あなたに伝えたい、私の本当の答え
朝、リヴィアは目を覚ますと、枕元に置いていた青い革の手帳へ手を伸ばした。
昨夜、自分の気持ちを書き留めたページを開く。
『私は、その未来をルシアンと作りたい』
何度読み返しても、そこに書かれている言葉は変わらない。
以前のリヴィアなら、きっと考え続けていただろう。
本当にこれでいいのか。
自分の選択が誰かを傷つけることにならないか。
今は幸せでも、いつか後悔するのではないか。
けれど、今は違う。
未来に不安があることと、その未来を選びたくないことは、同じではないのだ。
「……よし」
リヴィアは手帳を閉じ、ベッドから立ち上がった。
今日、ルシアンに会おう。
そして、自分の答えを伝えよう。
そう決めた途端、心臓が大きく跳ねた。
「……やっぱり、緊張するわね」
誰に聞かせるでもなく呟き、リヴィアは両手で頬を押さえた。
決意はできた。
それでも、好きな人に自分の人生を託すのではなく、自分の人生を一緒に歩いてほしいと伝えるのは、簡単なことではなかった。
それは、相手を信じるだけでは足りない。
自分自身の選択にも、責任を持つということだから。
リヴィアは深く息を吸い、窓の外を見つめた。
今日こそ、逃げない。
自分の言葉で、自分の答えを伝えるのだ。
◇
昼過ぎ、王立セイレーン学院の庭園。
約束を取りつけたリヴィアが到着すると、ルシアンは噴水のそばで待っていた。
彼女の姿を見つけた瞬間、彼はいつものように微笑んだ。
「来てくれてありがとう、リヴィア」
「こちらこそ、お時間を作ってくださってありがとうございます」
「君から会いたいと言ってくれたのは、少し久しぶりな気がするね」
「……そうでしょうか?」
「うん。最近は僕から誘うことが多かったから」
「そ、それは……」
リヴィアは言葉に詰まった。
確かに、ここしばらくはルシアンが声をかけてくれることが多かった。
けれど、今日は違う。
自分から会いたいと思った。
自分から、伝えたいことがあった。
「今日は、私からお話ししたいことがあるんです」
そう告げると、ルシアンの表情が静かに変わった。
「分かった。聞かせて」
彼は理由を尋ねず、彼女の隣を歩き始めた。
二人は庭園の奥へ向かい、花壇を見渡せるベンチに腰を下ろした。
穏やかな風が吹き、木々の葉が音を立てる。
リヴィアは膝の上で指を組んだ。
「……ルシアン様」
「うん」
「以前、私に未来について尋ねてくださったことを覚えていますか?」
「もちろん。君がどんな人生を送りたいのか、聞かせてほしいと言ったね」
「はい。あれから、ずっと考えていました」
リヴィアは一度、彼の顔を見た。
深い青色の瞳が、まっすぐにこちらを見つめている。
そこには、期待だけではなく、彼女の言葉を最後まで聞こうとする意思があった。
「私は、これからも学び続けたいです。知らないことを知り、自分の考えを深めて、誰かの役に立てることを探していきたいと思っています」
「うん」
「それから、王族の一員になるのなら、果たすべき責任もあるはずです。今の私には、まだ分からないことがたくさんあります」
「それも、一緒に学んでいけばいい」
ルシアンの言葉に、リヴィアは小さく頷いた。
「はい。でも、私が一番伝えたいのは、そこではないんです」
彼女は胸の前で手を握った。
「私は……あなたと一緒に生きていきたいです」
ルシアンが息を呑んだ。
リヴィアの頬は赤くなっていた。
それでも、今度は目を逸らさなかった。
「あなたと過ごす時間が好きです。何でもないことを話したり、一緒に出かけたり、時には意見が合わなくて困ったりしても……そういう日々を、これからもあなたと重ねていきたいんです」
言葉にするほど、胸の奥にあった気持ちがはっきりしていく。
「あなたは、私が迷っているときも、答えを急がせませんでした。私の望みを聞いて、自分の望みも伝えてくれました」
「リヴィア……」
「だから、私もあなたのことをもっと知りたいです。あなたが何を大切にしていて、何に悩んで、どんな未来を望んでいるのか。これから先も、ずっと」
リヴィアは、彼の手にそっと自分の手を重ねた。
「私は、あなたとの結婚を望んでいます」
その瞬間、庭園の音が遠くなったように感じた。
ルシアンは何も言わなかった。
驚いたように目を見開き、それから、重ねられた彼女の手へ視線を落とした。
リヴィアの心臓は、今にも胸から飛び出しそうだった。
「……あの、ルシアン様?」
「ごめん。少しだけ、言葉が出てこなかった」
彼は顔を上げた。
いつもの落ち着いた表情は、もう保たれていなかった。
嬉しさを隠しきれない、ひどく柔らかな笑顔だった。
「君の口から、その言葉を聞ける日を待っていたんだ」
「……っ」
「ありがとう、リヴィア」
彼は彼女の手を両手で包み込んだ。
「僕も君と結婚したい。君と一緒に、これからの人生を歩いていきたい」
その言葉を聞いた途端、リヴィアの目に涙が浮かんだ。
「……よかった」
「泣いているの?」
「泣いていません」
「そう?」
「……少しだけです」
ルシアンは困ったように笑い、彼女の目元に浮かんだ涙を指先でそっと拭った。
「君が不安になったときは、何度でも話そう。意見が違うときも、二人で考えよう。君が君らしくいられるように、僕も努力する」
「私も、同じです。ルシアン様だけに任せたりしません」
「うん。頼りにしているよ」
その言葉に、リヴィアは笑った。
自分が守られるだけの存在ではなく、彼と並んで歩く存在として認められたことが、何よりも嬉しかった。
「……それから」
ルシアンが、少しだけ声を落とした。
「一つ、お願いしてもいいかな?」
「お願い、ですか?」
「今日は、もう少しだけ僕のそばにいてほしい」
あまりにも素直な願いに、リヴィアは目を丸くした。
「それは……もちろんです」
「よかった」
彼は安心したように微笑んだ。
「実は、今すぐ誰かにこの喜びを話したいくらいなんだけどね」
「だ、誰かにって……!」
「まずは兄上かな。きっと、散々からかわれるだろうけど」
「ルシアン様!」
「冗談だよ。……半分くらいは」
「もう……!」
リヴィアは頬を膨らませた。
けれど、つないだ手を離すことはなかった。
二人はしばらく、ベンチに並んで座っていた。
特別な言葉を交わさなくても、互いの手の温かさが伝わってくる。
ようやく伝えられた答え。
そして、それを受け止めてくれた人。
リヴィアは隣にいるルシアンを見つめた。
これから先、きっと簡単なことばかりではない。
けれど、今は確かに思える。
この人となら、どんな問題も一つずつ考えていける。
そう信じられる自分になれたことが、何よりも大きな変化だった。
◇
その日の夕方、エヴリンは王都西部の学習室で、子供たちが使う教材の整理をしていた。
授業が終わったあと、トムが数字のカードを大事そうに抱えていた姿が、まだ目に浮かんでいる。
「次は、自分で買い物をしてみたいんだよ!」
そう言って笑った彼の顔を思い出し、エヴリンは自然と笑みをこぼした。
「何か嬉しいことでもあったのかい?」
背後から声がして振り返ると、アルベルトが入口に立っていた。
「アルベルト様。どうしてこちらに?」
「近くで報告を受ける予定があってね。その帰りに、少し様子を見に来たんだ」
彼は机の上に並ぶカードを見渡した。
「今日も教材の整理?」
「はい。次の授業で使いやすいように、分けているんです」
「手伝ってもいいかな?」
「えっ、アルベルト様がですか?」
「僕では役に立たない?」
「そ、そんなことはありません。ただ、王子殿下にお願いするような仕事では……」
「ここでは、僕も一人の手伝い役だよ」
アルベルトは穏やかに笑った。
「それに、君が毎日何をしているのか、僕も少しは自分の手で知りたいんだ」
エヴリンは一瞬、返事に迷った。
けれど、彼の表情を見て、小さく頷いた。
「……では、こちらのカードを種類ごとに分けていただけますか?」
「分かった」
二人は机を挟んで作業を始めた。
最初は文字の種類を間違えたり、数字のカードを別の束に入れたりしていたアルベルトだったが、エヴリンが説明すると、すぐに要領をつかんだ。
「なるほど。こうして並べてみると、同じ数字でも使い方によって学び方が変わるんだね」
「そうなんです。子供たちが何を知りたいのかによって、教材も変えていきたいと思っています」
「君は本当に、子供たちのことをよく見ている」
「みんな、一生懸命ですから」
エヴリンはカードを揃えながら答えた。
「だから、私も一生懸命になりたいんです」
アルベルトは彼女を見つめた。
仕事に取り組むときの真剣な横顔。
子供たちの話をするときの明るい声。
思いどおりにいかないことがあっても、すぐに諦めず、別の方法を探そうとする姿。
彼は、そうした一つひとつに惹かれていた。
それは、彼女が誰かに褒められるからでも、王族にとって都合のいい人だからでもない。
エヴリン自身が、自分の意思で選び、行動しているからだった。
「エヴリン」
「はい?」
「今度の休み、前に話していた出かけ先へ行こう。工房の見学もできるように手配しておくよ」
「本当ですか?」
「もちろん。ただ、仕事のためだけではなく、君と一緒に過ごしたいと思っている」
エヴリンの手が止まった。
アルベルトは、真剣な表情で続けた。
「君といると、僕は自分が何を望んでいるのか、考えるようになるんだ。王族として何をすべきかだけではなく、一人の人間として、何をしたいのかを」
エヴリンは、彼の言葉をじっと聞いていた。
「……私も、アルベルト様といると、いつもとは違うことを考えるんです」
「違うこと?」
「はい。次は何を話そうとか、どこへ行ったら楽しんでもらえるかな、とか……」
言いながら、頬が熱くなっていく。
「それに、またお会いしたいと思うんです」
アルベルトは目を見開いた。
エヴリンは恥ずかしさに耐えながら、なんとか言葉を続けた。
「お仕事のお話をするのも好きです。でも、それだけではなくて……アルベルト様ご自身のことを、もっと知りたいと思っています」
しばらくの沈黙のあと、彼は優しく微笑んだ。
「ありがとう。僕も、君のことをもっと知りたい」
その言葉を聞いて、エヴリンは胸に手を当てた。
自分の気持ちは、もう曖昧なものではなくなりつつある。
けれど、今すぐ結論を出さなければならないわけではない。
まずは、彼と過ごす時間を大切にしたい。
彼の言葉を聞き、自分の言葉も伝えながら、二人の関係を育てていきたい。
それが、今のエヴリンにできる、自分自身の選択だった。
◇
夜。
リヴィアは自室の机に向かい、青い革の手帳を開いた。
今日の出来事を思い返すと、胸の奥が何度でも温かくなる。
彼に伝えられた。
そして、彼も同じ未来を望んでくれた。
リヴィアはペンを手に取り、新しいページにゆっくりと書き込んだ。
『私は、ルシアンとの結婚を望むと伝えた』
続けて、少しだけ考えてから、もう一文を加える。
『彼もまた、私と同じ未来を望んでくれた』
文字を見つめていると、自然と涙が浮かんだ。
悲しいからではない。
長い間、心の中で探し続けていた答えに、ようやく自分の手でたどり着けたからだ。
リヴィアは手帳を閉じ、胸に抱いた。
これからは、答えを探すだけではない。
二人で選んだ未来を、少しずつ形にしていくのだ。
「……よろしくお願いします、ルシアン様」
小さな声で呟き、リヴィアは微笑んだ。
窓の外には、静かな夜空が広がっていた。
その先に待つ未来は、まだすべてが分かっているわけではない。
けれど今の彼女には、確かなものが一つあった。
自分の意思で選んだ、大切な人の手を取っている。
その手を、これからも離さずに歩いていきたい。
そう願う心だけは、もう迷っていなかった。




