観測される王都
エルディア王都。
その夜。
王城の地下深くにある記録保管庫で、一人の兵士が異変に気づいた。
「……何だ、これ?」
棚に並んでいた古い記録書が、誰にも触れられていないのに次々と開いていく。
紙が風もないのにめくれていく。
そして、すべての本が同じページで止まった。
『観測対象――エルディア王国』
兵士の顔から血の気が引く。
「こんな記録……今までなかったぞ」
次の瞬間。
保管庫の中央に黒い魔法陣が浮かび上がった。
兵士が剣を抜く。
「誰だ!」
返事はない。
魔法陣の中心から黒い霧が広がっていく。
そして、霧の中から一人の少女が現れた。
黒い髪。
白い衣。
黄金色の瞳。
兵士は息を呑む。
「お前……誰だ!」
少女は答えなかった。
ただ、開かれた本を見つめる。
そのページには、リヴィアの名前が刻まれていた。
『最終観測者――神谷紗月』
少女は小さく呟く。
「……やはり、ここまで来たのね」
その直後。
少女の姿が黒い霧へと変わった。
兵士が後ずさる。
「な……!」
霧が記録保管庫全体を包み込んだ。
王都の地上では、誰もその異変に気づいていなかった。
ただ一つ。
王城の上空に、見慣れない黒い星が浮かんでいた。
一方。
東の仙境。
リヴィアたちは、黄金色の門を見上げていた。
「エルディアへ戻る門……」
ミレイアが呟く。
白蓮が頷く。
「はい」
「ですが、少しおかしいですね」
ルシアンが尋ねる。
「何が?」
「この門は、誰かに開かれています」
リヴィアの表情が変わる。
「誰かが……私たちを呼んでいる?」
「その可能性があります」
リヴィアは空に浮かぶ門を見る。
胸元の青い宝石が、一定の間隔で明滅している。
まるで警告しているようだった。
「……帰るべきじゃないのかもしれません」
ルシアンが彼女を見る。
「それでも帰る?」
リヴィアは少し考える。
「はい」
「怖くない?」
「怖いです」
正直に答える。
「でも、エルディアにはエヴリンも、アルベルト殿下も、私たちの大切な人たちがいます」
「何か起きているなら、戻らないわけにはいきません」
ルシアンは微笑む。
「君ならそう言うと思った」
「……分かっていたんですか?」
「うん」
「ずるいですね」
「何が?」
「私の答えを先に決めないでください」
「決めてないよ」
ルシアンは手を差し出した。
「一緒に行こうと言っているだけ」
リヴィアはその手を見る。
一瞬だけ迷った。
それから、そっと手を重ねた。
「……はい」
ミレイアが少し離れたところから二人を見る。
「また自然に手を繋いでる……」
「何か言いましたか?」
リヴィアが振り返る。
「いえ、何も」
ミレイアは笑いを堪える。
白蓮はそんな二人を見ながら、静かに言った。
「では、戻りましょう」
銀色の龍が翼を広げる。
「え?」
リヴィアが驚く。
龍はゆっくりと頭を下げた。
『王都まで送ろう』
「あなたが?」
『忘却の湖を越えた者たちを、最後まで見届けるのも私の役目だ』
リヴィアは龍の背へ乗る。
ルシアンがその後ろに続いた。
ミレイアと白蓮も乗り込む。
「しっかり掴まってください」
龍が翼を広げる。
巨大な風が吹き抜けた。
「きゃっ!」
リヴィアの身体が揺れる。
咄嗟にルシアンの腕を掴んだ。
「大丈夫?」
「はい……!」
「そのままでいいよ」
「……」
リヴィアは一瞬迷った。
しかし、離すことはしなかった。
龍が空へ飛び上がる。
東の仙境が急速に遠ざかっていく。
浮かぶ山々。
雲海。
白蓮の宮殿。
そして、忘却の湖。
すべてが小さくなっていく。
リヴィアは振り返った。
「……また来ることになるのでしょうか」
白蓮が答える。
「可能性は高いでしょう」
「やっぱり……」
リヴィアは苦笑した。
「まだ何も終わっていないんですね」
ルシアンが隣で言う。
「終わらせる必要もないんじゃない?」
「え?」
「世界の謎が全部解けなくても」
ルシアンは遠くを見る。
「僕たちが進む理由がなくなるわけじゃない」
リヴィアは彼を見る。
「……そうですね」
その時だった。
銀龍が突然、翼を止めた。
「え?」
全員の身体が前へ傾く。
「何かいる」
龍が低く唸る。
前方。
雲海の向こうに巨大な黒い亀裂が浮かんでいた。
その亀裂の中から、無数の黒い羽が舞い落ちている。
ミレイアが立ち上がる。
「これは……」
白蓮の表情が険しくなる。
「観測者の干渉です」
ルシアンが剣を抜く。
「王都への道を塞ぐつもりか」
リヴィアも青い宝石を握る。
「……違う」
「リヴィア?」
彼女は亀裂を見つめていた。
「これは道じゃありません」
「じゃあ何?」
「門です」
黒い亀裂の向こうから、巨大な黄金色の瞳が現れる。
リヴィアの背筋に寒気が走った。
「私たちを……王都へ帰すための門じゃない」
「王都そのものを、ここへ繋げようとしている」
その瞬間。
黒い亀裂から声が響いた。
『最終観測者』
リヴィアの身体が強張る。
『帰還を確認』
『これより、最終観測を開始する』
黒い亀裂が大きく開いた。
その向こうに映ったのは――。
エルディア王都。
しかし、街の上空には巨大な黒い王冠が浮かんでいた。
そして王城の中心には、見たことのない巨大な黒い塔。
リヴィアの顔が青ざめる。
「……あれは」
ルシアンも目を細める。
「王城だ」
「でも……あんな塔はなかった」
「そうだね」
白蓮が静かに言う。
「観測によって、王都そのものが書き換えられ始めています」
リヴィアは拳を握る。
「なら、急がないと」
銀龍が翼を広げる。
『掴まれ』
「はい!」
龍が黒い門へ向かって飛び込む。
激しい衝撃。
視界が真っ黒になる。
次の瞬間――。
王都の上空へ出た。
街中から悲鳴が聞こえる。
人々が空を見上げている。
巨大な黒い王冠。
その下に広がる異様な魔力。
そして、王城から放たれる黒い光。
「……王都が」
リヴィアは言葉を失った。
そこへ、城壁の上から声が響いた。
「リヴィア様!」
聞き覚えのある声。
エヴリンだった。
彼女は城壁の上で、必死に手を振っている。
「無事だったのね!」
「エヴリン!」
リヴィアが叫ぶ。
エヴリンの隣には、アルベルトもいた。
その表情はいつもの穏やかさを失っている。
「リヴィア!」
アルベルトが叫ぶ。
「戻ってきてくれてよかった!」
しかし――。
その直後。
王城の地下から、巨大な黒い光が空へ突き抜けた。
黒い王冠がさらに大きくなる。
そして、王都中の時計が一斉に止まった。
リヴィアの青い宝石が激しく輝く。
『第四の鐘――最終観測開始』
どこからともなく声が響く。
リヴィアは王城を見つめる。
「……最終観測」
ルシアンが隣に立つ。
「行こう」
「はい」
二人は龍から降りる。
その瞬間。
王城の地下から、巨大な扉が地面を突き破って現れた。
扉には――。
黒い王冠。
黄金の冠。
そして、二人の人間。
リヴィアとルシアン。
「……私たちが描かれている」
リヴィアが呟く。
すると扉の中央に文字が浮かび上がった。
『最終観測者へ』
『最後の記録を返還する』
リヴィアの瞳が揺れる。
「最後の……記録?」
扉の奥から、聞き覚えのある少女の声がした。
『神谷紗月』
リヴィアの心臓が跳ねる。
『あなたの死の記録を――』
『返します』
扉が開いた。




