最後の日に残す言葉
交流祭、最終日。
王立セイレーン学院の正門には、朝から多くの人が集まっていた。
五日間にわたって続いた交流祭も、今日で最後になる。
学院の中庭には、両国の旗が並んでいる。
エルディア王国の紋章旗。
ヴァロリア王国の紋章旗。
その二つの旗の間には、今回の交流祭のために作られた小さな青銀色の旗が掲げられていた。
両国の紋章を組み合わせたものではない。
新しく作られた、交流そのものを表す旗だった。
「今日で最後なんですね」
セレネが空を見上げる。
銀色の髪が朝の風に揺れる。
「ええ」
リヴィアは頷いた。
「長かったような、短かったような……」
「私は短かったです」
セレネは少し寂しそうに笑った。
「もっと続けばいいのにと思います」
「そう思えるなら、きっと大丈夫よ」
「え?」
「終わることと、なくなることは違うから」
リヴィアは中庭を見る。
そこには、これまで交流祭に参加してきた生徒たちがいる。
エルディアの生徒。
ヴァロリアの生徒。
昨日まで一緒に笑っていた仲間たち。
「交流祭が終わっても、交流そのものが終わるわけじゃないでしょう?」
「……はい」
セレネが頷く。
「来年も続く予定です」
「そう」
「その次の年も」
「ええ」
「では、来年の私は、今年とは違うことを選べますね」
「もちろん」
リヴィアは笑った。
「それが今回の交流祭で決めたことだから」
その頃。
「リヴィア!」
エヴリンがこちらへ走ってきた。
「おはよう」
「おはよう、エヴリン」
「今日は最後だから、絶対に全部見て回ろうね!」
「全部?」
「全部!」
エヴリンは両手を握りしめる。
「料理も、魔法も、音楽も、展示も!」
「時間が足りなくならない?」
「大丈夫!」
「その自信はどこから……」
「気合い!」
「……」
リヴィアが苦笑する。
その後ろからノエルもやってきた。
「エヴリン、昨日も同じことを言って、最後に疲れて座っていただろ」
「今日は大丈夫!」
「昨日もそう言ってた」
「今日は本当に大丈夫!」
「信用していいのか?」
「いいよ!」
ノエルは少しだけ笑った。
以前なら、自分の未来を捨てようとしていた少年。
今では、こんな何気ない会話をしている。
リヴィアはその姿を見ながら、胸の奥で静かに思った。
未来を選ぶということは。
大きな決断だけを意味するわけではない。
今日、誰と話すのか。
何を食べるのか。
どこへ行くのか。
明日もここへ来たいと思うのか。
そんな小さな選択もまた、未来につながっている。
「リヴィア」
声をかけられて振り返る。
ルシアンだった。
黒に近い青色の髪。
深い青色の瞳。
いつもと変わらない落ち着いた表情。
「おはよう」
「おはよう」
ルシアンはリヴィアを見る。
「今日は忙しくなりそうだな」
「そうね」
「最後まで楽しめそうか?」
「もちろん」
リヴィアは微笑む。
「あなたは?」
「俺も楽しむつもりだ」
「……」
リヴィアは少しだけ彼の顔を見る。
昨日、ルシアンは言った。
交流祭が終わる日に、秘密を明かすと。
何をするつもりなのか。
それだけが、まだ分からない。
「どうした?」
「何でもないわ」
「そうか」
ルシアンは意味ありげに笑った。
「なら、行こう」
「ええ」
午前中。
最後の日の交流祭は、これまでの四日間とは少し違っていた。
学生たちが、それぞれの活動の成果を発表する日だった。
魔法班は、エルディア式とヴァロリア式の魔法陣を組み合わせた共同魔法を披露する。
料理班は、両国の食材を使った新しい料理を並べる。
文化班は、それぞれの国の伝統と、今回新しく生まれた文化を展示する。
音楽班は、両国の楽器を使った合同演奏を行った。
そして。
未来記録班は、これまでの記録を公開する。
大勢の生徒たちの前に、分厚い一冊の本が置かれた。
『交流祭・未来記録』
表紙には、エルディアとヴァロリアの名前。
その下には。
『第一回』
と書かれている。
「第一回……」
セレネがその文字を見つめる。
「なんだか不思議ですね」
「何が?」
「この本が、第一回なんです」
「ええ」
「ということは、第二回があるんですね」
「そうなるでしょうね」
リヴィアが笑う。
「そして、その時には私たちとは違う人たちが、この本を開く」
「……」
セレネは少しだけ本を撫でた。
「不思議です」
「そう?」
「はい」
セレネは微笑む。
「私は以前、未来を全部記録しなければならないと思っていました」
「今は?」
「全部じゃなくていいと思います」
「どうして?」
「未来には、まだ何も書かれていない場所が必要だからです」
リヴィアは静かに頷いた。
「その通りね」
発表が始まる。
最初は魔法班。
続いて料理班。
文化班。
そして最後に、未来記録。
リヴィアが壇上へ上がった。
会場には、学生だけではない。
学院関係者。
両国の王族。
国の代表者たち。
そして、ルシアンもいる。
リヴィアは一度だけ深呼吸した。
「今回の交流祭を通して、私たちは多くの違いを知りました」
会場が静かになる。
「魔法の使い方も違います」
「料理も違います」
「文化も、考え方も違います」
そこで少し間を置く。
「でも、違うからといって、一つにする必要はありませんでした」
リヴィアは続ける。
「相手の考えを知ることで、一緒にできることを探すことができたからです」
会場の何人かが頷く。
「だから、私たちは一つの結論を出しました」
リヴィアは後ろにある記録本を見る。
「この交流祭を、毎年続けます」
拍手が起きる。
「ただし」
拍手が止まる。
「毎年、同じことをする必要はありません」
エヴリンが笑った。
ノエルも頷く。
「その年に参加する人たちが、その年に必要なものを考える」
「去年と違ってもいい」
「今年より良くても、うまくいかなくてもいい」
「大切なのは、自分たちで考えて、選ぶこと」
リヴィアは会場を見渡した。
「そして、次の世代へ渡すことです」
拍手が起きる。
今度は、先ほどよりも大きかった。
リヴィアが壇上から降りると、セレネが近づいてきた。
「素敵でした」
「ありがとう」
「リヴィアは、人前で話すのが上手ですね」
「そんなことないわ」
「緊張していましたか?」
「少し」
「全然見えませんでした」
「……」
リヴィアは苦笑する。
「昔よりは、慣れたのかもしれないわね」
その言葉に。
セレネは何も言わず、優しく笑った。
午後。
最後の自由時間。
学生たちは思い思いに交流祭を楽しんでいた。
フィリアは最後までパンの店から離れなかった。
「フィリア」
リヴィアが声をかける。
「はい」
「帰るわよ」
「あと一個だけ」
「さっきも聞いたわ」
「最後の一個です」
「その台詞、今日だけで三回目よ」
フィリアは真剣に悩む。
「では、最後の最後の一個」
「増えてるじゃない」
セレネが笑う。
「リヴィア」
「何?」
「この光景も記録に残した方がいいと思います」
「パンのこと?」
「はい」
「……」
リヴィアは諦めた。
「好きにして」
その後。
学生たちは最後に交流の木の下へ集まった。
木には、これまで以上に多くの紙が結ばれている。
風が吹く。
無数の願いが揺れる。
「最後に、一枚だけ書きましょう」
エヴリンが言った。
「みんなで?」
「うん」
大きな紙が用意された。
一人ずつ、そこへ言葉を書いていく。
『また来年』
『来年はもっと多くの人に参加してほしい』
『新しい料理を作りたい』
『新しい魔法を研究したい』
『また会いたい』
セレネは最後にペンを取った。
少し考えて。
『次にここへ来る人たちが、自分の未来を選べますように』
と書いた。
リヴィアはその文字を見て微笑む。
そして、自分の番になる。
何を書こうか。
少し迷った。
やがて。
『今日より少しだけ、未来を楽しみにできますように』
そう書いた。
紙を木に結ぶ。
隣にはルシアンが立っている。
「君らしいな」
「そう?」
「ああ」
「あなたは?」
「俺はもう書いた」
「……」
リヴィアは彼の折り畳まれた紙を見る。
「それ?」
「そう」
「最後まで秘密なのね」
「ああ」
ルシアンは笑う。
「今日が終わるまで」
夕暮れが近づいていた。
交流祭最後の催しが始まる。
両国の学生による合同演奏。
学院の中庭に音楽が響く。
エルディアの楽器。
ヴァロリアの楽器。
異なる音色が重なり、一つの曲になる。
リヴィアはその音を聞きながら思った。
昔の自分なら。
きっと、どこかに「正解の曲」があると思っていただろう。
決められた音。
決められた旋律。
決められた結末。
でも。
今、目の前で奏でられている音楽には、最初から決められた完成形なんてない。
演奏する人たちが、その瞬間に音を合わせている。
だからこそ。
今しか聞けない音になる。
「……綺麗」
リヴィアが呟く。
「そうだな」
ルシアンが隣で答えた。
二人はしばらく何も言わず、音楽を聞いていた。
やがて曲が終わる。
大きな拍手が起きた。
そして。
交流祭最後の夜が始まろうとしていた。
リヴィアは空を見上げる。
夕焼けの向こうに、一番星が見えている。
交流祭は、もうすぐ終わる。
けれど。
この五日間で始まったものは、終わらない。
友情も。
交流も。
新しい未来も。
そして。
ルシアンが隠している、最後の秘密も。
「リヴィア」
「何?」
「少しだけ時間をもらえるか?」
ルシアンが言った。
リヴィアは彼を見る。
深い青色の瞳。
その表情はいつもより少しだけ真剣だった。
「……分かった」
二人は、夕暮れの中庭を歩き始める。
交流の木の下を離れて。
人の少ない場所へ。
リヴィアの胸が、少しだけ高鳴る。
今日。
何かが変わるのかもしれない。
それでも彼女は、急がなかった。
分からない未来を。
今は、楽しみにしていた。




