私たちが望む未来
交流祭まで、残り十一日。
王立セイレーン学院の一室に、数人の生徒が集まっていた。
昨日発表された――。
『学生代表による未来の提案』
その内容を考えるためだ。
リヴィア。
ルシアン。
セレネ。
エヴリン。
レオン。
そして、両国から選ばれた数名の学生。
机の上には白紙の紙が何枚も並べられている。
「……」
誰も最初の一文字を書けない。
リヴィアも、ペンを持ったまま紙を見つめていた。
「難しいわね」
「何が?」
エヴリンが尋ねる。
「未来について話してほしいと言われても、何から書けばいいのか分からないわ」
「確かに……」
エヴリンも紙を見る。
「普通なら、もっと簡単なことを考えるんだけど」
「例えば?」
「交流祭を毎年やりたい、とか」
「それも大切なことよ」
「でも、それだけじゃない気がする」
セレネが静かに口を開いた。
「私は、一つ思いつきました」
「何?」
「お互いの国を、もっと知ることです」
全員がセレネを見る。
「文化だけではなく」
セレネは言葉を選ぶように続ける。
「人を知ることです」
「人?」
「はい」
セレネは頷いた。
「昨日、ミアとリーナと友達になりました」
「うん」
「二人はヴァロリアの人です」
「そうね」
「でも、友達になった後は、ヴァロリアの人だということをあまり考えませんでした」
セレネは少し笑った。
「ただ、一緒に話したり、食事をしたりしただけです」
「……」
「国が違うことより、友達であることの方が大きかったです」
部屋が静かになる。
リヴィアはその言葉を聞きながら、ゆっくり頷いた。
「それなら……」
リヴィアが紙に文字を書く。
『国ではなく、人を知る』
その一文を見つめる。
「これを最初の柱にしましょう」
レオンが頷いた。
「良いと思います」
「私も」
ミアも賛成する。
「ヴァロリアでも、エルディアについて知らない人は多いから」
リーナも頷いた。
「逆も同じだと思う」
エヴリンが紙に書き加える。
『互いの文化を知る』
「それも大切ね」
リヴィアが言う。
「料理や音楽、魔法、歴史……」
「でも、知識だけでは足りない」
ルシアンが口を挟んだ。
「知った上で、一緒に何かをすることが必要だ」
「一緒に?」
「ああ」
ルシアンは紙を一枚取り、そこへ書く。
『共同活動の継続』
「今回の交流祭だけで終わらせない」
彼は言った。
「学院同士の交流を続ける」
「授業の交換とか?」
エヴリンが尋ねる。
「それもいい」
「短期間の留学も?」
レオンが続ける。
「可能なら実現できる」
「共同研究もできます」
セレネが言った。
「魔法について、両国の学生が一緒に研究するのも面白そうです」
「いいわね」
リヴィアは紙を見る。
少しずつ。
本当に少しずつだった。
白紙だった紙に言葉が増えていく。
国を知る。
人を知る。
文化を知る。
一緒に学ぶ。
一緒に活動する。
そして、交流を続ける。
「……なんだか、形になってきたわね」
リヴィアが呟いた。
「最初は何も思いつかなかったのに」
「考えているうちに見つかるものです」
セレネが答える。
「未来も、同じなのかもしれません」
リヴィアはセレネを見る。
「どういう意味?」
「最初から答えがあるわけではなくて」
セレネは自分の胸元に触れる。
「歩きながら、少しずつ見つけていくものなのではないでしょうか」
「……」
リヴィアは微笑んだ。
「そうね」
その時。
「では、俺からも一つ」
ルシアンが言った。
「何?」
「交流する側だけではなく、次の世代にも残す」
「次の世代?」
「ああ」
ルシアンは紙に書いた。
『次の世代へ』
「俺たちが始めた交流を、俺たちだけで終わらせない」
その言葉に、レオンが頷く。
「それなら、毎年の交流祭を制度として残すこともできる」
「そして、俺たちが卒業した後も続ける」
「……」
リヴィアはその言葉を見つめた。
未来。
自分たちがいなくなった後の未来。
以前の自分なら、そんなことまで考える余裕はなかった。
自分が生き残ること。
運命を避けること。
決められた結末を壊すこと。
それだけで精一杯だった。
けれど今は。
自分の先にいる誰かのために、未来を残そうとしている。
「……変わったわね」
リヴィアが呟く。
「何が?」
ルシアンが聞く。
「私」
「そうだな」
「昔の私なら、未来なんて自分のためだけに考えていたと思う」
「今は?」
リヴィアは紙を見る。
そこには、まだ完成していない提案がある。
「今は……」
少し考える。
「自分たちだけじゃなくて、次に続く人たちのことも考えたい」
ルシアンが静かに微笑んだ。
「それも、君が選んだ未来だ」
「ええ」
リヴィアは頷いた。
その時。
廊下から大きな音がした。
「きゃっ!」
誰かの声。
続いて――。
「大丈夫です!」
「何が!?」
全員が一斉に立ち上がる。
扉を開ける。
そこには――。
大量のパンを抱えたフィリアが立っていた。
「……」
リヴィアは無言になった。
「フィリア」
「はい」
「何をしているの?」
「パンを運んでいます」
「見れば分かるわ」
「交流祭の試作品です」
「どうしてこんなに?」
「三十個あります」
「……」
リヴィアが頭を抱える。
「昨日、三十個は多すぎるって言ったでしょう?」
「ですが、必要です」
「誰が?」
「未来のために」
「……」
セレネが真剣な顔で頷いた。
「未来のためなら仕方ありません」
「セレネまで!」
エヴリンが笑い出す。
ノエルがパンを受け取りながら苦笑した。
「フィリア、これ全部持ってきたのか?」
「はい」
「重かっただろ」
「パンへの愛があれば大丈夫です」
「……そうか」
ノエルはそれ以上何も言わなかった。
レオンが一つ手に取る。
「良い香りですね」
「食べますか?」
「いいんですか?」
「はい」
フィリアが頷く。
レオンが一口食べる。
「美味しい」
「でしょう?」
フィリアが満足そうに笑った。
「では、もう一つ」
「……」
リヴィアは呆れながらも笑ってしまった。
未来について真剣に話し合っていたはずなのに。
結局、最後はパンの話になっている。
でも。
こういう時間も悪くない。
むしろ――。
こういう何気ない時間こそ、守りたい未来なのかもしれない。
夕方。
話し合いは一旦終了した。
紙には、いくつもの項目が書かれている。
『互いの人を知る』
『互いの文化を知る』
『共同活動を続ける』
『学院同士の交流を継続する』
『次の世代へつなぐ』
最後の項目だけ、まだ空白だった。
「最後に何を書く?」
エヴリンが尋ねる。
全員が考える。
セレネが窓の外を見る。
夕暮れの空。
オレンジ色の光。
学院の中庭を歩く生徒たち。
笑い声。
遠くから聞こえる鐘の音。
そして――。
「……選ぶ自由」
セレネが言った。
「え?」
「未来を選ぶ自由を、誰も奪わないこと」
リヴィアの胸が、少しだけ熱くなった。
「それを最後にしましょう」
リヴィアが書く。
『自分たちの未来を、自分たちで選ぶ自由を守る』
最後の一行が完成した。
誰もすぐには言葉を発しなかった。
ただ、その一文を見つめていた。
やがてルシアンが言う。
「これでいい」
「ええ」
リヴィアも頷いた。
その夜。
リヴィアは自室で、完成した提案書を一人で読み返していた。
窓の外には月が浮かんでいる。
静かな夜だった。
「……自分たちの未来を、自分たちで選ぶ自由」
その言葉を、もう一度口にする。
それは、かつての自分が一番欲しかったものだった。
悪役令嬢として決められていた未来。
ゲームのシナリオ。
選択肢。
強制された結末。
そこから逃げた。
戦った。
そして最後には――。
未来そのものを、自分の手に取り戻した。
「……ここまで来たんだ」
リヴィアは窓辺に立つ。
けれど。
ふと、別のことを思い出す。
ルシアンとの結婚。
まだ答えを出していない。
それだけは、まだ決められていない。
「……」
リヴィアは自分の胸元に手を置く。
不思議だった。
世界の命運を決めるような選択よりも。
ルシアンとの未来を選ぶことの方が、ずっと難しい。
「どうしてかしら……」
小さく呟く。
その答えは、まだ見つからない。
けれど。
焦る必要もない。
それもまた、自分で選ぶ未来なのだから。
翌朝。
セレネは学院へ向かう途中、空を見上げた。
青い空。
昨日と同じ。
けれど、今日という一日は昨日とは違う。
「……今日も、何か選べるのですね」
その隣で、ミアが笑う。
「うん」
リーナも頷く。
「じゃあ、まず何を選ぶ?」
セレネは少し考えた。
「……朝食を食べます」
「それは選ぶことなの?」
「重要です」
「フィリアみたいになってきたね」
「そうでしょうか?」
三人は笑いながら学院へ向かう。
その背中を朝日が照らしていた。
交流祭まで、残り十一日。
未来の提案は完成した。
しかし――。
彼らがまだ知らないことが一つだけあった。
この提案書を見た大人たちの中に。
ある一人だけが、最後の一文を見て長い間黙り込んでいたことを。
そして、その人物が――。
交流祭当日に、彼らへ一つの問いを投げかけようとしていることを。




