それぞれが描く未来の形
交流祭まで、残り七日。
昨日、両国の王族から正式に交流事業の継続が決定されたことで、学院の空気はさらに活気づいていた。
廊下を歩けば、学生たちが来年の交流について話している。
「来年はもっと大きな展示にしたい!」
「ヴァロリアの魔法具をもっと見たい!」
「料理交換も続けようよ!」
そんな声が、あちこちから聞こえてくる。
まだ今年の交流祭すら終わっていないというのに。
それでも誰もが、その先の未来を自然に口にしていた。
リヴィアはその様子を眺めながら、少しだけ笑った。
「……不思議ね」
「何がだ?」
隣を歩くルシアンが尋ねる。
「昨日までは、交流祭を無事に終わらせることしか考えていなかったのに」
「今は?」
「もう、その先のことを考えているわ」
「それが未来というものじゃないか?」
「……そうね」
リヴィアは窓の外を見る。
朝の光が学院の中庭を照らしていた。
そこには、昨日まで以上に多くの紙が結ばれた「交流の木」が立っている。
一枚一枚の紙が風に揺れていた。
「未来って、もっと遠いものだと思っていたわ」
「そうか?」
「ええ」
リヴィアは少しだけ笑う。
「昔の私は、未来というと何年も先のことだと思っていた」
「昔?」
「……前の私は、という意味」
ルシアンはそれ以上聞かなかった。
ただ、静かに頷いた。
「でも、今は違う」
「どう違う?」
「明日の予定を考えることも、未来を選ぶことなんだと思えるようになったの」
「例えば?」
「明日、誰と昼食を食べるか」
「なるほど」
「どの授業を頑張るか」
「それも未来か」
「放課後にどこへ行くか」
「それも?」
「……」
リヴィアは少し考えた。
「あなたと話す時間を作るかどうか、とか」
ルシアンの足が一瞬だけ止まった。
「……それも未来なのか?」
「そうよ」
「なら、俺はそれを選んでもらえると嬉しい」
「……」
リヴィアは頬を赤くした。
「そういうところよ」
「何が?」
「すぐにそういうことを言うところ」
「事実を言っただけだ」
「分かっているけど……」
リヴィアは視線を逸らした。
そんな二人のやり取りを、少し離れた場所からエヴリンが見ていた。
「……あれ、いつになったら慣れるんだろう」
隣のノエルが苦笑する。
「無理じゃないか?」
「やっぱり?」
「二人とも、あれが普通になってるからな」
「本人たちは気づいてないのかな」
「片方は気づいていると思う」
「どっち?」
「さあな」
ノエルは笑った。
その日の午前。
学生代表たちは、交流祭の最終的な役割分担を確認していた。
今年の目玉となる「未来の提案」は、最終日の式典で発表される。
だが、それだけではない。
学生たち自身が、両国の文化を紹介する展示や、魔法体験、料理交流、剣術演習、音楽会などを運営する。
そのため、誰もが忙しかった。
「料理班は?」
リヴィアが尋ねる。
「問題ありません」
ミアが答える。
「エルディアの果物を使った菓子と、ヴァロリアの蜂蜜菓子を組み合わせた新しい料理も完成しました」
「それは楽しみね」
「それから……」
ミアが少しだけ困った顔をする。
「フィリアさんがパンを追加したいと言っています」
「却下」
「まだ何も言っていません!」
フィリアが抗議する。
「顔に書いてあるわ」
「では、せめて五個……」
「一個」
「三個」
「一個」
「二個」
「……二個なら」
「ありがとうございます!」
フィリアが満面の笑みを浮かべた。
セレネが小さく笑う。
「交渉というものを学んだのですね」
「はい」
フィリアは胸を張る。
「未来のために必要な技術です」
「それをパンで使うのはどうなのよ……」
リヴィアは呆れながらも笑っていた。
その後、セレネは文化展示の担当者と一緒に資料を確認していた。
エルディアの歴史。
ヴァロリアの歴史。
両国の魔法体系。
交易品。
音楽。
食文化。
そして、過去の両国の交流記録。
その中には、まだ交流が始まる前の古い記録もあった。
「……」
セレネは一枚の古い資料に目を止めた。
「どうしたの?」
リーナが尋ねる。
「この記録……」
そこには、数十年前に行われた小さな交流会の記録が書かれていた。
規模は小さい。
参加者も少ない。
それでも、その時に交わされた手紙や贈り物について記録されている。
「昔にも、こういう交流があったんですね」
ミアが覗き込む。
「はい」
セレネは頷いた。
「でも、途中で続かなくなっています」
「どうして?」
「詳しくは書かれていません」
セレネは記録を読む。
そこには一つだけ理由が書かれていた。
『両国の事情により、継続を見送る』
「……」
セレネはしばらく黙っていた。
そして、小さく呟く。
「未来は、一度選んだだけでは続かないんですね」
「え?」
リーナが首を傾げる。
「続けたいと思う人が、次の人に繋がなければ……消えてしまう」
ミアが資料を見る。
「じゃあ、私たちがやろうとしていることも?」
「はい」
セレネは頷いた。
「今年だけ成功しても、それだけでは足りないんだと思います」
その言葉を聞いたリヴィアが、静かに近づいてきた。
「その通りね」
「リヴィア」
「昨日、国王陛下が毎年学生たち自身で交流内容を考えると言ってくれたでしょう?」
「はい」
「なら、私たちの役目は今年を成功させることだけじゃない」
リヴィアは資料を見る。
「次の人たちが、続きを選べるようにすることよ」
「……」
セレネの目が少し大きくなる。
「次の人たちが?」
「ええ」
リヴィアは笑った。
「私たちが作ったものを、次の世代が自由に変えてもいいようにする」
「変えても?」
「もちろん」
「自分たちが作ったものなのに?」
「だからよ」
リヴィアは答える。
「未来は、自分たちの所有物じゃないもの」
セレネはその言葉をじっと聞いていた。
かつての自分なら。
未来を保存しようとした。
変化しないように。
失われないように。
けれど今は違う。
未来は変わっていい。
誰かが受け取り。
誰かが考え。
誰かが新しく選ぶ。
「……それなら」
セレネは資料を抱え直す。
「私たちの提案にも、一つ追加したいです」
「何を?」
「『次の世代が自由に変えられること』」
リヴィアは笑った。
「いいと思うわ」
午後。
学生代表たちは、その案を含めて提案書を修正した。
新しい項目が追加される。
『交流の未来を、次の世代へ』
『受け継ぐだけではなく、次の世代が自由に変えていく』
そして最後に。
『自分たちの未来を、自分たちで選ぶ自由を守る』
その文章は残された。
夕方。
学院の屋上。
リヴィアは一人で風に当たっていた。
夕焼けに染まった空。
遠くには王都の街並み。
その向こうには、さらに遠い山々が見える。
「ここにいたか」
ルシアンの声。
「……来ると思っていたわ」
「そうか」
ルシアンが隣に立つ。
二人はしばらく黙って街を眺めた。
「今日の話、どうだった?」
「良かったと思う」
「本当に?」
「ああ」
「でも、まだ少し不安」
「何が?」
「この交流が、本当に続くのか」
ルシアンは少し考える。
「続けたいと思う人がいる限り、可能性はある」
「可能性……」
「それに」
ルシアンはリヴィアを見る。
「未来が一度決まったら、それを守り続けなければならないわけじゃない」
「……」
「変えたければ変えればいい」
「あなたも、そう思う?」
「ああ」
ルシアンは空を見る。
「だから、俺は未来を約束することより、未来を選び続けられることの方が大切だと思っている」
リヴィアは少し驚いた。
「……それって」
「何だ?」
「私たちのことにも当てはまるのかしら」
ルシアンは黙った。
リヴィアは少しだけ緊張する。
「……」
風が吹く。
リヴィアの灰金色の髪が揺れ、頬にかかった髪を彼女が指でそっと払う。
「結婚のこと」
リヴィアが続けた。
「私はまだ、答えを出していないでしょう?」
「ああ」
「だから……」
リヴィアは少しだけ俯く。
「あなたは、待ってくれている」
「待つと言ったからな」
「……ありがとう」
「礼を言うことじゃない」
「でも、嬉しいから」
ルシアンは静かに笑った。
「なら、それでいい」
しばらくして。
リヴィアは顔を上げた。
「私ね」
「何だ?」
「最近、未来が決まっていないことを、前ほど怖いと思わなくなったの」
「それは良いことだ」
「うん」
リヴィアは夕焼けを見る。
「まだ結婚するかどうかも決めていない」
「ああ」
「でも……」
一瞬、言葉に迷う。
「あなたとこうして話す時間は、これからも欲しいと思っているわ」
ルシアンの目が少しだけ柔らかくなる。
「それだけで十分だ」
「……本当に?」
「ああ」
ルシアンは答えた。
「未来を急いで決める必要はない」
その言葉に、リヴィアは微笑んだ。
学院の鐘が鳴る。
夕暮れの空に、音が響く。
「そろそろ戻ろうか」
「ええ」
二人が屋上を離れようとした、その時。
リヴィアはふと振り返った。
遠くの中庭。
交流の木が、夕日に照らされている。
そこに結ばれた無数の紙。
一つ一つの願い。
一つ一つの未来。
そのどれもが、風に揺れていた。
「……綺麗」
「そうだな」
リヴィアは最後にもう一度だけ木を見た。
自分の願いも。
セレネの願いも。
みんなの願いも。
今は同じ場所で揺れている。
けれど、きっとそれぞれ違う未来へ進んでいく。
それでいい。
違っていていい。
だからこそ、自分で選ぶ意味がある。
交流祭まで、残り七日。
未来を語る準備は、少しずつ整っていた。
そして今度は――。
未来を受け取る側ではなく。
未来を次へ渡す側として。
彼らは、新しい一歩を踏み出そうとしていた。




