未来を語る資格
交流祭まで、残り十日。
王立セイレーン学院の朝は、いつもより静かだった。
昨日までなら、交流祭の準備について話す生徒たちの声が廊下中に響いていた。
しかし今日は、どこか落ち着かない。
理由は、昨日完成した「未来の提案」についてだった。
学生たちが自分たちの言葉で考えた、エルディア王国とヴァロリア王国のこれから。
それは単なる学院行事の提案ではない。
両国の未来に関わる内容として、王宮でも確認されることになっていた。
「……本当に王宮に提出するのね」
教室の窓際で、リヴィアは一枚の書類を見つめていた。
「そうなるみたいだ」
ルシアンが答える。
「昨日の夜、父上から正式に決まったと聞いた」
「つまり、私たちが書いたものを国王陛下が読むのね」
「ああ」
「……」
リヴィアは書類を机の上に置いた。
「急に緊張してきたわ」
「昨日までは平気だっただろう」
「昨日までは学生同士の話だと思っていたのよ」
「今も学生同士の話だ」
「でも国王陛下が読むでしょう?」
「読むだけだ」
「その『だけ』が大きいのよ」
ルシアンは少し笑った。
「なら、君らしく話せばいい」
「私らしく?」
「ああ」
ルシアンは窓の外を見る。
「誰かに評価されるためじゃない。君たちが何を望んでいるのかを伝えればいい」
リヴィアは少し考えた。
「……そうね」
その時、教室の扉が開いた。
「おはようございます」
セレネが入ってくる。
その後ろにはミアとリーナもいた。
「おはよう、セレネ」
「おはようございます」
セレネは席につく前に、リヴィアの持っている書類を見る。
「昨日の提案書ですか?」
「ええ」
「少し緊張していますか?」
「……少しね」
セレネは首を傾げた。
「リヴィアでも緊張するのですね」
「するわよ」
「私は、リヴィアは何でもできる人だと思っていました」
「それは買いかぶりよ」
「そうですか?」
「そうよ」
リヴィアは苦笑する。
「私だって、知らないこともあるし、失敗することもあるわ」
「では――」
セレネは少し考えてから言った。
「知らないことがあっても、未来を選んでいいのですね」
「……」
リヴィアは目を見開いた。
そして、柔らかく微笑んだ。
「ええ」
「失敗しても?」
「もちろん」
「迷っても?」
「それでもいいわ」
「では、私も大丈夫です」
セレネは微笑んだ。
「私たちが考えた未来なのですから」
リヴィアは頷いた。
「そうね」
その日の午前中。
学院では通常授業が行われた。
しかし、学生たちの意識はどこか交流祭へ向いている。
廊下では展示物を運ぶ生徒。
中庭では剣術班が模擬試合の練習をしている。
魔法演習場では、ヴァロリアの学生とエルディアの学生が魔法について意見を交換している。
その光景を見て、セレネは足を止めた。
「……」
「どうしたの?」
ミアが尋ねる。
「違う魔法が、一緒に使われています」
魔法演習場では、エルディア式の火属性魔法と、ヴァロリア式の水属性魔法が組み合わされていた。
火と水。
本来なら相性の悪い二つの魔法。
しかし、二人の学生は互いの魔力を調整しながら、一つの術式を完成させようとしていた。
「すごい……」
セレネが呟く。
「最初から同じじゃなくても、一緒にできるんですね」
「そうだね」
ミアが笑う。
「だから交流なんじゃない?」
「……」
セレネはその言葉を心の中で繰り返した。
違うからこそ。
一緒に考える。
一緒に調整する。
一緒に新しいものを作る。
それは、これまでの自分にはなかった考え方だった。
昼休み。
中庭には、いつものメンバーが集まっていた。
フィリアがパンを配っている。
「今日は一人二個です」
「珍しいわね」
リヴィアが驚く。
「昨日、三十個は多すぎると言われました」
「覚えていたのね」
「はい」
フィリアは真剣に頷いた。
「ですが、二個では足りない人もいると思います」
「……誰?」
「私です」
「でしょうね」
エヴリンが笑った。
「じゃあ三個目は自分で買ってね」
「分かりました」
フィリアは素直に頷いた。
「成長したわね……」
ノエルが呟く。
「何が?」
「フィリアが人の意見を聞いたこと」
「失礼ですね」
フィリアが頬を膨らませる。
セレネが笑う。
「みんな、仲が良いですね」
「そう?」
エヴリンが尋ねる。
「はい」
「セレネもその一人だよ」
「……」
セレネは少し驚いた。
「私も?」
「もちろん」
エヴリンが笑う。
「もう仲間でしょ?」
セレネは少しだけ視線を落とした。
「……嬉しいです」
その言葉を聞いて、リヴィアも微笑んだ。
午後。
学生代表たちは、王宮へ提出する提案書の最終確認を行うことになった。
リヴィアたちが会議室へ向かうと、そこにはアルベルトとレオンハルトが待っていた。
「来たか」
アルベルトが言う。
「はい」
リヴィアたちは席についた。
机の中央には、昨日完成した提案書が置かれている。
アルベルトはそれを一枚ずつ確認していた。
「よく考えられている」
「ありがとうございます」
リヴィアが頭を下げる。
「特に最後の一文だ」
アルベルトが紙を見る。
『自分たちの未来を、自分たちで選ぶ自由を守る』
その言葉を指でなぞる。
「これは、誰の意見だ?」
「みんなで考えました」
リヴィアが答える。
「そうか」
アルベルトはしばらく黙っていた。
そして。
「なら、一つ聞きたい」
部屋の空気が変わった。
「はい」
「君たちは、自分たちの未来を選ぶ自由を守ると言った」
「はい」
「では――」
アルベルトは顔を上げる。
「その自由によって、誰かが傷つく未来を選んだ場合はどうする?」
リヴィアは黙った。
セレネも。
エヴリンも。
レオンも。
すぐには答えられなかった。
「自由に選ぶ」
アルベルトは続ける。
「それは聞こえは美しい。しかし、すべての選択が誰かを幸せにするわけではない」
「……」
「王族として、私は何度も選択を迫られてきた」
アルベルトの声は静かだった。
「国のために、誰かの希望を諦めなければならないこともある」
リヴィアはその言葉を聞いていた。
それは――。
かつての自分が向き合った問題にも似ていた。
誰かを守るために、別の何かを犠牲にする。
一つの未来を選ぶために、別の未来を捨てる。
観測者との戦いでも、何度も問われたことだった。
「……私は」
リヴィアが口を開く。
「誰も傷つかない未来を選べるとは思っていません」
アルベルトがリヴィアを見る。
「では?」
「だからこそ」
リヴィアは続けた。
「誰かが一方的に未来を決めてしまうことが、一番怖いと思っています」
「……」
「選んだ結果が間違っていたと気づいたら、もう一度考えればいい」
リヴィアは自分の手を握る。
「失敗したら、やり直せばいい」
そして顔を上げた。
「誰かを傷つけてしまったなら、その人と向き合えばいい」
「……」
「最初から正しい未来を選べる人なんて、いないと思います」
セレネが静かに頷いた。
「私も、そう思います」
アルベルトがセレネを見る。
「君は?」
「以前の私は、すべての未来を知ろうとしていました」
セレネはゆっくり話した。
「どの未来が正しいのかを決めようとしていました」
「……」
「でも、それは私が決めることではありませんでした」
胸元の青い水晶に触れる。
「未来を生きる人が、自分で決めるものです」
アルベルトは黙っていた。
やがて、レオンが口を開く。
「それなら、今回の提案は『自由に好きなことをすればいい』という意味ではないんですね」
「はい」
セレネが答える。
「自分で選んだ未来に責任を持つ、ということです」
部屋に静かな沈黙が流れた。
アルベルトは提案書を閉じた。
「……分かった」
そして、微笑む。
「この言葉を、そのまま国王陛下に伝えよう」
「本当に?」
リヴィアが驚く。
「ああ」
「修正しなくても?」
「必要ない」
アルベルトは言った。
「これは君たち学生が考えた未来なのだから」
会議室を出た後。
リヴィアは大きく息を吐いた。
「緊張した……」
「そうだな」
ルシアンが笑う。
「でも、よく話せていた」
「本当に?」
「ああ」
「……ありがとう」
リヴィアは少し照れたように笑う。
セレネも二人の後ろを歩いていた。
「私も緊張しました」
「セレネも?」
「はい」
「意外ね」
「私も人間ですから」
「……そうだったわね」
リヴィアは笑った。
「ごめんなさい」
「大丈夫です」
セレネも笑う。
その日の帰り道。
学院の正門を出たところで、ミアとリーナがセレネを呼び止めた。
「セレネ!」
「はい?」
「明日、交流祭の自由時間について相談しようよ」
「自由時間?」
「うん!」
「三人でどこを回るか決めたいの」
「……」
セレネは少し考えた。
「では、私が行きたい場所を一つ選んでもいいですか?」
「もちろん!」
「……図書館」
「交流祭なのに?」
「はい」
「セレネらしいね!」
三人が笑う。
セレネも笑った。
そして、その笑顔を見ていたリヴィアは思った。
未来を選ぶということは。
必ずしも大きな決断をすることではない。
今日、誰と昼食を食べるか。
どんな本を読むか。
誰と話すか。
明日、どこへ行きたいか。
そんな小さな選択も、確かに未来の一部なのだ。
学院の鐘が鳴る。
生徒たちがそれぞれの帰路につく。
交流祭まで、残り十日。
まだ準備は終わっていない。
未来への答えも出ていない。
けれど。
彼らはもう、答えを急いではいなかった。
迷いながら。
話し合いながら。
時には間違いながら。
それでも自分たちで選んでいく。
その先にある未来を――。
少しずつ、作り始めていた。




