天門の向こうにいる観測者
天門が、ゆっくりと開いていく。
巨大な扉の隙間から漏れ出したのは、光ではなかった。
そこにあったのは――星空だった。
神殿の地下にあるはずの空間。
それなのに、扉の向こうには果てのない宇宙が広がっている。
無数の星が静かに瞬き、その中心には巨大な輪のようなものが浮かんでいた。
リヴィアは言葉を失った。
「……これが……天門?」
ルシアンも目を細める。
「扉というより……世界そのものにつながっているみたいだ」
その直後。
空から黒い光が降り注いだ。
神殿の床が大きく揺れる。
「きゃっ……!」
リヴィアの身体がよろめく。
ルシアンがすぐに彼女の腕を掴んだ。
「危ない」
「ありがとうございます……」
「大丈夫?」
「はい」
リヴィアは小さく頷いた。
しかし、二人の視線はすぐに上空へ戻る。
そこには巨大な黒い龍がいた。
漆黒の鱗。
巨大な翼。
そして、頭上に浮かぶ黒い王冠。
だが、白龍はそれを見て低く唸った。
『あれは黒冠龍ではない』
「……では、何なんですか?」
リヴィアが尋ねる。
白龍は答えなかった。
代わりに、その黄金の瞳が天門へ向けられる。
『奴は黒冠龍の記録を喰らった存在だ』
「記録を……喰らう?」
『可能性を消し、記憶を奪い、存在そのものを記録から削除する』
『それを繰り返してきた』
三百年前の青年が顔を強張らせる。
「だから……あの時も」
黒い龍の姿を見上げながら、青年は呟いた。
「俺たちが戦ったのは、黒冠龍そのものではなかった」
『そうだ』
「ならば、三百年前に世界の修正を行ったのも……」
『奴だ』
その言葉に、リヴィアの胸が締め付けられる。
三百年前。
セラ。
黒髪の少女。
青い瞳の青年。
そして、世界の修正。
すべての背後に、この存在がいた。
「どうして……」
リヴィアは拳を握る。
「どうしてそこまでして、未来を消すんですか?」
黒い龍の巨大な黄金色の瞳が、ゆっくりと彼女へ向いた。
『未来とは、存在しないものだ』
声が響く。
『存在しないものを可能性として残すことに、意味などない』
リヴィアは睨み返した。
「違います」
『何?』
「未来は、まだ存在していないからこそ選べるんです」
『……』
「最初から決められた未来なら、それは未来じゃありません」
ルシアンが静かに彼女の隣へ立つ。
「僕もそう思う」
リヴィアが横を見る。
ルシアンは真っ直ぐに黒い龍を見ていた。
「僕の存在が記録に存在しなかったとしても」
「僕は今、ここにいる」
「それだけで十分だ」
黒い龍の瞳が細くなる。
『……記録に存在しない者』
その声に、ルシアンが僅かに反応する。
『お前は、三百年前から何度も記録から削除されている』
「……何?」
リヴィアの顔が強張った。
「三百年前の青年と同じように?」
『違う』
黒い龍は答えた。
『あの者は一度だけだった』
『お前は違う』
ルシアンの表情が変わる。
「どういう意味だ?」
『お前という存在は、何度も生まれ』
『何度も記録され』
『何度も消された』
『それでも、また現れた』
神殿に沈黙が落ちる。
リヴィアは息を呑んだ。
「何度も……?」
ルシアンは自分の胸元に手を当てる。
王家の紋章が微かに光っていた。
「僕が……何度も?」
『そうだ』
黒い龍の声には、感情がなかった。
『お前は世界の修正から逃れ続けた』
『だからこそ、観測対象になった』
リヴィアはルシアンを見る。
「……殿下」
ルシアンは答えなかった。
その瞳には、初めて明確な動揺が浮かんでいる。
黒い龍は続ける。
『そして、お前と接触したことで――』
黄金色の瞳がリヴィアへ向く。
『リヴィア・アーデント』
『お前も観測対象になった』
「……私も?」
『いや』
一瞬の沈黙。
『正確には、お前は観測対象ではない』
リヴィアは眉を寄せる。
「では、私は何なんですか?」
黒い龍が答える。
『観測を狂わせる存在だ』
「……!」
『私は数え切れない未来を観測した』
『だが、お前だけは予測できない』
リヴィアは自分の胸元を押さえる。
青い宝石が強く輝いていた。
『お前が選択するたびに、記録が変わる』
『お前が誰かを選ばないたびに、新しい可能性が生まれる』
『そして――』
黒い龍の視線が、ルシアンへ向く。
『お前がこの王子を選んだことで、存在しなかった未来が生まれた』
リヴィアの頬が熱くなる。
「そ、それは……!」
ルシアンが横から彼女を見る。
「僕を選んだ?」
「ち、違います!」
「違うの?」
「そういう意味ではありません!」
「残念」
「なぜ残念なんですか!」
こんな状況でも。
ルシアンは少しだけ笑っていた。
リヴィアは顔を赤くしながら彼から視線を逸らす。
「……本当に、殿下はこういう時でも……」
「こういう時だからこそ、じゃない?」
「意味が分かりません」
二人のやり取りを見ていた三百年前の青年が、呆れたように息を吐く。
「……三百年前も、似たような奴らだったな」
「え?」
リヴィアが振り向く。
青年は苦笑する。
「セラと、あの男もそうだった」
「未来がどうなるか分からなくても、二人で笑っていた」
「それが……記録を狂わせた」
リヴィアは静かに青年を見る。
その言葉には、不思議な温かさがあった。
白龍が翼を広げる。
『時間がない』
『天門が開ききれば、奴は神殿そのものを消す』
「なら、どうすれば?」
『天門の向こうへ行け』
リヴィアは驚く。
「私たちが?」
『そうだ』
『そこに、最初の観測記録がある』
ルシアンが尋ねる。
「最初の記録……黒冠龍よりも前の?」
『そうだ』
白龍は二人を見る。
『そして、そこでお前たちは知ることになる』
『なぜお前たちが何度も出会うのか』
リヴィアの心臓が大きく跳ねた。
「私と……殿下が?」
『そうだ』
『お前たちの出会いは、今回が初めてではない』
ルシアンも驚きを隠せない。
「……僕たちは以前にも会っていた?」
『そうではない』
白龍は静かに首を振った。
『お前たちが持つものが、何度も出会っている』
リヴィアは意味を理解できず、眉を寄せる。
「持つもの……?」
白龍は答えない。
その代わり、天門の向こうにある星空が大きく揺らいだ。
無数の光が集まり、一つの映像を作り始める。
そこに映ったのは――。
黒髪の少女。
三百年前の最初の異世界人。
その隣には、青い瞳の青年。
二人は手を繋いでいた。
そして少女が、何かを誰かへ託している。
映像の少女が振り返る。
その顔は――。
リヴィアには見えなかった。
光によって、顔だけが隠されている。
「……誰?」
リヴィアが呟く。
少女の声だけが聞こえる。
『もし、いつか――』
『私の選択を受け継ぐ人が現れたなら』
『その人に伝えて』
『未来は、記録されるものじゃない』
『自分たちで作るものだと』
リヴィアの目から、涙が一筋落ちた。
理由は分からない。
ただ、その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥が、とても懐かしく感じた。
「……この人を、知っている気がする」
ルシアンが彼女を見る。
「リヴィア?」
「分かりません」
リヴィアは涙を拭う。
「でも……」
青い宝石が輝いた。
「この人の言葉を、私は知っています」
白龍が静かに目を閉じた。
『ならば、行け』
『天門の向こうで、失われた最初の記憶を取り戻せ』
黒い龍が咆哮する。
神殿の壁が崩れ始める。
「急いで!」
三百年前の青年が叫ぶ。
リヴィアはルシアンの手を取った。
「行きましょう!」
「うん」
二人は天門へ走り出す。
一歩。
二歩。
そして――。
二人の身体が、星空の中へ消えていく。
最後にリヴィアが振り返る。
白龍がこちらを見つめていた。
そして、その黄金の瞳が静かに告げる。
『思い出せ』
『お前自身が、何を選んだのかを』
天門が閉じる。
その直後。
神殿を包んでいた黒い龍の姿が消えた。
残された白龍は、静かに目を伏せる。
『……ようやく始まる』
『本当の物語が』




