「大丈夫です」
「うん」
二人は手を繋いだまま、銀色の光を抜けた。
そして――。
足が地面についた。
リヴィアはゆっくり目を開ける。
「……ここは?」
そこは、見たことのない街だった。
建物は白銀色。
道路には魔石のような光が走っている。
空には巨大な月が浮かんでいる。
しかし、夜なのに暗くない。
月そのものが世界を照らしているようだった。
遠くには巨大な塔が何本も立っている。
その形は王城にも、魔法研究施設にも似ている。
だが、どこか違う。
「……未来の王都?」
ルシアンが呟く。
「分かりません」
リヴィアは周囲を見る。
人がいる。
しかし、誰もこちらを見ない。
全員が無表情で歩いている。
そして、全員の胸元に小さな銀色の印が浮かんでいた。
「……あの印」
セレネが呟く。
「観測の印です」
「観測の……?」
「はい」
セレネは周囲を警戒する。
「この世界では、すべての人間が観測されています」
リヴィアの背筋が寒くなる。
「じゃあ……」
「この世界そのものが、観測室?」
セレネが頷く。
「おそらく」
その時。
街の中央にある巨大な塔から鐘が鳴った。
一度。
二度。
三度。
そして――。
四度。
街の人々が一斉に立ち止まる。
全員が空を見上げた。
リヴィアも見上げる。
巨大な月の表面に、黒い文字が浮かんでいた。
『観測対象――到着』
『リヴィア・アーデント』
『ルシアン・ヴァルクレスト』
そして――。
『第三存在――セレネ』
セレネの顔が強張る。
「私まで……」
ルシアンが剣に手を添える。
「この世界は、僕たちを知っている」
「ええ」
リヴィアは空を見る。
「最初から待っていたみたいです」
その直後。
街のすべての建物から銀色の光が放たれた。
無数の光が空へ集まり、一つの巨大な映像を作る。
そこに映ったのは――。
ルシアン。
しかし、今のルシアンではない。
黒い衣装。
長い黒青色の髪。
王家の紋章を持たない姿。
その青年は、巨大な塔の前に立っていた。
そして、こちらを見ている。
ルシアン本人が息を呑んだ。
「……僕だ」
リヴィアは映像を見つめる。
青年が口を開く。
『もし、この記録を見る者がいるなら』
『僕は、すでに存在していない』
ルシアンの表情が変わった。
『この世界では、僕の存在は消去された』
『だから、ここに残す』
『僕が何者だったのか』
リヴィアが一歩前へ出る。
「何者……?」
映像の青年は続ける。
『僕は、ルシアン・ヴァルクレストではない』
ルシアンの瞳が大きくなる。
『少なくとも、今の僕はそうではない』
『僕は、第三世界で生まれた可能性の一つ』
『世界の修正から逃れるために、存在を捨てた』
リヴィアは息を呑む。
「第三世界……」
つまり。
目の前に映っている青年は、ルシアン本人ではない。
けれど――。
ルシアンと同じ可能性から生まれた存在。
『もし、本物のルシアン・ヴァルクレストがここへ来たなら』
映像の青年は、少しだけ笑った。
『伝えてほしい』
『君は、僕が選べなかった未来だ』
ルシアンは黙って映像を見る。
『僕は、世界を救うために自分を消した』
『でも――』
青年の表情が悲しげになる。
『君は、自分を消さずに世界を変えた』
映像がそこで途切れる。
街が静まり返る。
リヴィアはルシアンを見る。
彼はしばらく何も言わなかった。
やがて、静かに口を開く。
「……僕が、彼の選ばなかった未来」
「はい」
「なら、僕は……」
ルシアンは拳を握る。
「彼の犠牲を無駄にしたくない」
リヴィアは頷く。
「私もです」
その時。
街の奥から足音が聞こえた。
一人。
また一人。
銀色の衣装を着た人々が、二人を取り囲む。
セレネが身構える。
「来ます」
中央から、一人の女性が現れた。
銀色の長い髪。
青白い瞳。
胸元には巨大な観測印。
彼女は三人を見つめる。
「ようこそ」
「第四世界へ」
リヴィアが尋ねる。
「あなたは誰ですか?」
女性は静かに答える。
「この世界の管理者です」
「観測者の一人?」
「いいえ」
女性は首を横に振った。
「私は、観測者に作られた存在」
「そして――」
彼女はルシアンを見る。
「あなたを待っていました」
ルシアンの表情が険しくなる。
「僕を?」
「はい」
女性は微笑む。
「この世界に残された、あなたの最後の記録を返すために」
リヴィアが尋ねる。
「最後の記録?」
女性が手を掲げる。
すると、街の中央にある巨大な塔が光り始めた。
「そこにあります」
「何が?」
女性は答える。
「あなたが生まれる前の記憶」
ルシアンの目が揺れる。
「……僕が、生まれる前?」
「はい」
「そして、その記憶の中に――」
女性がリヴィアを見る。
「あなたが存在します」
「私が?」
「はい」
リヴィアは驚きを隠せない。
「私が……殿下の誕生に?」
女性は頷いた。
「二人は、今世で初めて出会ったわけではありません」
「……!」
ルシアンも驚いている。
女性は続ける。
「あなたたちの選択は、この世界が生まれる前から始まっていたのです」
リヴィアの胸元の青い宝石が輝いた。
ルシアンの王家の紋章も反応する。
二つの光が重なる。
その瞬間。
第四世界の空に、新たな文字が浮かんだ。
『第一記録――再生開始』
『リヴィア・アーデント』
『ルシアン・ヴァルクレスト』
『接続理由――』
文字が一度消える。
そして――。
新たな一文が現れた。
『二人は、最初から同じ未来を選んでいた』
リヴィアは言葉を失った。
ルシアンも空を見上げている。
そして、第四世界の巨大な塔の扉がゆっくりと開いた。
その奥から――。
二人がまだ知らない、最初の記憶が流れ始めた。




