祭りの終わりに近づくほど
交流祭、四日目。
朝の王立セイレーン学院は、初日とは違った活気に包まれていた。
始まったばかりの頃にあった緊張感は、もうほとんど残っていない。
エルディアの生徒とヴァロリアの生徒が、自然に同じ場所で話している。
「おはよう!」
「おはよう。昨日の魔法実験、見た?」
「ああ。あれ、もう一度やってみたいんだ」
「じゃあ、今日の午後に一緒にやろうよ」
そんな会話が、学院のあちこちから聞こえてくる。
リヴィアはその様子を眺めながら、ゆっくりと歩いていた。
灰金色の髪が朝の風に揺れ、背中の中ほどまで伸びた髪の先が、淡い光を受けて柔らかく輝く。
青灰色の瞳に映るのは、以前なら想像することさえできなかった光景だった。
異なる国の生徒たちが、何の警戒もなく笑い合っている。
「すごいですね……」
隣を歩くセレネが呟いた。
銀色の髪が肩から滑り、胸元の青い水晶と、ヴァロリアから贈られた銀青色のペンダントが小さく揺れる。
「何が?」
「最初の日は、皆さん少し緊張していました」
「そうだったわね」
「今は……まるで、ずっと前から友達だったみたいです」
セレネは少しだけ目を細めた。
「人は、こんなに早く変わるものなのですね」
「人が変わったというより……」
リヴィアは前方を見る。
「知らなかった人を、知るようになっただけなのかもしれないわ」
「……」
「知らないから怖い。知らないから距離を取る。でも、話してみれば、案外普通だったりするでしょう?」
「はい」
セレネは頷いた。
「私も最初は、学院という場所が怖かったです」
「今は?」
「好きです」
即答だった。
リヴィアは思わず笑う。
「ずいぶん変わったわね」
「はい」
「何が一番好き?」
「昼食です」
「……」
「特にパンが」
「そこは変わらないのね」
二人が笑う。
すると、前方からフィリアが走ってきた。
「リヴィア!」
「どうしたの?」
「大変です!」
「何が?」
「パンが増えました!」
「……」
フィリアが両手に抱えている籠には、焼きたてのパンが山のように入っていた。
「誰がこんなに……」
「ヴァロリアの料理班がくれました」
「なるほど」
「三十個あります」
「三十……」
リヴィアは額に手を当てた。
「昨日より増えてない?」
「交流が深まった証拠です」
「パンの数で交流の深さを測らないで」
フィリアは真剣な顔で頷いた。
「分かりました」
「分かったの?」
「では、四十個ならもっと深い交流ということですね」
「そういう意味じゃないわ!」
セレネが楽しそうに笑った。
「リヴィア、今日は朝から元気ですね」
「誰のせいだと思っているの……」
そんな何気ないやり取りをしながら、四人は中庭へ向かった。
今日の中心企画は、これまでの交流祭で学んだことを実際の形にする「共同活動の日」だった。
学生たちは、それぞれ選んだ分野で両国の生徒と協力する。
魔法。
料理。
音楽。
剣術。
芸術。
そして――未来記録。
リヴィアたちが担当するのは、もちろん最後の記録だった。
大きな机の上には、一冊の分厚い本が置かれている。
表紙には金色の文字。
『交流祭・未来記録』
その横には、昨日までのページが並んでいた。
最初のページ。
今回の交流祭が始まった理由。
次のページには、学生たちが考えた未来への提案。
その次には、それぞれの班が感じたこと。
料理について。
魔法について。
文化について。
意見がぶつかったこと。
そこから新しい方法を見つけたこと。
そして最後に。
まだ何も書かれていないページがある。
リヴィアはそのページを指先で撫でた。
「本当に真っ白ね」
「はい」
セレネが隣から覗き込む。
「このページは、未来の学生たちのために残すのでしょう?」
「ええ」
「では、今日のことも全部書くのですか?」
「全部ではなくていいと思う」
リヴィアは少し考える。
「重要なのは、正しい答えを残すことじゃないから」
「……」
「私たちが何を考えて、何を選んで、何に悩んだのか。それが残っていれば、次の人たちはそこから考えられるでしょう?」
「自分たちで選べるように?」
「そう」
セレネは微笑んだ。
「それなら、私も書きたいです」
「もちろん」
午前の活動が終わり、昼休み。
学院の中庭では、両国の料理班が用意した料理が並べられていた。
エルディアの果物を使った菓子。
ヴァロリアの蜂蜜を使った焼き菓子。
香辛料を使った肉料理。
そして――大量のパン。
「……多いわね」
リヴィアが呟く。
「素晴らしいですね」
フィリアが幸せそうに言った。
「どれから食べます?」
「一つずつにしなさい」
「全部食べます」
「一つずつと言ったでしょう」
「全部、一つずつです」
「……」
リヴィアはもう何も言わなかった。
少し離れた場所では、ルシアンがエヴリンたちと話していた。
黒に近い青色の髪。
深い青の瞳。
いつもの落ち着いた表情。
しかし、リヴィアと目が合った瞬間。
彼は小さく笑った。
「……」
リヴィアは少しだけ視線を逸らす。
最近、ルシアンと目が合うだけで妙に意識してしまう。
以前なら、もっと冷静に対応できたはずなのに。
「リヴィア?」
セレネが不思議そうに見る。
「何でもないわ」
「顔が少し赤いです」
「暑いだけよ」
「今日はそこまで暑くありませんが」
「……」
リヴィアは黙った。
その時、ルシアンがこちらへ歩いてくる。
「昼食はもう食べたか?」
「まだよ」
「なら、一緒に――」
そこでルシアンが何かに気づいた。
「……」
リヴィアの後ろにあるパンの山を見る。
「フィリア」
「はい」
「これは?」
「交流の証です」
「そうか」
「納得しないで!」
リヴィアが叫ぶ。
ルシアンは小さく笑った。
「なら、俺も一つもらおう」
「え?」
「ヴァロリアのパンは好きだからな」
「……」
リヴィアは少し驚いた。
「あなたもパン好きだったの?」
「嫌いではない」
「初めて知ったわ」
「まだ知らないことは多いからな」
ルシアンはそう言って、一つのパンを手に取った。
「だから知っていくのだろう」
「……」
その言葉に、リヴィアは静かに笑った。
「そうね」
午後。
未来記録の作業が始まる。
学生たちは一人ずつ、自分の言葉を書いていった。
ある生徒は。
『違う国の料理を食べて、自分の知らない味を知った』
別の生徒は。
『魔法の方法が違っても、一緒に使えることが分かった』
また別の生徒は。
『意見が合わない時は、相手が間違っていると決める前に理由を聞きたい』
セレネはしばらくペンを握ったまま考えていた。
「セレネ?」
リヴィアが声をかける。
「何を書こうか考えています」
「焦らなくていいわ」
「はい」
しばらくして。
セレネはゆっくり文字を書き始めた。
『未来は、怖いものだと思っていました』
一行目。
『決められた未来があるなら、その通りに生きればいいと思っていました』
二行目。
そして。
『でも、今は違います』
そこで少しだけ手が止まった。
セレネは周囲を見る。
ミアが笑っている。
リーナが料理を運んでいる。
フィリアがパンを食べている。
エヴリンが誰かと話している。
ノエルが記録の整理を手伝っている。
リヴィアがこちらを見ている。
そして。
ルシアンが静かに微笑んでいる。
セレネは続きを書いた。
『未来が分からないからこそ、明日を楽しみにできる』
最後に。
『私は、明日も自分で選びたいです』
ペンを置く。
「……書けました」
「うん」
リヴィアは笑った。
「とても、セレネらしいと思う」
「ありがとうございます」
その日の夕方。
交流の木には、また新しい願いが増えた。
『違いを知ることを恐れない』
『またここに戻ってきたい』
『来年は、今年とは違うことをやってみたい』
『次の人たちにも、この場所を残したい』
そして、その中に一枚。
リヴィアが書いたものがあった。
『分からない未来を、楽しめますように』
その隣には。
ルシアンの紙がある。
ただし、文字は外から見えないように折り畳まれていた。
「……」
リヴィアはそれを見つめる。
「まだ秘密なのね」
「まだな」
ルシアンが答える。
「もうすぐなの?」
「ああ」
「明日?」
「明日ではない」
「じゃあ、いつ?」
ルシアンは少しだけ考えて。
「交流祭が終わる日」
そう答えた。
「……」
リヴィアの胸が、ほんの少しだけ高鳴った。
何をするつもりなのか。
まだ分からない。
それでも。
以前の自分なら、不安で答えを急いでいただろう。
けれど今は違う。
分からないなら。
その時まで待てばいい。
そして、その時が来たら。
自分で答えればいい。
リヴィアは交流の木を見上げた。
夕暮れの光が、無数の紙を金色に染めている。
「楽しみね」
小さく呟く。
「何が?」
ルシアンが尋ねる。
「明日よ」
リヴィアは笑った。
「明日、何が起きるのか分からないから」
ルシアンも微笑む。
「……そうだな」
交流祭、四日目。
残された時間は、あと一日。
そして。
彼らが残した「未来記録」にも、少しずつ最後のページへ向かう時間が近づいていた。
けれど、その最後のページに何を書くのかは。
まだ、誰にも決まっていない。
それはきっと。
これまでの彼らが歩んできた未来と同じだった。




