↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
138/178

あなたの好きなものを知りたい

 休日の朝、リヴィア・アーデントは鏡の前で髪を整えていた。


 次の外出に向けて、職人街について調べ始めてから数日が経っている。


 見学を受け入れている工房の一覧を作り、街の地図に印をつけ、移動に必要な時間まで計算した。準備は順調だったが、昨日から一つだけ気になっていることがあった。


 ルシアンは、どんなものが好きなのだろう。


「……装飾品や魔法具に興味があるのは分かったけれど」


 鏡に映る自分に向かって、リヴィアは小さく呟いた。


 彼は王族として、珍しい品物を目にする機会が多いはずだ。美しいものも、価値のあるものも、きっと数え切れないほど見てきたに違いない。


 だからこそ、彼が個人的に心を引かれるものが気になった。


 高価だから欲しいのか。

 珍しいから見てみたいのか。

 それとも、作り手の考えや、そこに込められた工夫に惹かれるのか。


 本人に尋ねれば済む話なのに、いざ質問を考えると、どこか落ち着かなくなる。


 彼の好きなものを知りたい。


 ただそれだけのことが、以前よりもずっと大切なことに思えた。


 リヴィアは最後に髪飾りの位置を確かめると、鏡の前から離れた。


 今日は、工房の見学予約を確定させるために、ヴァロリア王宮の交流担当者へ届ける書類をまとめる予定だった。


 その途中で、ルシアンにも相談できればいい。


 そう考えて部屋を出た彼女の足取りは、いつもより少しだけ軽かった。



 ◇



 昼前、リヴィアは王宮の一角にある応接室を訪れた。


 学院と王宮の交流事業に関する書類を確認するため、ルシアンと会う約束をしていたのだ。


 案内された部屋は、淡い青を基調とした落ち着いた内装だった。窓際には銀細工の花瓶が置かれ、壁にはヴァロリア王都の古い街並みを描いた絵が掛けられている。


 テーブルの上には、交流事業の資料と数枚の地図が整然と並んでいた。


「待たせたかな、リヴィア」


 扉が開き、ルシアンが姿を現した。


 濃紺の上着には銀糸の刺繍が施され、胸元の紋章が窓からの光を受けて静かに輝いている。いつもと変わらない落ち着いた表情だったが、リヴィアを見つけると、その目元がわずかに和らいだ。


「いいえ。私も今来たところよ」


「それならよかった。今日は職人街の計画を持ってきてくれたんだね」


「ええ。こちらが見学できる工房の一覧で、こちらが街の地図よ」


 リヴィアは資料を広げ、準備してきた内容を説明した。


 最初に訪れるのは、古い技法で銀細工を作り続けている工房。その後、魔法を応用した実用品を制作する若い職人の工房へ向かい、最後にガラス工芸の店を見学する予定だった。


「移動時間も考えると、この順番が一番無理がないと思うの。もちろん、興味のある場所があれば変更しても構わないわ」


 説明を終えると、ルシアンは地図をじっくり眺めた。


「よく調べてあるね。工房の間も、歩いて回れる距離なのか」


「ええ。ただ、最後のガラス工房は少し離れているから、時間が足りなければ別の日にしてもいいと思っているわ」


「なるほど。君が考えた計画だから、僕はそのままでも十分楽しめそうだ」


「……まだ、実際に行ってみたわけではないでしょう?」


「そうだね。でも、君が何を見たいと思ったのかは、今の説明だけでも伝わってきたよ」


 リヴィアは、返事をするまでに少し時間がかかった。


 計画を褒められたことが嬉しかったのもある。


 けれど、それ以上に、自分が何を考えて準備したのかを、彼が理解しようとしてくれたことが心に残った。


「ありがとう。そう言ってもらえると、調べた甲斐があったわ」


「こちらこそ。僕のために時間を使ってくれてありがとう」


 ルシアンはそう言うと、資料を丁寧に重ねた。


 その仕草を見つめながら、リヴィアは思い切って口を開いた。


「……一つ、聞いてもいいかしら」


「もちろん」


「あなたは、どんなものを見るのが好きなの?」


 尋ねた途端、ルシアンが少し意外そうな顔をした。


「僕の好きなもの?」


「ええ。せっかく二人で出かけるのだから、私が見たいものだけではなく、あなたが見たいものも知っておきたいの」


 最後のほうは、声が小さくなってしまった。


 けれど、リヴィアは目を逸らさなかった。


 ルシアンはしばらく彼女を見つめていたが、やがて柔らかく笑った。


「そうだな……。完成したものを見るのも好きだけれど、作っている途中を見るほうが、もっと興味深いかもしれない」


「作っている途中?」


「うん。どうしてその形にしたのか。どこを工夫したのか。最初に考えたものから、どんなふうに変わっていったのか。そういう話を聞くと、同じ品物でも違って見えるんだ」


 彼は窓の外へ目を向けた。


「王宮にいると、完成した品物が運ばれてくることが多い。もちろん、それも大切な仕事の結果だ。でも、実際に作っている人の話を聞ける機会は、思ったほど多くないんだよ」


「……そうなのね」


「だから、職人街では、可能なら作り手の話を聞いてみたい」


 リヴィアは手元の資料を見下ろした。


 彼女が選んだ工房の一つは、まさにその希望に合っていた。代々受け継がれた銀細工の技術を守りながら、今の暮らしに合う道具も作っている工房だ。


「それなら、最初の工房がよさそうね。予約の際に、作業を見学できるか聞いてみるわ」


「ありがとう。でも、無理に頼まなくてもいいからね。職人にも都合があるだろうし」


「分かっているわ。できる範囲でお願いするつもりよ」


 そう答えてから、リヴィアはふと気づいた。


 彼の好みを知ったことで、計画の一部が少し変わった。


 自分が見たいものを選ぶだけではなく、彼の興味を知り、それを計画に取り入れる。


 どちらかが一方的に合わせるのではなく、二人の希望を並べて、ちょうどいい形を探していく。


 その過程そのものが、思いのほか楽しかった。


「……聞いてみてよかったわ」


「何が?」


「あなたの好きなものを知ることができたから」


 ルシアンは一瞬だけ黙った。


 そして、少しだけ意地悪そうに目を細める。


「それなら、もう一つ教えておこうかな」


「もう一つ?」


「僕は、君が興味を持ったものについて話してくれる時間も好きなんだ」


「……ルシアン殿下」


「君が何を見つけて、どうしてそれを気に入ったのか。聞いていると、僕も実際に見てみたくなるからね」


「それは……」


 リヴィアは言葉に詰まった。


 頬が熱くなるのを感じながら、手元の地図へ視線を落とす。


「……そういうことを、さらりと言わないでちょうだい」


「本当のことなんだけれど」


「分かっているから、困っているのよ」


 思わず本音がこぼれた。


 ルシアンは声を立てずに笑った。


 その笑い方が楽しそうで、リヴィアはますます顔を上げられなくなる。


 けれど、不思議と嫌ではなかった。


 彼が自分の話を聞きたいと思ってくれることも、自分が彼の好みを知りたいと思うことも、どちらも無理に作った気持ちではない。


 それを少しずつ確かめていく時間が、今の二人にはある。


「……当日は、ちゃんと案内するから」


「楽しみにしているよ」


「それから、あなたが見たいものも遠慮なく教えてね」


「分かった。では、当日は僕からも一つ提案していいかな」


「ええ。もちろんよ」


 そう答えたとき、リヴィアの胸の中に小さな期待が生まれた。


 自分の計画だけでは終わらない休日。


 彼の提案によって、思いがけない場所へ足を運ぶことになるかもしれない。


 そう考えると、予定表には書かれていない時間まで、楽しみになってきた。



 ◇



 書類の確認を終えた二人は、応接室を出て、王宮の回廊を並んで歩いていた。


 窓の外には整えられた庭園が広がり、低い生け垣の向こうでは庭師が花壇の手入れをしている。石畳には木々の影が揺れ、風が通るたびに葉の擦れる音が聞こえた。


「そういえば、リヴィア」


「何かしら?」


「君は、工房を見学したあと、何か買いたいものはあるの?」


「今のところ、特には考えていないわ。実際に見てみて、気に入ったものがあれば別だけれど」


「そうか。僕も同じだよ」


 ルシアンは歩く速度を少し緩めた。


「品物を買うことが目的ではないからね。作り手の話を聞いて、どんな考えで作られたものなのかを知れたら、それだけでも十分だと思う」


「……あなたらしい考え方ね」


「そうかな?」


「ええ。王族だから高価なものを見たい、という話になるかと思っていたわ」


「それは、僕がどれだけ贅沢な人間だと思われているのかな」


「そ、そういう意味ではなくて……!」


 慌てて弁解するリヴィアを見て、ルシアンは楽しそうに笑った。


「冗談だよ。君が何を考えていたのか、少し気になっただけだ」


「……本当に、あなたは時々意地悪ね」


「君が素直に答えてくれるから、つい聞きたくなるんだ」


 リヴィアは口を尖らせたものの、すぐに表情を和らげた。


 以前の自分なら、こんなやり取りをしているだけで、彼の真意を探ろうと必死になっていたかもしれない。


 今も、彼の言葉のすべてが分かるわけではない。


 それでも、分からないことがあるたびに不安になる必要はないのだと、少しずつ思えるようになっていた。


 分からなければ尋ねればいい。


 言葉を交わして、時間を重ねて、それでも分からないことがあれば、また考えればいい。


 未来についても、きっと同じなのだろう。


「……ルシアン殿下」


「うん?」


「私、最近、あなたと出かけるたびに思うことがあるの」


 ルシアンは足を止めず、静かに彼女のほうを向いた。


「どんなこと?」


「同じ場所にいても、見ているものは人によって違うのね。私は花の色や形が気になるけれど、あなたはその場所の歴史や、そこに関わった人のことを考えていたりする」


「そうかもしれないね」


「だから、一緒にいると、自分だけでは気づかなかったことを知ることができるの」


 言葉にしてみると、胸の中にあった感覚が、少しずつ輪郭を持ち始めた。


「今回の職人街でも、私が見たいと思っていたものだけではなく、あなたが見たいものも知ることができたでしょう? そうしたら、私一人で考えていたときとは違う計画になったわ」


「うん」


「それが……楽しいの」


 最後の一言を口にしたとき、リヴィアは恥ずかしさに頬を染めた。


 それでも、今度は目を逸らさなかった。


 ルシアンはしばらく彼女を見つめていた。


 その瞳に浮かんでいるのは、からかうような色ではなかった。


「僕も同じだよ」


 彼は穏やかに答えた。


「君と一緒にいると、今まで当たり前だと思っていたものを、別の角度から見ることがある。君が気づいたことを聞いて、初めて考えることもあるんだ」


「……本当に?」


「もちろん。だから、これからも君の考えを聞かせてほしい」


 その言葉は、決して大げさなものではなかった。


 将来の約束でも、結婚への返事を求める言葉でもない。


 ただ、これからも話をしたいという願いだった。


 リヴィアはその言葉を、胸の奥でゆっくりと受け止めた。


「……ええ。私も、あなたの考えを聞きたいわ」


 そう答えると、ルシアンは満足そうに微笑んだ。


 二人は再び歩き始めた。


 回廊の先には、王宮の庭園へ続く扉が見えている。扉の向こうでは、色とりどりの花が風に揺れていた。


 リヴィアはその景色を眺めながら、ふと思った。


 未来を共にするというのは、いつも同じものを見て、同じ考えを持つことではないのかもしれない。


 違うものを見て、違うことを考えて、それでも相手の話を聞きたいと思うこと。


 自分の希望を伝えながら、相手の希望にも耳を傾けること。


 そして、二人で話し合いながら、次の一歩を決めていくこと。


 それならば、自分にも少しずつできるような気がした。


 まだ、すべての答えは出ていない。


 けれど、答えを探す時間まで、怖がらなくてもいい。


「リヴィア?」


 呼びかけられて、彼女は顔を上げた。


「何かしら?」


「ずいぶん嬉しそうな顔をしているね」


「……そう?」


「うん。何かいいことでも思いついた?」


 リヴィアは少し考えたあと、穏やかに笑った。


「ええ。次の休日が、今までよりも楽しみになったの」


「それはよかった」


 ルシアンも笑った。


 彼はそれ以上、理由を尋ねなかった。


 そのさりげない気遣いが、リヴィアには嬉しかった。


 今すぐ言葉にできない気持ちがあってもいい。


 自分の中で大切に育てながら、いつか伝えられる日が来るかもしれない。


 その日がいつになるのかは、まだ分からない。


 だからこそ、今は目の前にある時間を大切にしよう。


 リヴィアは、隣を歩くルシアンをそっと見上げた。


 彼がどんな景色を好み、何を大切にしているのか。


 自分が何を望み、どんな未来を歩みたいのか。


 その二つを知るために、これからも一緒に歩いていきたい。


 そう思えたことが、今日の彼女にとって何よりの収穫だった。


 次の休日まで、あと少し。


 リヴィアは心の中で、もう一度その日を数えた。


 今度は、自分の選んだ場所へ彼を案内するために。


 そして、彼が見せてくれる景色を知るために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。