あなたと歩む未来を、形にするために
庭園でルシアンと未来について話し合ってから、三日が過ぎた。
リヴィアは、学院の図書室で一冊の本を開いていた。
王族の婚姻に関する歴史書だった。
王族同士の結婚がどのように決められてきたのか。婚姻によって生じる義務には何があるのか。そして、王族の伴侶となった者が、どのような役割を担ってきたのか。
これまでも、必要な知識として目を通したことはあった。
けれど、今は違う。
自分自身の未来を考えるために、知っておきたいと思っていた。
「……思っていたより、決まりが多いのね」
ページをめくりながら、リヴィアは小さくつぶやいた。
王族の伴侶には、公務への参加や外交上の役割が求められる場合がある。結婚相手の立場によっては、住む場所や生活の仕方も変わる。
もちろん、すべてが自分の望みどおりになるわけではないだろう。
それでも、何も知らないまま答えを出すよりはいい。
自分が何を受け入れられて、何を大切にしたいのか。
それを考えるためには、まず現実を知る必要があった。
「ずいぶん熱心だね」
聞き慣れた声がして、リヴィアは顔を上げた。
向かいの席に、ルシアンが立っていた。
「ルシアン。どうしてここに?」
「君がこの本を借りたと聞いたからね。何か調べているのかと思って」
彼は彼女の前に座り、開かれた本に目を向けた。
「王族の婚姻に関する歴史書か」
「ええ。あなたと未来について話してから、きちんと知っておきたいと思ったの」
リヴィアは、本の端に指を添えた。
「あなたと一緒にいる未来を望んでいることは、もう自分でもわかっているわ。でも、それだけで結婚について答えを出してしまうのは、少し違う気がするの」
「どうして?」
「結婚したあと、どんな生活になるのか。私に何が求められて、何を大切にできるのか。それを知ったうえで、あなたと話し合いたいのよ」
ルシアンは、しばらく彼女を見つめた。
やがて、穏やかに微笑んだ。
「君らしい答えだね」
「また、そう言うのね」
「褒めているんだよ。気持ちだけで決めるのではなく、その先の生活まで考えようとしているんだから」
リヴィアは、少し照れくさそうに目を伏せた。
「……あなたは、私が結婚について調べていることを、どう思う?」
「うれしいよ」
あまりにも即座に返事が返ってきたので、リヴィアは驚いて顔を上げた。
「本当に?」
「ああ。君が僕との未来を真剣に考えてくれているということだろう?」
ルシアンは、机の上に置かれた本に視線を落とした。
「ただ、君が知っておいてほしいこともある」
「何かしら?」
「王族の伴侶として果たすべき役割はある。でも、それを理由に、君が今まで大切にしてきたものをすべて諦める必要はないんだ」
リヴィアは、静かに彼の言葉を聞いていた。
「君が学び続けたいなら、その時間を確保できるようにしたい。何かの活動を続けたいなら、それをどうすれば実現できるか一緒に考えたい。公務についても、最初からすべてを一人で背負う必要はない」
「……あなたが、そこまで考えてくれていたなんて」
「君と未来を築きたいと言ったのは僕だからね。君だけに努力を求めるつもりはないよ」
ルシアンは、まっすぐに彼女を見た。
「結婚は、君が僕の人生に合わせることではない。僕たち二人が、どうすれば一緒に生きていけるのかを考えることだと思っている」
リヴィアは、胸の奥が温かくなるのを感じた。
以前の自分なら、王族と結婚することは、自分の人生を大きく変えるものだと考えていた。
何かを諦めなければならない。
自分の望みより、相手の立場を優先しなければならない。
そう思い込んでいたのかもしれない。
けれど、ルシアンは違った。
彼は、自分が何を望んでいるのかを聞こうとしてくれる。
そして、二人で生きていくための方法を、一緒に考えようとしてくれる。
「……ありがとう、ルシアン」
「どういたしまして」
「私、あなたと結婚することについて、少しずつ具体的に考えられるようになってきたわ」
ルシアンの表情が、わずかに変わった。
けれど、彼はすぐに言葉を返さなかった。
リヴィアの話を、最後まで聞こうとしているのだ。
「まだ、すべての不安がなくなったわけではないの。でも、何が不安なのか、どうすれば解決できるのかを考えてみたいと思う」
「うん」
「そして、その答えを見つけるときには、あなたにも一緒に考えてほしいの」
ルシアンは、うれしそうに微笑んだ。
「もちろんだよ。いつでも話してほしい」
リヴィアも、そっと笑った。
まだ、結婚の返事は出していない。
けれど、二人の未来は、以前よりも確かな形を持ち始めていた。
◇
その日の午後、リヴィアはエヴリンと中庭で会っていた。
エヴリンは、手にした小さな帳面を大切そうに抱えている。
「それは、教室の記録?」
「うん。最近は、子供たちができるようになったことだけじゃなくて、次に何を学びたいと言っていたのかも書いているの」
「そうなのね」
「自分たちが考えて用意した教材が、子供たちに合っているかどうかも、きちんと確かめたいから」
エヴリンは、帳面の表紙を指先でなぞった。
「まだ、うまくできないこともあるけれど……。以前よりも、何をすればいいのか、少しずつ考えられるようになってきた気がするわ」
「とても大きな変化だと思う」
リヴィアがそう言うと、エヴリンは照れくさそうに笑った。
「ありがとう。リヴィアと話していると、自分が変わってきたことに気づけるの」
「私も同じよ。あなたが頑張っている姿を見ると、自分も前に進もうと思えるもの」
二人は、しばらく顔を見合わせて微笑んだ。
やがて、エヴリンが少し声を落とした。
「……ねえ、リヴィア。あなたは、ルシアン殿下との未来について、何か決めたの?」
リヴィアは、一瞬だけ考えた。
「まだ、結婚の返事はしていないわ。でも、以前よりも具体的に考えられるようになったの」
「具体的に?」
「ええ。私は、あなたたちと同じように、自分の望みをきちんと言葉にしたいと思っているの。何を大切にしたいのか、どんな生活を送りたいのか。それを彼と話し合いながら、答えを見つけたいのよ」
エヴリンは、うれしそうにうなずいた。
「それなら、きっと大丈夫よ。ルシアン殿下は、あなたの気持ちを大切にしてくださるもの」
「……そうね」
リヴィアは、穏やかに微笑んだ。
「それに、あなたもアルベルト殿下と、ずいぶん仲が深まったようね」
「えっ!?」
エヴリンの顔が、一気に赤くなった。
「ど、どうして急に私の話になるの?」
「だって、最近のあなたは、アルベルト殿下のお話をするとき、とても楽しそうだもの」
「そ、それは……」
エヴリンは帳面を胸元に抱え直した。
「一緒にいると、いろいろなことを学べるし、安心できるの。私が迷っているときも、きちんと話を聞いてくださるから」
「それだけ?」
「……リヴィア!」
エヴリンが抗議するように声を上げると、リヴィアは楽しそうに笑った。
「ごめんなさい。でも、あなたが幸せそうで、うれしいのよ」
エヴリンは、少しだけ表情を和らげた。
「……ありがとう」
そして、そっと付け加えた。
「私も、もう少し自分の気持ちを考えてみるつもり。急いで答えを出すのではなくて、アルベルト様と過ごす時間を大切にしながら」
「ええ。それがいいと思うわ」
二人は、再び庭園の花々に目を向けた。
それぞれが、自分の未来について考えている。
誰かに決められた答えではなく、自分自身が望む答えを見つけるために。
◇
数日後。
リヴィアは、ルシアンと王都の街を歩いていた。
今日は、彼が普段利用している公的な施設や、王族が関わる慈善活動の拠点を案内してくれることになっていた。
「ここは、王家が支援している学習施設の一つなんだ」
ルシアンが説明すると、リヴィアは建物を見上げた。
中からは、子供たちの声が聞こえてくる。
「こうした場所も、王族が支援しているのね」
「ああ。もちろん、王家だけですべてを運営しているわけではない。教師や地域の人々の協力があって、初めて成り立っているんだ」
リヴィアは、建物の前を通り過ぎる子供たちを見つめた。
「……エヴリンたちが取り組んでいる教室と、似ているところがあるわね」
「そうだね。小さな取り組みでも、続けることで誰かの助けになる。そうした活動を支えるのも、王族の役割の一つだと思っている」
彼の言葉を聞きながら、リヴィアは考え込んだ。
自分が王族の伴侶となったとき、どのような役割を担うことになるのか。
以前は、その問いを考えること自体が怖かった。
けれど、今は違う。
自分に何ができるのか。
何を学び、どのような形で人々と関わっていきたいのか。
そうしたことを考えるのは、思っていたほど苦しいことではなかった。
「ルシアン」
「うん?」
「私、こういう活動について、もっと知りたいわ。王族として何が求められるのかだけではなくて、実際にどんな人たちが、どんな思いで活動しているのかも」
ルシアンは、うれしそうに微笑んだ。
「それなら、これからもいろいろな場所へ案内するよ。もちろん、君が興味を持ったところからね」
「ありがとう」
リヴィアは、彼の隣を歩きながら、静かに笑った。
自分の未来について考えることが、少しずつ楽しみになっている。
何もかもを今すぐ決める必要はない。
知りたいことを知り、話したいことを話し、二人で考えていけばいい。
そして、いつか結婚という答えを選ぶ日が来たなら。
それは、不安から逃れるためでも、誰かの期待に応えるためでもなく、自分自身が望んだ未来であってほしい。
リヴィアは、隣を歩くルシアンを見上げた。
「……ねえ、ルシアン」
「どうした?」
「これからも、いろいろな場所へ連れていってね」
彼は、一瞬驚いたあと、笑顔になった。
「もちろん。君が望むなら、どこへでも」
「ふふ。まずは、王都の中からお願いするわ」
「承知しました、お嬢様」
「もう、からかわないでちょうだい」
リヴィアが頬を膨らませると、ルシアンは楽しそうに笑った。
その笑い声を聞きながら、彼女もまた笑顔になった。
まだ、答えを出すまでには時間が必要だろう。
けれど、二人は確実に前へ進んでいる。
互いの未来を知り、望みを伝え、共に歩く方法を探しながら。
そしてリヴィアは、少しずつ理解し始めていた。
結婚とは、人生の選択を終わらせることではない。
大切な人と一緒に、新しい選択を重ねていくことなのだと。




