帰還した二人
光が消えた。
次の瞬間、リヴィアの足が硬い床に触れた。
「……っ」
身体が前へ傾く。
「リヴィア!」
ルシアンがすぐに腕を伸ばし、彼女の身体を支えた。
「大丈夫?」
「はい……」
リヴィアはゆっくり顔を上げる。
見覚えのある石造りの床。
青い魔石が埋め込まれた柱。
そして、少し離れた場所にある巨大な水晶。
「ここは……」
「最初の記録があった神殿だ」
ルシアンが周囲を見渡す。
「戻ってきたみたいだね」
リヴィアも周囲を確認する。
先ほどまで激しく揺れていた神殿は、驚くほど静かだった。
黒い霧もない。
黒い兵士もいない。
そして――。
白龍の姿もなかった。
「白龍は……?」
リヴィアが尋ねる。
返事はない。
三百年前の青年の姿も見えなかった。
「みんな……」
その時。
神殿の入口から足音が聞こえた。
「リヴィア!」
聞き覚えのある声。
リヴィアが振り向く。
そこにいたのは、ミレイアだった。
黒い髪を揺らしながら、彼女が駆け込んでくる。
その後ろには白蓮、セラ、そして銀色の龍の姿があった。
「ミレイア……!」
「無事だったのね!」
ミレイアがリヴィアの前まで走ってくる。
「急に天門が閉じたから……もう戻ってこないのかと思った」
「ごめんなさい」
リヴィアは微笑む。
「でも、戻ってこられました」
ミレイアは安心したように息を吐く。
「本当に……よかった」
その後ろから白蓮が近づいてくる。
「どうやら、成功したようですね」
「成功?」
リヴィアが首を傾げる。
「何をしたのですか?」
「最初の記録を完成させたのでしょう?」
リヴィアは少し驚いた。
「どうして分かるんですか?」
白蓮はリヴィアの胸元を指差す。
そこには、これまでとは違う光を放つ青い宝石があった。
以前よりも透明になっている。
そして、その中心には小さな黄金色の光が宿っていた。
「第四の鍵が完成しています」
「第四の鍵……」
ルシアンが自分の王家の紋章を見る。
こちらにも、黄金色の線が浮かんでいた。
白蓮は二人を見つめる。
「世界」
「存在」
「選択」
「そして、記憶」
「四つの鍵が一つになった」
リヴィアは静かに頷く。
「でも……まだ終わっていません」
「ええ」
白蓮の表情が曇る。
「むしろ、ここからが本当の始まりです」
その言葉に、ミレイアが不安そうな顔をする。
「まだ何かあるの?」
「あります」
白蓮は神殿の奥を見る。
そこには、以前はなかった巨大な壁画が浮かび上がっていた。
描かれているのは、一匹の黒い龍。
その上に、黒い王冠。
そして、そのさらに上。
巨大な瞳。
「これは……」
リヴィアが近づく。
「黒冠龍より上にいる存在?」
白蓮が頷く。
「あなたたちが天門で出会った観測者です」
「名前は?」
白蓮は首を横に振る。
「まだ分かりません」
「まだ?」
「古い記録ほど、その存在の名前を残していないのです」
ミレイアが壁画を見る。
「じゃあ、どうやって倒すの?」
白蓮は少し黙った。
「倒す必要があるとは限りません」
「え?」
「相手の目的を知らなければ、戦うことすらできません」
ルシアンが壁画を見ながら言う。
「観測者は、未来を一つにすることを目的としている」
「ですが、それだけではない」
白蓮が答える。
「天門の向こうで、何かを見たのでしょう?」
リヴィアは頷いた。
「最初の世界です」
「そして、そこに最初の観測者がいました」
白蓮の目が見開かれる。
「……最初の観測者」
「はい」
「それは、三百年前の記録にも残っていません」
「彼女はエリシアと名乗りました」
その名前を聞いた瞬間。
神殿の壁に刻まれていた古代文字が一斉に輝いた。
「え……?」
ミレイアが驚く。
壁画の中央に、一つの名前が浮かび上がった。
『エリシア』
白蓮が息を呑む。
「これは……」
リヴィアが壁を見る。
「知っているんですか?」
「いいえ」
白蓮は首を横に振る。
「ですが……この名前が記録に残っているということ自体が異常です」
「なぜ?」
「最初の観測者の名前は、世界から消されたはずだからです」
「……消された?」
白蓮は壁に近づく。
「記録を消す者がいる」
「観測者ですか?」
「おそらく」
その瞬間。
壁画の黒い龍が突然動いた。
リヴィアたちが身構える。
しかし、龍は襲ってこない。
その口から一枚の紙が落ちた。
白蓮が拾い上げる。
「……これは」
紙には、短い文章が書かれていた。
『観測者は一人ではない』
リヴィアの顔が強張る。
「一人じゃ……ない?」
さらに文字が浮かび上がる。
『第一観測者――エリシア』
『第二観測者――???』
『第三観測者――???』
『そして――』
最後の一行だけが、赤い光を放った。
『最終観測者――神谷紗月』
「……!」
リヴィアは息を呑んだ。
「私……?」
ミレイアがリヴィアを見る。
「神谷紗月って……」
リヴィアは答えられなかった。
前世の名前。
この世界では、誰にも教えていない名前。
それが、古代の記録に刻まれている。
「どうして……」
リヴィアの指が震える。
「私が最終観測者なんですか?」
白蓮は答えられない。
ルシアンがリヴィアの前に立つ。
「まだ決まったわけじゃない」
「でも……」
「名前が書かれているだけだ」
「……」
「君がどう生きるかは、そこには書かれていない」
リヴィアはルシアンを見る。
その言葉に、少しだけ胸が軽くなる。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
その時。
ミレイアが紙の裏側を見た。
「待って」
「どうしました?」
「ここにも文字がある」
全員が集まる。
紙の裏には、非常に小さな文字が刻まれていた。
『最終観測者が誕生した時』
『世界は、初めて観測される側になる』
リヴィアの表情が変わる。
「世界が……観測される側に?」
ルシアンが呟く。
「つまり、これまでは観測する側が未来を決めていた」
「でも、今度は世界そのものが観測する」
白蓮がゆっくり頷く。
「そういう意味でしょう」
リヴィアは静かに考える。
最初の観測者。
黒冠龍。
現在の観測者。
そして、自分。
すべてが一本の線で繋がっている。
けれど、その線の先にはまだ何かが隠れている。
「……エリシアは、私に言いました」
「『次は、あなたが選んで』と」
「それは……」
リヴィアは青い宝石を見る。
「この先の未来を、私自身が選べという意味なのかもしれません」
ルシアンが頷く。
「なら、選ぼう」
「殿下……」
「一人でじゃない」
彼はリヴィアの隣に立った。
「二人で」
リヴィアは少し驚いたあと、静かに笑った。
「……はい」
その瞬間。
神殿の外から、鐘の音が響いた。
一度。
二度。
三度。
そして――。
四度。
全員が顔を上げる。
白蓮の表情が変わった。
「第四の鐘……」
ミレイアが不安そうに尋ねる。
「何が起きるの?」
白蓮は答えなかった。
神殿の天井が開き、東の空が見える。
そこに巨大な光の輪が浮かんでいた。
その中心には、一つの門。
黄金色の光を放つ門。
リヴィアの青い宝石が強く反応する。
ルシアンの王家の紋章も輝く。
そして、空に新たな文字が浮かんだ。
『天門、再起動』
『次なる観測領域――王都』
リヴィアの表情が凍る。
「……王都?」
白蓮が呟く。
「エルディア王都です」
ルシアンが剣を握る。
「つまり――」
リヴィアは空を見上げた。
「私たちの帰る場所が、次の舞台になる」
その瞬間。
遠く離れたエルディア王都で。
誰もいない王城の地下。
一冊の黒い本が、ひとりでに開いた。
その最後のページに、新しい名前が刻まれる。
『観測対象――エルディア王国』
そして、その下に。
『最終観測者、帰還確認』
黒い文字が、ゆっくりと赤く染まっていった。




