ルシアン・ヴァルクレストの誕生
光が消えた。
リヴィアが目を開くと、そこは見覚えのある場所だった。
王城地下。
しかし、以前訪れた記録保管庫とは違う。
壁も床も白い。
黒い王冠の紋章はどこにもない。
中央には巨大な円形の魔法陣があり、その中心に一冊の白い本が浮かんでいた。
「……ここは?」
ルシアンが周囲を見渡す。
リヴィアは本へ近づいた。
「これが……殿下の記録?」
白い本の表紙には、何も書かれていない。
ただ、近づいた瞬間。
本がひとりでに開いた。
最初のページ。
『ルシアン・ヴァルクレスト』
その下には――。
『第一存在記録――未完成』
リヴィアは眉を寄せる。
「未完成……」
ルシアンがページをめくろうとする。
しかし、触れる直前。
声が響いた。
『触れる必要はない』
二人が振り返る。
誰もいない。
それなのに、声だけが聞こえる。
『記録は、お前自身の記憶によって開かれる』
ルシアンは眉を寄せた。
「僕の記憶?」
『そうだ』
「僕には、こんな場所の記憶はない」
『当然だ』
『消されたのだから』
その言葉に、ルシアンの表情が変わった。
「……何を?」
『お前が生まれる前の記録を』
リヴィアが本を見る。
ページがひとりでにめくれていく。
そこには、三百年前の青年が描かれていた。
黒い髪。
青い瞳。
ルシアンによく似ている。
その隣にはセラ。
そして、少し離れた場所に黒髪の少女。
最初の異世界人。
「……また、この三人」
リヴィアが呟く。
しかし、ページの隅に見覚えのない文字があった。
『第一存在――未完成』
『第二存在――未完成』
『第三存在――未完成』
ルシアンが尋ねる。
「三人……?」
「どういう意味?」
ページがさらに進む。
『世界の可能性は、一つの存在によって観測される』
『だが、観測だけでは未来を固定できない』
『未来を選ぶ存在が必要』
リヴィアが言う。
「それが……選択する人間?」
『そうだ』
『だが、最初の世界ではそれが存在しなかった』
『だから、最初の観測者は世界を記録することしかできなかった』
ページに、黒冠龍の姿が浮かび上がる。
そして、その下に一つの文章。
『観測された可能性を管理するため、黒冠龍が生まれた』
ルシアンが本を見つめる。
「黒冠龍は、最初から存在していたわけではない?」
『そうだ』
『あれは観測のために作られた存在』
リヴィアの目が大きくなる。
「誰が作ったんですか?」
しばらく沈黙があった。
そして――。
『最初の観測者』
リヴィアは息を呑んだ。
「エリシアが……?」
『正確には、エリシア一人ではない』
『最初の観測者たちは、世界の可能性を記録するために黒冠龍を作った』
『だが、黒冠龍はやがて自我を持った』
『そして、可能性を管理する側になった』
リヴィアは胸の奥に冷たいものを感じる。
「だから……未来を一つにしようとした」
『そうだ』
「でも、どうして三百年前の青年が……」
リヴィアがページを見る。
青年の姿が拡大される。
その胸には、ルシアンと同じ王家の紋章があった。
『彼は最初の「存在固定者」』
「存在固定者?」
『記録から消されても、存在そのものが消えない者』
『世界の修正から逃れられる存在』
リヴィアはルシアンを見る。
「それが……殿下?」
『違う』
「……え?」
『三百年前の青年とルシアン・ヴァルクレストは同一人物ではない』
『だが、同じ系統の存在』
ルシアンが静かに尋ねる。
「なら、僕は何なんだ?」
ページに新しい文字が現れる。
『第二存在――ルシアン・ヴァルクレスト』
『第一存在の記憶を受け継ぐ器』
ルシアンの瞳が揺れる。
「器……?」
リヴィアがすぐに本を見る。
「待ってください」
「それでは殿下は……」
『誰かの魂を入れられた存在ではない』
『それは誤解するな』
声が続く。
『ルシアンはルシアン自身だ』
リヴィアは少し安心した。
しかし、ルシアンの表情は変わらない。
「では、何を受け継いだ?」
ページに一つの光景が浮かんだ。
三百年前。
青年が倒れている。
セラがその隣に座り、泣いている。
そして青年の胸から、青い光が抜けていく。
その光が一冊の本へ吸い込まれる。
『選択の記憶』
リヴィアが呟く。
『彼が最後に残したのは、魂ではない』
『未来を自分で選ぶという意思だった』
『その意思が、何度も別の存在へ受け継がれた』
ルシアンは黙って映像を見る。
「だから……僕は」
『三百年前の彼と同じ魂ではない』
『だが、同じ選択をする可能性を持っている』
リヴィアは静かに理解する。
だから白龍は言った。
「同じ魂波長」と。
けれど、同一人物ではない。
ルシアン自身が、ルシアンとして存在している。
「じゃあ……」
リヴィアは小さく呟く。
「殿下が何度も記録から消されても、また現れたのは」
『選択の意思が消えなかったから』
ルシアンは自分の胸元へ手を当てた。
「僕が……自分で選び続けたから」
『そうだ』
その瞬間。
王城地下全体が揺れた。
「っ……!」
リヴィアがよろめく。
ルシアンが彼女の肩を支える。
「大丈夫?」
「はい」
天井から黒い霧が落ちてくる。
白い空間が少しずつ黒く染まっていく。
「観測者……?」
リヴィアが身構える。
しかし、声は違った。
『ようやく見つけた』
聞き覚えのある声。
黒衣の男。
三百年前から世界の修正を続けてきた管理者だった。
「あなた……」
男が黒い霧の中から姿を現す。
「その記録を開いたか」
ルシアンが剣を抜く。
「僕について、何を知っている?」
男は笑った。
「すべてだ」
「なら、教えてもらおう」
ルシアンの声は静かだった。
「なぜ僕は生まれた?」
男の笑みが消える。
「……お前は、世界が生み出した最後の抵抗だ」
「抵抗?」
「黒冠龍が未来を一つに固定しようとした時」
「世界そのものが、それを拒んだ」
男は白い本を見る。
「その結果生まれたのが、お前だ」
リヴィアが息を呑む。
「世界が……殿下を?」
「正確には、世界の可能性が一つに収束するのを防ぐために生まれた存在」
ルシアンは黙っている。
男は続ける。
「だが、お前一人では足りなかった」
「だから、もう一人必要だった」
リヴィアの背筋に寒気が走る。
「……私?」
男はリヴィアを見る。
「そうだ」
「お前は、観測を狂わせる存在」
「そして王子は、存在を固定する存在」
「二人が出会えば、世界の修正は成立しなくなる」
リヴィアはルシアンを見る。
「だから、私たちを引き離そうと……」
「そうだ」
男が答える。
「お前たちが互いを選ぶたびに、記録が書き換わる」
「それが、世界にとって最も危険なことだ」
リヴィアは一歩前へ出る。
「なら、私は何度でも選びます」
男が目を細める。
「何?」
「自分で未来を選ぶ」
「そして――」
リヴィアはルシアンの手を握った。
「私は、殿下と一緒に進みます」
ルシアンも握り返す。
「僕も」
二人の手が重なった瞬間。
白い本が強烈な光を放つ。
『第一存在記録――完成』
『第二存在記録――完成』
そして、新しいページが開いた。
そこには二人の名前が並んでいた。
『リヴィア・アーデント』
『ルシアン・ヴァルクレスト』
その下に、一つの文章。
『二つの未確定存在――接続』
黒衣の男が後退する。
「……完成してしまったか」
しかし、その瞬間。
王城の上空に浮かんでいた黒い王冠が、突然砕けた。
王都中に光が降り注ぐ。
エヴリンたちがいる城壁から、歓声が上がった。
だが――。
黒衣の男は笑っていた。
「勘違いするな」
「これは終わりではない」
「むしろ、始まりだ」
彼の背後に巨大な黒い門が開く。
その向こうには、見たことのない世界が広がっていた。
男が一歩下がる。
「天門の先にある世界よりも、さらに上」
「そこに――」
「本当の観測者がいる」
黒い門が閉じる。
リヴィアとルシアンは、その場に残された。
白い本だけが静かに光っている。
リヴィアは最後のページを見る。
そこには新しい文字が刻まれていた。
『第三存在――未確認』
リヴィアの表情が変わる。
「……第三存在?」
ルシアンも本を見る。
「まだ、もう一人いる」
そして白い本の最後に。
見覚えのない名前が、一文字ずつ浮かび始めた。




