次の世代へ残すもの
交流祭まで、残り六日。
朝の学院は、いつもより早くから動き始めていた。
廊下には運び込まれた木箱。
教室の隅には、両国の国旗。
窓際には文化展示用の資料。
中庭では屋台の骨組みが組み立てられ、魔法演習場では交流祭当日に使用する魔法陣の最終確認が行われている。
学院全体が、祭りの準備に追われていた。
しかし――。
「……足りない」
教室の中央で、リヴィアは机の上に並べられた資料を見つめていた。
「何が?」
エヴリンが隣から覗き込む。
「去年までの交流記録」
「昨日見つけた資料?」
「ええ」
リヴィアは一枚の古い記録を手に取る。
数十年前に行われた、エルディアとヴァロリアの小規模な交流会。
当時は確かに続けようという話があった。
けれど、その後の記録はほとんど残っていない。
「どうして続かなかったのか、その理由が分からないの」
「何か問題があったんじゃない?」
「たぶんね」
リヴィアは眉を寄せる。
「でも、理由が分からないままだと、私たちも同じことを繰り返すかもしれない」
「……」
エヴリンが資料を見つめる。
「それなら、調べてみる?」
「そうしたいわ」
その時。
「なら、図書館に行きましょう」
セレネが声をかけた。
彼女の腕には、すでに何冊もの本が抱えられている。
「図書館?」
「はい。学院の古い記録なら、もっと残っているかもしれません」
「よく見つけたわね」
「昨日から探していました」
「……」
リヴィアは少し驚いた。
「昨日から?」
「はい」
「いつの間に……」
「夕食の後です」
「真面目ね」
セレネは首を傾げた。
「知りたかったので」
リヴィアは微笑む。
「じゃあ、行きましょう」
「私も行く!」
エヴリンが手を上げた。
「私も」
ノエルも加わる。
こうして四人は学院の図書館へ向かった。
王立セイレーン学院の図書館は、校舎の一角にあるとは思えないほど広い。
高い天井。
何層にも続く本棚。
古い木製の梯子。
窓から差し込む朝の光が、宙を舞う埃を照らしている。
「すごい……」
エヴリンが見上げる。
「何度来ても慣れないわ」
「私は好きです」
セレネが言う。
「静かなので」
「セレネらしい」
リヴィアが笑った。
四人は古い記録の棚へ向かった。
学院創設期。
王国間交流。
外交史。
学生交流。
それぞれの棚を調べていく。
「これかな?」
エヴリンが一冊の本を取り出す。
「『王立セイレーン学院・交流記録集』」
「開いてみましょう」
四人で机を囲む。
古いページをめくる。
数十年前。
さらにその前。
小規模な交換留学。
魔法講習。
文化交流。
共同研究。
しかし、どれも長くは続いていなかった。
「やっぱり……」
リヴィアが呟く。
「何か共通する理由があるはず」
ページをめくっていく。
その時。
セレネの手が止まった。
「……これ」
「どうしたの?」
リヴィアが覗き込む。
そこには、短い記述があった。
『交流事業について、両国の学生から継続を希望する声が多数あった』
その次の行。
『しかし、両国の大人たちの協議により、次年度以降の開催は見送られた』
「……」
エヴリンが眉を寄せる。
「学生は続けたかったのに?」
「そのようね」
さらに読み進める。
『学生側の交流活動については、学院内の自主活動として認める』
そこで記録が終わっている。
「どうして?」
ノエルが首を傾げる。
「学生が続けたいと言っていたのに、大人たちは止めたんでしょう?」
「理由が書かれていない」
リヴィアはページをめくる。
しかし、次のページには別の記録が始まっている。
「……これだけ?」
「みたいです」
セレネが本を閉じる。
しばらく沈黙が続いた。
やがてリヴィアが言った。
「なら、私たちは同じことをしないようにしないと」
「どうやって?」
エヴリンが尋ねる。
「大人が全部決める仕組みにしない」
リヴィアは昨日の国王との話を思い出す。
「毎年、学生たち自身が内容を考える」
「それなら……」
セレネが続ける。
「途中で問題が起きても、学生たちが話し合える場所を残すべきです」
「そうね」
ノエルも頷く。
「最初から完璧な制度にするんじゃなくて、問題が起きた時に話し合える仕組みを作る」
「それなら続けられるかもしれない」
エヴリンが笑う。
「じゃあ、それも提案に入れようよ」
リヴィアは頷いた。
「ええ」
その時だった。
「――なるほど」
背後から声がした。
四人が一斉に振り返る。
そこに立っていたのは、学院長だった。
「学院長……?」
エヴリンが驚く。
「君たちが古い記録を調べていると聞いてね」
学院長は穏やかに笑う。
「少し興味深いものを見つけたようだ」
「何か知っているんですか?」
リヴィアが尋ねる。
「当時のことを直接知っているわけではない」
学院長は首を横に振る。
「ただ、一つだけ言えることがある」
「何でしょう?」
「記録が残らなかった理由は、交流そのものが失敗したからではない」
「……え?」
「続ける仕組みがなかったのだ」
学院長は古い本を指差した。
「当時の学生たちは、交流を続けたいと思っていた。教師たちも反対していたわけではない」
「では、なぜ?」
「卒業したからだ」
リヴィアたちは黙った。
「中心になっていた学生たちが卒業し、その後を引き継ぐ者がいなかった」
「……」
「結果として、交流は自然に消えていった」
セレネが静かに呟く。
「未来へ渡す人がいなかった……」
「その通りだ」
学院長は頷く。
「だからこそ、今回の提案は興味深い」
学院長はリヴィアたちを見る。
「今年の交流祭だけを成功させるのではなく、来年の学生たちが続けられる仕組みを作ろうとしている」
「……」
リヴィアは少し考えた。
「それなら」
彼女は顔を上げる。
「交流祭の最後に、次の学生たちへ向けた記録を残しませんか?」
「記録?」
「はい」
リヴィアは机の上の紙を取る。
「今年、何を考えて、何を失敗して、何を学んだのか」
ペンを握る。
「全部書いて残すんです」
セレネが目を輝かせた。
「次の人たちが、それを読めるように」
「ええ」
「そして、同じ失敗を繰り返さないように?」
「それだけじゃないわ」
リヴィアは笑う。
「私たちのやり方を、そのまま真似してもらう必要はないもの」
学院長が静かに頷く。
「続けるための記録ではなく、選ぶための記録か」
「はい」
「面白い」
学院長は微笑んだ。
「なら、学院として保管しよう」
「本当ですか?」
「もちろん」
セレネが嬉しそうに頷いた。
「では、私も書きたいです」
「何を書く?」
「今の私が、どうして交流を大切だと思うようになったのか」
セレネは胸元の青い水晶に触れる。
「それも、未来の誰かに残したいです」
「いいと思うわ」
リヴィアが微笑む。
その日の昼。
学生代表たちは、新しい計画を始めた。
『交流祭・未来記録』
今年の交流祭で起きたこと。
嬉しかったこと。
難しかったこと。
意見がぶつかったこと。
解決できたこと。
そして――。
次の世代への言葉。
学生たちは思い思いに書き始めた。
ミアは料理について。
リーナは友達について。
レオンはヴァロリアとエルディアの違いについて。
ノエルは、意見が違う相手と話すことについて。
エヴリンは、最初は知らなかった相手と友達になれたことについて。
そしてセレネは。
しばらく白紙のページを見つめていた。
「何を書こう……」
リヴィアが隣に座る。
「ゆっくりでいいんじゃない?」
「はい」
セレネはペンを握る。
そして、ゆっくりと文字を書いた。
『私は以前、未来を知ることが正しいと思っていました』
一行。
また一行。
『でも、未来を知らないからこそ、明日を楽しみにできることを知りました』
そこでペンが止まる。
セレネは少し考えてから、最後の一文を書いた。
『だから、未来を怖がらないでください』
リヴィアがその文章を見る。
「……素敵ね」
「本当ですか?」
「ええ」
セレネは嬉しそうに笑った。
「なら、残します」
夕方。
リヴィアは中庭へ向かった。
交流の木の前に立つ。
たくさんの願い。
その一つに、新しい紙が結ばれていた。
『未来を怖がらないでください』
セレネの字だった。
その隣には、リヴィアが書いた紙。
『これからも、大切な人たちと笑っていられますように』
風が吹く。
二枚の紙が並んで揺れた。
「……いい未来だな」
隣にルシアンが立つ。
「ええ」
「何を見ている?」
「セレネの願い」
「そうか」
ルシアンは紙を見る。
「彼女も変わったな」
「本当にね」
リヴィアは笑う。
「昔は、未来を全部知ろうとしていたのに」
「今は?」
「知らない明日を楽しみにしている」
ルシアンが微笑む。
「君も同じだな」
「私?」
「ああ」
リヴィアは少し考えた。
「……そうかもしれない」
「昔の君なら、交流祭の先に何が起きるか気になって仕方なかっただろう」
「否定できないわ」
「今は?」
リヴィアは交流の木を見上げる。
「……知りたい気持ちはある」
「そうだろうな」
「でも」
リヴィアは小さく笑う。
「知らないまま迎える明日も、悪くないと思っているわ」
ルシアンは何も言わなかった。
ただ、彼女の隣に立っている。
それだけだった。
少し離れたところから、フィリアの声が響く。
「リヴィアー!」
「何?」
「パンが焼けました!」
「今行くわ!」
「二個あります!」
「……二個?」
「はい!」
「それなら急がないと!」
リヴィアが走り出す。
ルシアンも後を追う。
「待て、走ると危ないぞ」
「フィリアがパンを持っているのよ!」
「理由になっていない!」
「私にはなるの!」
中庭に笑い声が響く。
交流祭まで、残り六日。
彼らは未来を予測しているわけではない。
ただ、今できることを考えている。
今日の選択が。
明日の誰かへ繋がるように。
そして、その誰かがまた自分自身の未来を選べるように。
小さな記録が、一冊の本になろうとしていた。
それは未来を縛るための記録ではない。
未来を自由にするための記録だった。




