神谷紗月の死の記録
扉の向こうから、白い光が溢れ出していた。
リヴィアは、その場から動けなかった。
『神谷紗月』
その名前を聞いた瞬間。
胸の奥に、忘れたはずの記憶が一気に蘇る。
雨。
濡れた道路。
車のライト。
そして――。
自分の最後の瞬間。
「……嫌」
リヴィアの指が震える。
「見たくありません」
ルシアンが彼女の横顔を見る。
「無理に見る必要はない」
「でも……」
リヴィアは扉を見つめる。
「ずっと、知りたかったんです」
自分はなぜ死んだのか。
なぜこの世界へ来たのか。
なぜ『薔薇と運命の王冠』を知っていたのか。
なぜルシアンと出会ったのか。
すべてが繋がっている。
「私は……自分の死から逃げていたのかもしれません」
ルシアンが静かに尋ねる。
「怖い?」
「はい」
リヴィアは正直に答えた。
「とても」
「なら、僕も一緒に行く」
「殿下……」
「君が見たくないものまで、無理に見る必要はない」
ルシアンは手を差し出す。
「でも、君が向き合うなら、僕も隣にいる」
リヴィアはその手を見つめる。
そして、そっと握った。
「……ありがとうございます」
二人は扉の中へ入った。
その瞬間。
景色が変わった。
王都が消える。
神殿も消える。
目の前に現れたのは――。
雨の降る夜の街だった。
「……ここ」
リヴィアの声が震える。
「日本……」
見覚えのある道路。
見覚えのある信号。
見覚えのあるコンビニ。
そして、傘を差して歩く一人の女性。
黒い髪。
二十歳の姿。
神谷紗月。
前世の自分。
リヴィアは息を止めた。
「私……」
紗月はスマートフォンを見ながら歩いている。
その画面には、一通のメールが表示されていた。
『差出人:Unknown』
『件名:観測対象について』
リヴィアの瞳が揺れる。
「これ……」
以前、天命の水晶で見たものと同じ。
紗月がメールを開く。
『あなたが何度もプレイしているゲームについて、質問があります』
『もし、ゲームの世界が実在するとしたら――』
『あなたは、そこへ行ってみたいと思いますか?』
紗月は立ち止まった。
そして、少し考えた後。
『興味はあります』
そう返信する。
リヴィアは愕然とした。
「私……こんなメールを送った記憶なんて……」
「記録から消されていたのかもしれない」
ルシアンが答える。
画面がさらに進む。
『では、最後に一つ』
『あなたが最も気になる人物を教えてください』
紗月は少し考える。
そして――。
ゲーム画面を開いた。
攻略対象たちが表示される。
アルベルト。
カイル。
セドリック。
ノア。
そして、ヒロイン。
その中には、ルシアンはいない。
だが。
画面の隅に、一瞬だけ黒青色の髪の青年が映った。
『対象外』
紗月は眉を寄せる。
「……このキャラクター、誰?」
リヴィアの目が見開かれる。
「私……」
紗月は画面を何度も確認する。
しかし、青年はもう消えていた。
「変なの」
紗月は笑って、ゲームを閉じた。
「まあ、いいか」
その瞬間。
映像が途切れた。
場面が変わる。
雨の夜。
紗月が一人で歩いている。
スマートフォンを片手に持っている。
メールには、最後の一文が届いていた。
『観測を終了します』
『ありがとうございました』
紗月は首を傾げる。
「……何これ?」
その瞬間。
道路の向こうから、強いライトが見えた。
リヴィアの身体が強張る。
「……あ」
車が近づいてくる。
紗月が振り返る。
足元が滑る。
傘が落ちる。
「危ない!」
リヴィアが叫ぶ。
だが、声は届かない。
次の瞬間。
強い光。
衝撃。
映像が真っ白になる。
リヴィアは思わず目を閉じた。
「……」
静寂。
そして。
もう一つの映像が始まった。
紗月の身体から、淡い光が抜けていく。
それは普通の死の光景ではなかった。
彼女の魂の周囲に、無数の文字が浮かび上がっている。
『観測終了』
『魂の接続を確認』
『世界移動を開始』
『対象――神谷紗月』
『移動先――未確定』
リヴィアは呆然とする。
「私の魂……」
その時。
黒い王冠の紋章が空中に浮かんだ。
しかし、その直後。
別の紋章が現れる。
黄金の冠。
二つの紋章がぶつかり合う。
そして、第三の光が割って入った。
白い光。
リヴィアはそれを見つめる。
「……エリシア?」
しかし、姿はない。
声だけが聞こえる。
『この魂を、消してはいけない』
『この者は、まだ観測を終えていない』
黒い王冠が反応する。
『記録から削除する』
白い光がそれを押し返す。
『拒否します』
『この者は、世界を観測した』
『そして、世界を変える可能性を持つ』
リヴィアは息を呑んだ。
「だから……私は」
『転生ではない』
『選択の継承』
『神谷紗月の観測結果を、次の世界へ接続する』
その言葉と共に、リヴィアの記憶が流れ込んでくる。
前世の記憶。
ゲームの記憶。
この世界での記憶。
エルディア。
ヴァロリア。
アルカディア。
仙境。
セラ。
ミレイア。
白蓮。
そして――。
ルシアン。
リヴィアの目から涙が流れる。
「……全部、繋がっていた」
ルシアンが彼女の手を握る。
「リヴィア」
「私がここに来たのは……偶然じゃなかった」
「そうだね」
「でも……」
リヴィアは映像を見る。
「誰かに選ばれたわけでもない」
ルシアンが頷く。
「うん」
「私自身が、ずっと世界を見ていたから……」
「世界も君を見つけた」
その言葉に、リヴィアは静かに頷いた。
しかし。
映像の最後に、まだ一つだけ記録が残っていた。
黒い画面。
そこに白い文字が浮かぶ。
『神谷紗月――観測終了』
『リヴィア・アーデント――観測開始』
その下に、新たな文字。
『しかし、記録上の異常を確認』
『観測対象以外の存在との接続』
『対象――ルシアン・ヴァルクレスト』
さらに。
『二つの未確定存在が接続した場合』
『観測者による未来固定は不可能となる』
リヴィアは息を呑む。
「……だから」
「僕たちを引き離そうとした」
ルシアンが続ける。
「僕が存在しない未来を何度も見せたのも」
「はい」
「君を一人にしようとしたのも」
「全部……」
二人は顔を見合わせる。
その時。
映像の奥から、別の声が響いた。
『違う』
リヴィアが振り返る。
そこに、一人の女性が立っていた。
黒い髪。
黄金色の瞳。
白い衣。
エリシアだった。
「エリシア……」
彼女は静かに微笑む。
『これまで見せられた記録のすべてが、真実ではありません』
「……え?」
『観測者は、記録を作ることができる』
『だから、あなたたちが見た未来の中には、偽りも含まれている』
リヴィアの表情が変わる。
「では……私たちが見てきた未来の中で」
『一つだけ』
エリシアが答える。
『最初から、誰にも作られていない未来があります』
「それは……?」
エリシアは二人を見つめる。
『あなたたちが、これから選ぶ未来です』
その瞬間。
背後の映像がすべて消えた。
白い空間の中央に、一つの扉が現れる。
扉には、黒い王冠も黄金の冠もない。
ただ――。
二人の手を重ねた紋章だけが刻まれている。
エリシアが言う。
『これが、最後の記録への入口』
リヴィアは扉を見る。
「最後の記録……」
『はい』
『あなたの死の記録は、これで終わりです』
『次に待っているのは――』
エリシアが微笑む。
『あなたが、この世界で生きると決めた瞬間の記録』
扉がゆっくりと開く。
その向こうから聞こえてきたのは。
まだリヴィアが知らない、自分自身の声だった。
『私は、ここで生きる』
リヴィアの瞳が大きく開く。
「……この声」
ルシアンも扉を見る。
「君だね」
リヴィアは一歩前へ進む。
「行きましょう」
ルシアンが頷く。
二人は、新たな記録の中へ足を踏み入れた。




