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私の未来は断罪される

父に呼ばれた私は、侍女の後ろを歩きながら廊下を進んでいた。


 いや。


 正確には――リヴィア・アーデントとして歩いていた。


 何度心の中でそう言い聞かせても、まだ奇妙な感覚が残っている。


 自分の足で歩いている。


 自分の手でドレスの裾を持っている。


 けれど、この身体は神谷紗月のものではない。


 廊下の壁には、何枚もの肖像画が飾られていた。


 重厚な金色の額縁。


 その中に描かれているのは、歴代のアーデント家当主たちだった。


 男性も女性も、皆一様に整った顔立ちをしている。


 その視線は、まるで通り過ぎる私を見つめているようだった。


「……すごい」


 思わず呟く。


「何かおっしゃいましたか?」


「い、いえ。何でもないわ」


 侍女は不思議そうな顔をしたが、それ以上は何も聞かなかった。


 やがて廊下の突き当たりに、大きな扉が見えてきた。


 扉にはアーデント家の紋章が刻まれている。


 銀色の剣と、青い薔薇。


「こちらでございます」


 侍女が扉を二度ノックする。


「入れ」


 低い声が返ってきた。


「失礼いたします。リヴィアお嬢様をお連れしました」


 扉が開く。


 そこにいたのは、一人の男性だった。


 四十代半ばほど。


 短く整えられた黒髪に、鋭い灰色の瞳。


 濃紺の正装を身につけ、胸元にはアーデント家の紋章が刺繍されている。


 机の上には大量の書類が積まれていた。


 彼こそが、この身体の父親。


 アレクシス・アーデント公爵。


「リヴィア」


「はい、お父様」


 自然に言葉が出た。


 これも身体に残っている記憶なのだろうか。


 アレクシスは私をじっと見つめた。


「体調はもういいのか?」


「はい。もう大丈夫です」


「そうか」


 短い返事。


 厳しい人なのだろうか。


 ゲームでは、リヴィアの父親について詳しく描かれていなかった。


 ただ、娘の断罪後もアーデント家を守ろうとした人物として、少しだけ登場した記憶がある。


「座りなさい」


「はい」


 私は向かいの椅子に腰を下ろした。


 椅子は深い茶色の木で作られており、背もたれには青い薔薇の模様が彫られている。


 アレクシスは一枚の書類を手に取った。


「来月から王立セイレーン学院への入学準備が始まる」


 その言葉を聞いた瞬間。


 心臓が大きく跳ねた。


 やっぱり来た。


 王立セイレーン学院。


 ゲームの舞台。


 物語が始まる場所。


「学院では、エルディア王国の有力貴族の子供たちが集まる。お前もアーデント公爵家の令嬢として、相応しい振る舞いをしなさい」


「……はい」


「特に――」


 父の言葉が止まった。


 灰色の瞳が私をまっすぐに捉える。


「王太子殿下との婚約についてだ」


「……!」


 思わず肩が跳ねた。


 そうだった。


 リヴィアには婚約者がいる。


 エルディア王国の第一王子。


 アルベルト・レインハルト。


 ゲームのメイン攻略対象。


 そして、物語のヒロイン――エヴリンが最初に恋する相手。


 リヴィアは彼を幼い頃から愛していた。


 だからこそ、エヴリンが彼に近づくことを許せなかった。


 そこから、すべての悲劇が始まった。


「殿下とは幼い頃からの婚約だ。学院でも、これまで通り――」


「お父様」


 私は父の言葉を遮った。


「その婚約……」


 喉が乾く。


「破棄することはできますか?」


「…………」


 部屋の空気が凍った。


 父の眉がわずかに動く。


「何だと?」


「いえ、その……」


 しまった。


 いきなりすぎる。


 私は慌てて言葉を探した。


「学院に入学すれば、殿下にも多くの素晴らしい女性が近づくでしょう。私が婚約者である必要があるのかと……」


「リヴィア」


「はい」


「お前は何を考えている?」


「……」


 答えられない。


 まさか、


『私は未来を知っています。お兄様――じゃなくて王子様は、ヒロインに恋をして、私を断罪するんです』


 などと言えるはずもない。


 アレクシスはしばらく黙っていた。


 そして、ふっと息を吐いた。


「お前は昔から殿下を慕っていたはずだ」


「……そうですね」


 身体に残る記憶ではそうだった。


 幼い頃からアルベルトを追いかけていた。


 彼に褒めてもらいたくて、魔法の勉強も剣術の勉強も頑張った。


 でも、それはリヴィアの感情。


 神谷紗月の私は違う。


「ですが……人の気持ちは変わります」


 静かにそう答える。


「私はもう、殿下を追いかけるつもりはありません」


 父は驚いたように目を細めた。


 しかし、すぐに小さく頷いた。


「……そうか」


 それ以上は追及しなかった。


「婚約については、今すぐ答えを出す必要はない。学院生活を始めてから、自分で考えなさい」


「ありがとうございます」


 私は頭を下げた。


 話はそれで終わった。


 父の部屋を出ると、私は廊下の壁に背中を預けた。


「……危なかった」


 胸に手を当てる。


 心臓がまだ速い。


 これから先、何度もこういう場面があるのだろう。


 ゲームのシナリオを知っているからこそ、余計な行動を取れば未来が変わる。


 でも――


「それでいい」


 私は小さく笑った。


 変えるのだ。


 リヴィアの未来を。


 アルベルトには近づかない。


 エヴリンには嫌がらせをしない。


 攻略対象たちとも必要以上に関わらない。


 そうすれば、きっと断罪なんてされない。


「学院では、目立たず静かに過ごそう」


 そう決めた。


 ――このときの私は、本気でそう思っていた。


 まさか。


 学院に入学する前から、私の人生に「ゲームには存在しなかった人物」が関わり始めることになるなんて。


 まだ、知るはずもなかった。

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