王太子からの相談
アルベルトに呼び止められたエヴリンは、リヴィアと別れ、庭園の奥にある東屋へ向かっていた。
白い柱に蔦が絡まり、周囲には季節の花が咲いている。学院の生徒たちが行き交う通路から少し離れているため、落ち着いて話をするにはちょうどいい場所だった。
「ここなら、ゆっくり話せそうだね」
アルベルトはそう言って、エヴリンに椅子を勧めた。
「ありがとうございます。それで、ご相談というのは?」
エヴリンが腰を下ろすと、アルベルトも向かい側に座った。
普段の彼は、王太子としての威厳を崩さず、どんな場面でも落ち着いている。しかし今日は、いつもより少しだけ表情が硬かった。
「実は、王宮で進めている慈善事業についてなんだ」
「慈善事業、ですか?」
「ああ。王都の周辺に住む子供たちのために、読み書きや計算を学べる場所を増やそうという計画がある。今までは教会や一部の施設に頼っていたけれど、それだけでは十分とは言えないからね」
アルベルトは懐から数枚の書類を取り出した。
そこには、施設の候補地や必要な資金、教師の確保についての案が記されている。
「計画そのものは悪くないと思う。ただ、王宮の人間だけで考えていると、どうしても見落とすことがあるんだ」
「見落とすこと……」
「実際に支援を必要としている人たちが、何を求めているのか。それを十分に理解できていない可能性がある」
アルベルトは書類に目を落とした。
「施設を建てれば解決する、教師を雇えば解決する。そんな単純な話ではないはずだ。通うための時間や費用、家庭の事情だってあるだろう」
エヴリンは真剣な表情で耳を傾けた。
王太子が考えていることは、決して表面的な慈善活動ではなかった。
彼は、本当に必要な支援とは何なのかを知ろうとしている。
「それで、私に何を?」
「君の意見を聞きたいんだ。君は身分の違う人たちとも自然に話ができるだろう。それに、誰かが困っているとき、相手の立場から考えようとする」
「そんな……。私は、特別なことをしているつもりはありません」
「それが大切なんだと思う」
アルベルトは微笑んだ。
「特別なことをしようとするあまり、相手の声を聞き逃してしまうこともあるからね」
エヴリンは少し考え込んだ。
自分に、王太子の計画を助けられるほどの知識があるとは思えない。
政治の仕組みも、予算の管理も、専門的なことはほとんど知らない。
けれど、だからといって、最初から断る必要もないのではないだろうか。
「……私にできることがあるなら、お手伝いしたいです」
「本当かい?」
「はい。ただし、私の意見が必ず正しいとは限りません。それでもよろしければ」
「もちろんだよ。むしろ、違う意見を聞きたいと思っていたんだ」
アルベルトは、ほっとしたように笑った。
その笑顔を見て、エヴリンは胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
彼は自分を、ただ助けを必要とする少女として見ているのではない。
一人の人間として、考えを聞こうとしてくれている。
それが、何よりも嬉しかった。
けれど、同時に不思議な気持ちも生まれていた。
どうして、自分なのだろう。
学院には優秀な生徒が大勢いる。王宮には専門知識を持った人々もいる。
その中で、彼は自分を選んだ。
「アルベルト様は……どうして私に相談しようと思われたのですか?」
気づけば、エヴリンはそう尋ねていた。
アルベルトは少し驚いたように目を瞬かせたあと、静かに答えた。
「君と話していると、自分が当然だと思っていたことを、もう一度考え直すことができるからだよ」
「私と話すと?」
「うん。君は、相手が王族だからといって、何でも賛成するわけではないだろう?」
「そ、それは……」
「以前も、私の考えに率直な意見をくれたことがあった。あのとき、私は自分が正しいと思い込んでいたことに気づかされたんだ」
エヴリンは、少し困ったように笑った。
「私は、思ったことをそのまま口にしてしまうだけです」
「それが君の長所なんだと思う」
まっすぐな言葉だった。
エヴリンは返事に困り、膝の上で指を組み合わせた。
褒められることには慣れているつもりだった。けれど、こうして自分の考え方そのものを認められると、どう反応すればいいのか分からなくなる。
「……ありがとうございます」
ようやくそう答えると、アルベルトは満足そうに頷いた。
「それじゃあ、さっそくなんだけど」
彼は書類の一枚を差し出した。
「この候補地について、どう思う?」
エヴリンは受け取った書類に目を通した。
王都の西側にある建物で、以前は倉庫として使われていたらしい。広さも十分で、改修すれば教室として利用できそうだった。
「建物は広いですし、費用も抑えられそうですね。でも……」
「何か気になる?」
「はい。ここから少し離れた場所に、子供たちが多く暮らしている地区があったと思います。もし、そこから通うことになるなら……」
エヴリンは地図を指でなぞった。
「小さな子供が毎日この距離を歩くのは、大変ではないでしょうか?」
アルベルトは地図を覗き込んだ。
「確かに。距離までは十分に考慮していなかったな」
「それに、家の仕事を手伝わなければならない子供もいるかもしれません。毎日決まった時間に通うことが難しい子たちには、別の方法も必要なのではないでしょうか」
話しながら、エヴリン自身も考えがまとまっていくのを感じていた。
すべての子供が同じ環境にいるわけではない。
学ぶ機会を与えるだけではなく、その機会を実際に利用できるようにしなければ意味がないのだ。
「例えば、曜日によって授業の時間を変えたり、地域ごとに小さな学習場所を設けたり……。もちろん、費用や人手の問題もあると思いますけれど」
エヴリンは言葉を切った。
「すみません。私、つい……」
「どうして謝るんだい?」
アルベルトは不思議そうに首を傾げた。
「君の意見を聞きたくて、ここに来てもらったんだ。遠慮する必要はないよ」
エヴリンは彼を見つめた。
そして、今度は少しだけ自信を持って頷いた。
「……では、もう少し考えてみてもよろしいでしょうか?」
「ぜひお願いしたい」
アルベルトの表情が明るくなった。
その瞬間、エヴリンは気づいた。
誰かを助けるために、自分に何ができるのか。
その答えは、特別な力を手に入れることだけではないのかもしれない。
自分の目で見て、話を聞いて、考えたことを伝える。
小さな一歩でも、それが誰かの役に立つなら、意味がある。
そう思うと、胸の奥に新しい意欲が湧いてきた。
「アルベルト様。もしよろしければ、実際に候補地を見に行きませんか?」
「候補地を?」
「はい。書類だけでは分からないこともあると思いますから。近くに住んでいる方たちのお話も聞ければ、もっと具体的に考えられると思います」
アルベルトは一瞬驚いたあと、嬉しそうに笑った。
「それはいい考えだ。王宮の担当者にも同行してもらおう」
「ありがとうございます」
二人は、その後もしばらく計画について話し合った。
気がつけば、東屋に差し込む日差しは少しずつ傾き始めていた。
帰り際、アルベルトはエヴリンに声をかけた。
「今日はありがとう。君に相談してよかった」
「私も、いろいろ勉強になりました」
エヴリンは笑顔で答えた。
アルベルトは何かを言いかけたが、結局、穏やかに微笑むだけにとどめた。
今はまだ、伝えたい言葉を口にするには早い。
彼自身も、そう感じていた。
エヴリンが自分の未来を探し始めたように、彼女との関係もまた、急いで答えを出すものではないのだろう。
二人は並んで歩き始めた。
その背中を、庭園の向こうからリヴィアが偶然見かけていたことには、まだ気づいていなかった。




