私が選びたい、あなたの隣
朝の光がカーテンの隙間から差し込む中、リヴィアは机の上に置かれた手帳を見つめていた。
昨夜、自分の手で書き記した一行が、最初のページに残っている。
――ルシアンと、これからも一緒に歩いていきたい。
何度読み返しても、気持ちは変わらなかった。
彼と過ごす時間が好きだ。
彼のことを、もっと知りたい。
自分のことも、もっと知ってほしい。
そして、これから先の人生を、彼と一緒に築いていきたい。
もう、それを否定する理由はなかった。
「……よし」
リヴィアは手帳を閉じた。
今日こそ、きちんと自分の気持ちを伝えよう。
結婚の返事をするかどうかは、まだ決めていない。けれど、心の中にある答えを、いつまでも隠しておく必要はないはずだった。
彼に会ったら、まずは自分の気持ちを伝える。
そう決めて、リヴィアは部屋を出た。
◇
昼過ぎ、リヴィアはルシアンからの手紙を受け取った。
放課後、以前二人で訪れた庭園で会いたいという、短い内容だった。
偶然の一致に、彼女は思わず笑みをこぼす。
自分から会いたいと伝えようと思っていたのに、先に彼から誘われてしまった。
けれど、今日はそれを残念だとは思わなかった。
同じ時間を望んでいたのだと考えると、むしろうれしかった。
放課後。
約束の庭園に着くと、ルシアンは東屋のそばに立っていた。
濃紺の上着には銀糸の刺繍が施され、胸元には王家の紋章が輝いている。整った黒青色の髪が風に揺れ、深い青の瞳がリヴィアを見つけると、優しく細められた。
「来てくれてありがとう、リヴィア」
「こちらこそ。私も、あなたに会いたいと思っていたの」
「それはうれしいね。実は、僕も話したいことがあったんだ」
二人は東屋へ向かい、並んで腰を下ろした。
しばらく、穏やかな風の音だけが二人の間を通り過ぎた。
やがて、ルシアンが口を開いた。
「最近、君が未来について真剣に考えてくれていることを、僕はとてもうれしく思っている」
「……ええ」
「だからこそ、もう一度だけ伝えておきたいことがあるんだ」
ルシアンは、リヴィアの方へ体を向けた。
「君に結婚を望んでいることは、今も変わらない。君と人生を共にしたいと思っているし、いつか君を正式に僕の伴侶として迎えられたら、これ以上うれしいことはないだろう」
リヴィアは、彼の言葉を静かに聞いていた。
「でも、君が答えを出す前に、僕の気持ちを理由にして、自分の望みを曲げてほしくないんだ。君が僕と結婚したいと思うなら、その気持ちを大切にしてほしい。もし、まだ迷いがあるなら、それも正直に話してほしい」
「……ルシアン」
「僕は、君からどんな答えを聞いたとしても、君が真剣に考えてくれたことを大切にしたい」
その言葉に、リヴィアの胸が熱くなった。
彼はいつも、彼女に選ぶ時間を与えてくれる。
答えを急かすことも、自分の立場を利用することもない。
だからこそ、リヴィアは自分の気持ちから目をそらさずにいられた。
「ありがとう」
彼女は、小さく息を吸った。
「私も、あなたに伝えたいことがあるの」
「うん。聞かせて」
リヴィアは膝の上で指を組んだ。
緊張していた。
何度も心の中で練習した言葉なのに、いざ彼を前にすると、簡単には口から出てこない。
それでも、今度は逃げたくなかった。
「私ね……以前は、あなたと結婚することを考えると、何かを失ってしまう気がしていたの」
ルシアンは黙ってうなずいた。
「王族の伴侶になれば、今までのようには暮らせないかもしれない。あなたの立場にふさわしい人にならなければいけない。そう考えるたびに、自分にできるのか、不安になっていたわ」
「そうだったんだね」
「でも、あなたと話すたびに、少しずつ考えが変わっていったの」
リヴィアは顔を上げた。
「あなたは、私が何を望んでいるのかを聞いてくれた。私が学びたいことも、続けたいことも、諦めなくていいと言ってくれた。そして、あなた自身の望みも、私に伝えてくれたわ」
彼女の声は、少しずつ落ち着きを取り戻していた。
「そのたびに思ったの。あなたと一緒にいる未来は、私が一人で我慢して作るものではないんだって」
ルシアンの瞳が、穏やかに揺れた。
「……うん」
「もちろん、これから先に困ることはあると思う。あなたが忙しくて、思うように会えない日もあるでしょう。私たちの意見が食い違って、すぐには答えが出ないこともあるかもしれない」
リヴィアは、ほんの少し笑った。
「でも、そういうときに、あなたと一緒に考えたいの。自分の気持ちを伝えて、あなたの気持ちも聞いて、二人で納得できる答えを探したい」
そこまで話して、彼女は一度だけ視線を落とした。
胸の奥には、まだ緊張が残っている。
けれど、伝えたい言葉は、もう決まっていた。
「私は……あなたと一緒に生きていく未来を、望んでいるわ」
静かな庭園に、その言葉が落ちた。
ルシアンは、すぐには返事をしなかった。
驚いたように目を見開き、それから、何かを確かめるように彼女を見つめている。
リヴィアは、頬が熱くなるのを感じながらも、目をそらさなかった。
「あなたの隣で、これからもいろいろなことを学びたい。あなたがうれしいときには一緒に喜んで、つらいときには話を聞きたい。私が困ったときには、あなたにも頼りたいわ」
そして、彼女は微笑んだ。
「だから、ルシアン。私はあなたと結婚することを、前向きに考えているの。いつか、あなたの伴侶になる未来を、自分自身の意思で選びたいと思っているわ」
ルシアンは、ゆっくりと息を吐いた。
その表情に浮かんだのは、安堵と、抑えきれない喜びだった。
「……ありがとう、リヴィア」
彼は彼女の手を取った。
「君の口から、その言葉を聞けて、本当にうれしい」
「……そんなに、うれしいの?」
「うれしいよ。君が僕の立場や、僕が君を望んでいることだけを理由にしたのではなく、自分自身の意思で未来を考えてくれた。そのことが、何よりもうれしいんだ」
彼は、握った手にそっと力を込めた。
「ただ、今の言葉を聞いたからといって、すぐにすべてを決めようとは思わない。君がまだ確かめたいことがあるなら、これからも話し合っていこう」
リヴィアは、目を細めた。
「……ええ。ありがとう」
その返事をしたとき、彼女は気づいた。
自分はもう、結婚という選択肢を恐れているわけではない。
むしろ、その未来を想像すると、胸が温かくなる。
まだ正式な返事はしていない。
けれど、心の中では、答えが確かな形を持ち始めていた。
◇
庭園を出たあと、二人は学院の門まで一緒に歩いた。
夕暮れの光が石畳を照らし、遠くの街並みが柔らかな色に染まっている。
「リヴィア」
「何かしら?」
「これからも、君の望みを聞かせてほしい」
「ええ。あなたも、私に遠慮しないでね」
「約束するよ」
ルシアンは微笑んだ。
「それから……もし君がよければ、今度、僕の家族とゆっくり話をする機会を作りたいと思っているんだ」
リヴィアは、思わず足を止めた。
「あなたの、ご家族と?」
「ああ。兄上も、両親も、君と話せることを喜ぶと思う。もちろん、君が望むなら、という話だけれど」
リヴィアは少し考えた。
王族の家族と話すとなれば、緊張するに決まっている。
けれど、それは避け続けたいことではなかった。
ルシアンと結婚する未来を考えるなら、彼の家族について知ることも、自分にとって大切な一歩になるだろう。
「……ぜひ、お願いしたいわ」
「本当に?」
「ええ。緊張はすると思うけれど、あなたが大切にしている人たちのことを、もっと知りたいもの」
ルシアンは、うれしそうに笑った。
「ありがとう。では、皆に相談しておくよ」
「よろしくね」
再び歩き始めた二人の手は、自然に重なっていた。
その手を離したくないと思う。
これから先も、隣にいてほしいと思う。
その気持ちは、もうリヴィア自身にもはっきりとわかっていた。
◇
その夜、エヴリンは自室で、休日にアルベルトと出かけるための服を選んでいた。
以前にも何度か二人で出かけたことはある。
それなのに、今回はいつもより落ち着かない。
「……どうして、こんなに緊張するのかしら」
淡い色の服を手に取り、鏡の前で合わせてみる。
彼と会うのが楽しみなのは、もう間違いない。
けれど、最近は、ただ一緒に過ごすだけでは足りないような気持ちになることがあった。
もっと彼のことを知りたい。
彼が自分をどう思っているのか、知りたい。
そして、自分の気持ちも、いつかきちんと伝えたい。
「……私も、そろそろ考えなければいけないのかもしれないわね」
エヴリンは、服を胸元に当てたまま、小さくつぶやいた。
誰かを好きになるということは、相手の答えを待つだけではないのだろう。
自分はどうしたいのか。
その気持ちと向き合うことも、必要なのだ。
彼女は選んだ服を丁寧に畳み、椅子の上に置いた。
休日には、きっと楽しい時間を過ごせるだろう。
その時間を大切にしながら、自分の心にも正直でいたい。
そう思うと、少しだけ勇気が湧いてきた。
◇
翌朝。
リヴィアは、机の上に置いた手帳を開いた。
最初のページに書いた一行を、もう一度見つめる。
――ルシアンと、これからも一緒に歩いていきたい。
彼に気持ちを伝えた今、その言葉は以前よりも重みを持っていた。
自分の願いを、初めてきちんと相手に伝えたのだ。
それだけで、未来がすべて決まるわけではない。
けれど、心の中に留めていたものを言葉にできたことが、彼女にはうれしかった。
「次は……もう少し先のことを考えましょう」
リヴィアは新しいページを開いた。
そして、ゆっくりとペンを走らせる。
ルシアンの家族と会うこと。
二人で暮らす場所について話すこと。
結婚後も続けたい学びや活動について、具体的に考えること。
書き終えると、彼女は満足そうにうなずいた。
これは、結婚に向けて自分を変えるための計画ではない。
自分らしさを失わずに、彼と生きていくための準備なのだ。
窓の外では、新しい一日が始まっていた。
リヴィアは手帳を閉じ、穏やかな笑顔を浮かべた。
もう少しだけ、勇気を出そう。
いつか、迷いなく答えを伝えられるその日まで。
自分自身の心を大切にしながら、彼と一緒に未来を選んでいこう。




