祝福の中で、二人が交わす約束
王宮に、春の柔らかな日差しが降り注いでいた。
リヴィアがルシアンに結婚の意思を伝え、両家への報告も済ませてから数日。
二人の未来は、少しずつ具体的な形を持ち始めていた。
王宮では今後の手続きについて話し合いが進み、学院では相変わらず授業が続いている。リヴィアもルシアンも、突然すべてが変わったわけではなかった。
ただ、これから先の予定を相談するとき、二人の会話には以前よりも自然に「一緒に」という言葉が加わるようになっていた。
その日、リヴィアは王宮の小さな応接室へ招かれていた。
部屋には、国王オスカー、王妃セレスティア、第一王子レオンハルト、そしてルシアンが揃っている。
リヴィアは少し緊張しながら、用意された席に腰を下ろした。
「本日は、お時間をいただきありがとうございます」
「そんなに緊張しなくても大丈夫よ、リヴィア」
セレスティアが優しく微笑んだ。
「今日は、あなたを試すために集まったのではないのだから」
「……はい。ありがとうございます、王妃陛下」
「それに、これから家族になるかもしれない相手と、少しずつ話をしていくのは大切なことだと思うの」
その言葉に、リヴィアの胸が温かくなった。
オスカーも静かに頷いた。
「ルシアンから、君が結婚を望むと伝えてくれたと聞いた。アーデント家からも、君自身が決めたことだと報告を受けている」
「はい、陛下」
「ならば、私たちはその意思を尊重したい。だが、結婚の準備を急いで進めるつもりはない。君たちが学ぶべきこと、話し合うべきことは、まだ残っているだろう」
「ありがとうございます。私も、必要なことを一つずつ学んでいきたいと思っています」
リヴィアは背筋を伸ばした。
「結婚したあとも、学院での学びを続けたいと考えています。また、これまで関わってきた人たちとのつながりも大切にしていきたいです」
「もちろんだ」
オスカーは迷いなく答えた。
「結婚は、君がこれまで積み重ねてきたものを捨てるためのものではない。王族としての責任が加わるとしても、君自身の意思まで失う必要はない」
リヴィアは、ほっと息をついた。
自分が望むことを、改めて伝えられた。
そして、それを否定されなかった。
そのことが嬉しかった。
「私からも、一つ聞いていいかしら?」
セレスティアが口を開いた。
「リヴィアは、ルシアンにどんな夫になってほしいと思っているの?」
「えっ……?」
思いがけない質問に、リヴィアは目を瞬かせた。
隣に座っていたルシアンも、少しだけ姿勢を正した。
「母上。ずいぶん率直な質問ですね」
「今のうちに聞いておいたほうがいいでしょう? 結婚してから、お互いに思っていたことが違ったと気づくよりは」
「それは……そうですが」
レオンハルトが楽しそうに笑った。
「いい機会じゃないか、ルシアン。弟としてではなく、将来の夫としての評価を聞けるんだから」
「兄上は、黙っていてください」
「おや、もう尻に敷かれる準備をしているのかと思ったよ」
「レオンハルト様……!」
思わずリヴィアが声を上げると、レオンハルトは肩をすくめた。
「失礼。つい、弟をからかいたくなってね」
ルシアンは深いため息をついたが、その表情には怒りよりも諦めが浮かんでいた。
そのやり取りを見て、リヴィアの緊張が少し和らいだ。
「……そうですね」
彼女は改めて考え、セレスティアに向き直った。
「私は、ルシアン様に完璧な夫になってほしいとは思っていません」
ルシアンが、静かに彼女を見た。
「私が知らないことを教えてくださるのは嬉しいですし、困ったときに助けていただけるのも心強いです。でも、ルシアン様ご自身が困ったときには、私にも頼っていただきたいんです」
リヴィアは、彼の顔を見つめた。
「いつも私を支えてくださるだけではなく、私にも、あなたを支えさせてください」
応接室が静かになった。
ルシアンは、しばらく彼女を見つめていた。
やがて、少し照れたように笑った。
「……分かった。君に頼ることも、覚えていくよ」
「はい。私も、頼ることを覚えます」
「それはいいね。二人とも、なかなか頑固そうだから」
セレスティアが微笑む。
「支えることも、頼ることも、どちらか一人の役目ではないものね」
オスカーも満足そうに頷いた。
「互いに意見を伝え、相手の言葉を聞く。その姿勢を忘れないでほしい」
「はい、陛下」
リヴィアとルシアンは、揃って答えた。
そのあとも、結婚後の暮らしや学院への通い方、今後の話し合いの進め方について、穏やかな会話が続いた。
何もかもが決まったわけではない。
それでも、リヴィアは感じていた。
この場所にいる人たちは、自分を王子の婚約者という立場だけで見ているのではない。
一人の人間として、自分の意思を聞こうとしてくれているのだ。
そのことが、何よりも心強かった。
◇
王宮を出たあと、リヴィアとルシアンは庭園を歩いていた。
会話が途切れると、噴水の水音が静かに耳へ届く。
「……少し、緊張しました」
リヴィアが素直に打ち明けると、ルシアンは微笑んだ。
「そうだろうね。母上の質問は、僕も予想していなかったよ」
「ルシアン様も緊張なさったのですか?」
「もちろん。君が何と答えるのか、気になっていたから」
「……私の答えが、心配だったのですか?」
「心配というより、知りたかったんだ。君が僕に何を望んでいるのか」
彼は歩みを緩めた。
「僕は君と結婚したい。でも、僕がそう望んでいるからといって、君が何を望んでいるのかを聞かずに進めるつもりはないよ」
リヴィアは、そっと彼の手を取った。
「私も、同じです。これからも、ルシアン様の気持ちを聞いていきたいです」
「うん」
「……それに、今日のことが嬉しかったんです」
「何が?」
「皆さんが、私の話を聞いてくださったことです。結婚したらこうしなければならない、と一方的に決められるのではなく、私が何を望んでいるのかを尋ねてくださったことが」
ルシアンは、彼女の手を握り返した。
「君の人生だからね。僕たちの未来についても、君が自分の意思で選べることが大切なんだ」
「はい」
リヴィアは微笑んだ。
「だからこそ、私はあなたを選んだのだと思います」
ルシアンが足を止めた。
「……それは、嬉しい言葉だね」
「本当のことです」
「うん。覚えておくよ」
彼は少しだけ顔を近づけたが、すぐにいつもの距離へ戻った。
「ところで、リヴィア」
「はい?」
「今度の休日、二人で出かけない?」
「お出かけ、ですか?」
「うん。結婚の手続きや準備の話は少し休んで、普通に一日を過ごしたいんだ」
その提案に、リヴィアの顔が明るくなった。
「ぜひ、ご一緒させてください」
「よかった。行きたい場所はある?」
リヴィアは少し考えた。
「以前、一緒に訪れた水路の近くを、もう一度歩いてみたいです。今度は、ゆっくり町のお店も見てみたいですし……」
「いいね。昼食も、二人で選ぼう」
「はい!」
答えたあと、リヴィアは自分の声が少し弾んでいることに気づいた。
結婚の準備は大切だ。
けれど、二人の未来は、手続きや約束だけで作られるものではない。
こうして一緒に出かけ、同じ景色を見て、何気ない話をする。
そんな時間の積み重ねも、きっと大切なのだ。
「楽しみにしています、ルシアン様」
「僕もだよ」
二人は再び歩き始めた。
◇
一方、王都西部の学習室では、エヴリンが子供たちの学習記録を整理していた。
トムが自分の名前を書けるようになったこと。
マリーが短い文章を一人で読めるようになったこと。
数字を覚え始めた子供たちが、簡単な足し算に挑戦していること。
記録を見返すと、小さな変化がいくつも見つかった。
けれど、まだ課題も残っている。
家庭の事情で授業に来られない子供。
学習の進み方が異なり、同じ教材では難しい子供。
教える側の学生たちも、授業の準備や自分の勉強との両立に苦労していた。
エヴリンは記録を閉じ、深く息をついた。
「……まだまだ、これからね」
「何か問題があったのかい?」
声をかけられて振り返ると、アルベルトが立っていた。
「いいえ。問題というより、これから改善したいことを整理していたんです」
エヴリンは記録を見せながら、現在の状況を説明した。
「今の教室を続けていくためにも、子供たちが無理なく通える方法と、手伝ってくれる学生たちが無理なく続けられる方法を考えたいんです」
アルベルトは真剣に耳を傾けた。
「どちらか一方だけに負担がかかってしまったら、長く続けられないからね」
「はい。だから、今すぐ教室を増やすより、今の仕組みを整えることを優先したいと思っています」
「賛成だよ。君たちが実際に見つけた問題をもとに、必要な支援を検討しよう」
「ありがとうございます」
エヴリンは微笑んだ。
以前なら、問題が見つかるたびに、自分の力が足りないのではないかと悩んでいた。
けれど今は、問題が見つかったこと自体を、次の改善につなげられるようになっていた。
一人では難しいことも、相談できる仲間がいる。
そして、アルベルトもその一人だった。
「……アルベルト様」
「何かな?」
「私、この活動を始めてよかったと思っています」
彼は静かに頷いた。
「そう言ってもらえて嬉しいよ」
「子供たちが少しずつできることを増やしていくのを見ると、私も頑張ろうと思えるんです。それに、学生の皆さんから教えてもらうこともたくさんあります」
エヴリンは、机の上の記録に目を落とした。
「最初から正しい答えを知っている必要はないんですよね。大切なのは、分からないことをそのままにしないで、みんなで考えていくことなんだと思います」
アルベルトは、優しく微笑んだ。
「君と話していると、僕も何度もそれを思い出すよ」
「私と話していると、ですか?」
「そう。君は、自分が知らないことを恥ずかしがらずに尋ねるし、間違いがあれば認めて、次にどうすればいいかを考える。僕も、そうありたいと思うんだ」
エヴリンは頬を赤くした。
尊敬していた相手から、自分も学びたいと言われる。
それは、想像していた以上に嬉しいことだった。
「……では、私もアルベルト様から、もっとたくさん学ばせてください」
「喜んで」
彼は少しだけ照れたように笑った。
「その代わり、僕にも君の考えをたくさん聞かせてほしい」
「はい。もちろんです」
二人は目を合わせ、自然に笑い合った。
その笑顔の中には、仕事仲間としての信頼だけではなく、少しずつ深まっていく特別な感情もあった。
まだ、二人はその気持ちをはっきりと言葉にはしていない。
けれど、互いの未来を考えるとき、そこに相手の姿があることを、もう不思議には思わなくなっていた。
◇
夕暮れ。
学院へ戻ったリヴィアは、自室で青い革の手帳を開いた。
結婚について、これから話し合うこと。
学院での学びを続けるために必要なこと。
自分が大切にしたい人たちとのつながり。
新しく考えなければならないことは、まだたくさんある。
それでも、以前のように不安だけでいっぱいになることはなかった。
リヴィアはペンを手に取り、今日の出来事を書き留めた。
『未来を選ぶことは、すべてを一度に決めることではない』
その下に、もう一文を加える。
『大切な人と話し合いながら、少しずつ形にしていくことも、未来を選ぶということなのだと思う』
書き終えたリヴィアは、窓の外を見つめた。
ルシアンと歩む未来。
家族とのつながり。
自分が学び、誰かの役に立てる可能性。
それぞれを大切にしながら、自分らしい人生を作っていきたい。
そして、いつか振り返ったときに、今日の選択を幸せだったと思えるように。
「……これからも、一緒に歩いていきましょうね」
誰もいない部屋で、リヴィアは小さく呟いた。
その言葉は、もう迷いから生まれたものではなかった。
自分で選んだ未来を、大切に生きていくための約束だった。




