交流祭に向けた最後の確認
交流祭まで、残り四日。
朝の王立セイレーン学院は、いつも以上に慌ただしかった。
廊下には大きな箱が積まれ、学生たちは何度も行き来している。
中庭には屋台が並び始め、講堂の入口には両国の国旗が掲げられていた。
交流祭は、もうすぐそこまで迫っている。
「よし……」
リヴィアは手元の確認表を見つめた。
「料理班、問題なし」
「はい!」
ミアが元気よく答える。
「文化展示、問題なし」
「こちらも大丈夫です」
リーナが頷く。
「魔法演習、問題なし」
レオンが答える。
「剣術演習も問題ない」
ノエルが続ける。
「音楽班は?」
「最終練習を今日の午後に行います」
セレネが答えた。
「そして未来の提案については――」
リヴィアは一枚の紙を見る。
「発表原稿、完成」
「未来記録も?」
「第一稿は完成しています」
セレネが頷く。
「学院長が正式な記録として保存してくださるそうです」
「よかった」
エヴリンが笑う。
「これで、私たちが卒業しても続けられるね」
「そうね」
リヴィアも微笑んだ。
しかし。
その直後。
「……一つ問題があります」
ミアが手を挙げた。
「何?」
「料理の材料が一つ足りません」
「え?」
「ヴァロリアから届く予定だった蜂蜜です」
室内の空気が少し変わった。
「まだ届いていないの?」
「はい」
ミアが頷く。
「昨日の夕方に届く予定だったのですが」
「輸送の問題かしら?」
「分かりません」
リヴィアは確認表を見る。
「レオン、ヴァロリア側には連絡できる?」
「ああ。すぐに確認する」
「お願い」
レオンが部屋を出ていく。
リヴィアは少し考えた。
「代用品を用意する?」
「それも考えています」
ミアが答える。
「でも、ヴァロリアの蜂蜜を使うこと自体が、今回の料理交流の意味でもあるので」
「そうね」
セレネが頷く。
「違う国のものを使うことに意味があります」
「なら、待つしかないか」
ノエルが言う。
「ただし、当日まで待つのは危険ね」
リヴィアが答える。
「もし届かなかったら、別のメニューに変更する必要がある」
「分かりました」
ミアは頷いた。
すると。
「では、私はパンを用意します」
フィリアが手を挙げた。
「あなたはパン担当じゃないでしょう」
「でも、パンならいつでもあります」
「それはあなたが食べているだけよ」
「……」
フィリアは少し考えた。
「では、食べないパンを用意します」
「その方が普通なのよ」
エヴリンが吹き出した。
午前中。
レオンが戻ってきた。
「確認できた」
「どうだった?」
リヴィアが尋ねる。
「ヴァロリア側の荷物は昨日、王都を出ている」
「なら、遅れているだけ?」
「ああ」
レオンは頷く。
「途中の街道で荷馬車の車輪が壊れたらしい」
「怪我人は?」
「いない」
「それならよかった」
リヴィアは胸を撫で下ろす。
「到着予定は?」
「明日の昼」
「交流祭には間に合うわね」
「ああ」
ミアが嬉しそうに笑う。
「よかった……」
その時、レオンが少し笑った。
「ただ」
「何?」
「ヴァロリア側から伝言がある」
「伝言?」
「『蜂蜜は無事だが、ついでにパンも大量に送った』そうだ」
フィリアの目が輝いた。
「……!」
「フィリア」
リヴィアが先に釘を刺す。
「まだ何も言ってません」
「顔に出てるわ」
「嬉しいです」
「分かってるわよ」
その日の昼。
学生たちは中庭で昼食を取っていた。
交流祭が近づくにつれ、エルディアとヴァロリアの学生たちは自然に同じ場所で食事をするようになっていた。
ミアとリーナはセレネの隣に座っている。
レオンはノエルたちと話していた。
エヴリンはリヴィアの向かい。
そしてルシアンは、その隣に座っていた。
「いよいよ四日後ね」
エヴリンが言う。
「そうね」
「なんだか早かったなあ」
リヴィアは周囲を見る。
最初に交流祭の話が出た頃とは、学院の雰囲気が全く違っていた。
最初は「両国の学生が一緒に行事をする」。
それだけだった。
今では。
友達ができ。
一緒に料理を作り。
文化について話し。
来年の話までしている。
「これが、交流というものなのかもしれないわね」
リヴィアが呟く。
「何か言った?」
エヴリンが尋ねる。
「ううん。何でもない」
その時。
「リヴィア」
ルシアンが声をかける。
「何?」
「これ」
彼が小さな紙袋を差し出した。
「?」
「ヴァロリアの菓子だ」
「どうして?」
「昨日、兄上からもらった」
「それを私に?」
「ああ」
リヴィアは紙袋を受け取る。
「……ありがとう」
袋を開けると、中には小さな焼き菓子が入っていた。
表面には蜂蜜が薄く塗られている。
「美味しそう」
エヴリンが覗き込む。
「一つ食べる?」
「いいの?」
「もちろん」
エヴリンが一つ取る。
リヴィアも一つ。
「……美味しい」
蜂蜜の甘さと香ばしい生地が口の中に広がる。
「交流祭で出す予定のものとは違う?」
ミアが聞く。
「これは家庭用らしい」
ルシアンが答える。
「へえ」
セレネも一つ手に取る。
「……」
ゆっくり食べる。
「美味しいです」
「でしょう?」
リヴィアが笑う。
「ヴァロリアのお菓子、好きになった?」
「はい」
セレネは頷いた。
「新しいものを知るのは楽しいです」
リヴィアはその言葉を聞いて、少し嬉しくなった。
以前のセレネなら。
「好き」という感情そのものを、こんなに自然に口にすることはなかっただろう。
今では。
美味しい。
楽しい。
嬉しい。
会いたい。
明日も来たい。
そんな小さな感情を、一つずつ覚えている。
午後。
講堂で最終リハーサルが行われた。
学生代表の発表。
両国の国旗。
交流の歴史。
文化紹介。
最後に未来の提案。
リヴィアは舞台中央に立つ。
観客席には誰もいない。
それでも緊張する。
「……」
リヴィアは小さく息を吐く。
「大丈夫か?」
舞台袖にいたルシアンが声をかける。
「大丈夫」
「手が震えている」
「……」
リヴィアは自分の手を見る。
「これは……少しだけ」
「緊張しているな」
「分かってるわよ」
「なら、深呼吸するといい」
リヴィアは息を吸う。
ゆっくり吐く。
もう一度。
「……よし」
「顔が戻った」
「何それ」
ルシアンが笑う。
リヴィアも少し笑った。
リハーサルが始まる。
エヴリンが交流の目的を説明する。
レオンがヴァロリア側の意見を話す。
ミアとリーナが文化交流について話す。
セレネが未来記録について説明する。
そして最後。
リヴィアが前へ出る。
「私たちは、未来を決めることはできません」
誰もいない客席に向かって話す。
「未来には、予想できないことがたくさんあります」
一歩。
「だからこそ、私たちは一緒に考えることができます」
もう一歩。
「意見が違っても」
そして、最後の言葉。
「自分たちの未来を、自分たちで選ぶ自由を守る」
言葉が講堂に響く。
静寂。
そして。
「……いいと思います」
セレネが舞台袖から言った。
「本番でも、きっと伝わります」
「そうかな」
「はい」
セレネは笑う。
「私にも伝わりましたから」
リヴィアは微笑んだ。
その夜。
学院の中庭には、まだ何人かの学生が残っていた。
交流の木に、新しい願いが結ばれていく。
『来年も友達と会えますように』
『もっとたくさんの国の料理を食べたい』
『ヴァロリアで勉強してみたい』
『いつか両国を自由に行き来したい』
そして。
リヴィアは一枚の紙を見つめる。
そこには、見覚えのある文字があった。
『明日も、今日と同じように笑えますように』
セレネの願い。
その隣には、新しく結ばれた紙。
『この未来を、次の人にも渡せますように』
リヴィアはその言葉を見て、静かに微笑んだ。
「……セレネらしいわね」
「そうだな」
ルシアンが隣に立つ。
「あなたは、何を書くの?」
「まだ決めていない」
「珍しいわね」
「そうか?」
「いつも何でも決めているように見えるから」
「俺も迷うことはある」
「本当に?」
「ああ」
ルシアンは木を見上げる。
「ただ、君より少し隠すのが上手いだけだ」
「……」
リヴィアは少し笑った。
「ずるい」
「何が?」
「そういうところ」
二人の間に、穏やかな沈黙が流れる。
遠くで学生たちの笑い声が聞こえる。
学院の灯りが、夜の中庭を照らしている。
交流祭まで、残り四日。
準備はほとんど終わった。
あとは、本番を迎えるだけ。
けれどリヴィアは知っていた。
交流祭が終わっても、未来は続く。
だからこそ。
この四日間だけではなく。
その先の一日一日も。
自分たちで選んでいきたい。
「……明日も、頑張りましょう」
リヴィアが言う。
「ああ」
ルシアンが答える。
二人は並んで歩き出した。
その後ろで。
無数の願いを結んだ交流の木が、夜風に静かに揺れていた。




