初めて選んだ友達
交流祭まで、残り十三日。
王立セイレーン学院では、朝から準備が続いていた。
廊下には各国の旗が飾られ、掲示板には交流祭の予定が細かく貼り出されている。
生徒たちは授業の合間にも準備を進め、学院全体が少しずつ祭りの雰囲気へと変わっていた。
「……すごいですね」
セレネは廊下を歩きながら、壁に貼られた大きな予定表を見上げていた。
「昨日より、さらに増えています」
「準備が進んでいるからね」
隣を歩くミアが答える。
その反対側にはリーナがいる。
「私たちの料理班も忙しくなるよ」
「はい」
セレネは頷いた。
「楽しみです」
「本当に?」
「はい」
「昨日までは『学院で何をすればいいのか分からない』って感じだったのに」
リーナが笑う。
「今はすっかり学院生だね」
「……学院生」
セレネはその言葉を繰り返した。
その響きが、少しだけ嬉しかった。
以前の自分には、そういう肩書きは必要なかった。
観測者。
それだけでよかった。
世界を見て、記録して、忘れないようにする。
自分自身が何者なのかなど、考えたこともなかった。
でも今は違う。
学院生。
友人。
そして――セレネ。
自分で選んだ名前。
自分で選んだ場所。
自分で選び始めた未来。
「セレネ?」
ミアが顔を覗き込む。
「どうしたの?」
「いえ」
セレネは微笑んだ。
「少し嬉しいだけです」
「何が?」
「友達と歩いていることが」
ミアとリーナが顔を見合わせた。
「……」
「……」
「何ですか?」
「いや……」
ミアが少し照れたように笑った。
「セレネって、時々すごく真っ直ぐなこと言うよね」
「そうですか?」
「うん」
「それは悪いことですか?」
「全然」
リーナが笑う。
「むしろ、いいと思う」
セレネも笑った。
三人はそのまま教室へ入った。
すると、すでにリヴィアたちが席についていた。
「おはよう」
「おはようございます」
セレネが挨拶する。
リヴィアは彼女の隣にいるミアとリーナを見た。
「おはよう。今日は三人一緒なのね」
「はい」
セレネが答える。
「友達ですから」
「……!」
リヴィアの顔が少し嬉しそうになる。
「そう」
それだけ言って微笑んだ。
エヴリンも嬉しそうに笑う。
「よかったね、セレネ」
「はい」
その様子を見ていたフィリアが、突然口を開いた。
「では、友達になった記念にパンを食べましょう」
「どうしてパンなの?」
リヴィアが尋ねる。
「友達にはパンを分けるものです」
「初めて聞いたわ」
「今作りました」
「……」
エヴリンが笑い出した。
「フィリアらしいね」
セレネも笑う。
「では、食べましょう」
「セレネまで……」
リヴィアは呆れながらも、結局笑っていた。
午前の授業が終わる。
昼休みになると、セレネたちは中庭へ向かった。
今日の昼食はエルディアの軽食と、ヴァロリアから持ち込まれた料理だった。
ミアが小さな包みを開く。
「これ、ヴァロリアのお菓子」
「何ですか?」
「蜂蜜を使った焼き菓子だよ」
セレネが一つ手に取る。
「食べてもいいですか?」
「もちろん」
一口。
「……美味しいです」
「よかった!」
ミアが嬉しそうに笑う。
「じゃあ、次はセレネのおすすめを教えてよ」
「私の?」
「うん」
セレネは困った顔をした。
「……私には、まだありません」
「え?」
「おすすめできるほど、ここの食べ物を知りません」
「じゃあ、これから探せばいいよ」
リーナが言う。
「一緒に」
「……」
セレネは二人を見る。
「はい」
その返事は、昨日よりも少し早かった。
その頃。
少し離れた場所では、リヴィアとルシアンが話していた。
「セレネ、すっかり馴染んだな」
「ええ」
「昨日まで学院のことをほとんど知らなかったのに」
「今は友達までできたわ」
リヴィアは嬉しそうに笑った。
「本当によかった」
「君は妹でも見ているようだな」
「……そうかしら?」
「ああ」
「そんなつもりはないけど」
「でも、嬉しそうだ」
「それは……」
リヴィアはセレネを見る。
「嬉しいわよ」
そして、小さく笑った。
「自分で選んだ場所で、自分で選んだ友達と笑っているんだもの」
「そうだな」
ルシアンもセレネを見る。
「それに――」
「何?」
「君自身も、以前より笑うようになった」
「……」
リヴィアが少し驚いた顔をする。
「私?」
「ああ」
「そうかしら」
「そうだ」
ルシアンは迷いなく答えた。
「最初に会った頃の君は、いつも周囲を警戒していた」
「……」
「誰かが何かをすると、すぐに未来への影響を考えていた」
「そうね」
「今は違う」
「どう違うの?」
「笑ってから考えるようになった」
「……それ、褒めてる?」
「褒めている」
「なら、ありがとう」
リヴィアは少し照れたように笑った。
午後。
料理班の準備が始まった。
今日は交流祭当日に使うメニューの最終候補を決める日だった。
テーブルの上には、試作品が並んでいる。
「では、これをみんなで食べて決めましょう」
エヴリンが言う。
「候補は三つです」
一つ目はエルディア風の果実タルト。
二つ目はヴァロリア風の蜂蜜パン。
三つ目は両国の材料を組み合わせた新しい焼き菓子。
「三つ目は昨日考えたものです」
レオンが説明する。
「エルディアの果実と、ヴァロリアの蜂蜜を使っています」
「それは美味しそうですね」
セレネが興味を示す。
「食べてみましょう」
一口。
セレネの表情が変わる。
「……」
「どう?」
ミアが尋ねる。
「美味しいです」
リヴィアも食べる。
「確かに美味しいわ」
エヴリンも頷く。
「これなら両国の料理を一つにできるね」
「では、これを交流祭の代表料理に――」
レオンが言いかけた時。
「待ってください」
フィリアが手を挙げた。
「何?」
「パンが足りません」
「……」
全員が沈黙する。
「フィリア」
リヴィアがゆっくり尋ねる。
「これはパンじゃなくて焼き菓子よ」
「知っています」
「じゃあ、どうして?」
「パンがありません」
「……」
ノエルが肩を落とした。
「そこは譲れないんだな」
「はい」
セレネが真剣な顔で言う。
「では、パンも一つ加えてはどうでしょう?」
「セレネ!?」
リヴィアが驚く。
「なぜあなたまで……」
「ヴァロリアのパンも、とても美味しかったので」
「……」
フィリアがセレネの手を握る。
「仲間です」
「はい」
「増えた……」
エヴリンが笑い出した。
「もう二人に任せたら?」
リヴィアは諦めたようにため息をついた。
「……一種類だけよ」
「ありがとうございます!」
フィリアが喜ぶ。
セレネも嬉しそうに笑った。
料理班の準備が終わった頃。
セレネは調理室の外に出た。
廊下の窓から夕暮れの光が差し込んでいる。
ミアとリーナが隣に来た。
「今日も楽しかったね」
「はい」
「交流祭の日も楽しみ」
「私もです」
セレネは窓の外を見る。
「……少し前まで、こんな未来があるとは思いませんでした」
「どんな未来?」
「友達と一緒に学校へ行って、授業を受けて、昼食を食べて……」
セレネは自分の胸元にある青い水晶に触れた。
「そして、交流祭を楽しみにする未来です」
ミアが笑う。
「じゃあ、楽しもうよ」
「はい」
「私たち、これからもっと色々やろう」
「色々?」
「うん」
リーナが指を折りながら数える。
「交流祭。
学院祭。
試験。
休日のお出かけ。
それから――」
「多いですね」
「まだまだあるよ」
「楽しみです」
セレネはそう言って笑った。
その夜。
王宮では、ルシアンが兄レオンハルトと話をしていた。
「学院の様子はどうだ?」
レオンハルトが尋ねる。
「順調だ」
「リヴィア嬢は?」
「楽しそうにしている」
「そうか」
レオンハルトは安心したように笑う。
「それなら良かった」
「兄上」
「何だ?」
「今回の交流祭、本当に学院生同士の交流だけが目的なのか?」
レオンハルトは少し黙った。
「もちろん、それが一番の目的だ」
「一番?」
「……」
ルシアンが目を細める。
「何かあるのか?」
「まだ言う必要はない」
「兄上」
「安心しろ」
レオンハルトは苦笑した。
「君やリヴィア嬢を危険に巻き込むような話ではない」
「なら、なぜ隠す?」
「驚かせたいだけだ」
「……」
ルシアンは兄を見る。
「父上も関わっているのか?」
「ああ」
「なるほど」
ルシアンは静かに立ち上がった。
「では、しばらく様子を見る」
「そうしてくれ」
同じ頃。
学院の寮の部屋で、セレネは今日も日記を書いていた。
以前なら、世界の記録を書いていた。
何が起きたのか。
誰が何を選んだのか。
どの未来が残ったのか。
けれど今は違う。
今日の日記には、たった数行だけ。
『今日はミアとリーナと一緒に昼食を食べた。
二人が友達になってくれた。
ヴァロリアのお菓子が美味しかった。
明日も一緒に過ごしたい。』
セレネはペンを置いた。
そして、その文章を見つめる。
世界を救うような出来事は、何も書かれていない。
特別な力を使ったわけでもない。
誰かの未来を守ったわけでもない。
ただ、友達と一緒に過ごした一日。
それだけ。
でも――。
「……大切な一日です」
セレネは日記を閉じた。
窓の外には、星が輝いている。
明日、何が起こるかは分からない。
それでも。
明日になれば、また学院へ行く。
友達に会う。
新しいことを知る。
そして、自分で今日とは違う何かを選ぶ。
それでいい。
未来は、壮大な物語だけで作られるものではない。
小さな一日。
小さな選択。
小さな出会い。
その一つ一つが積み重なって、いつか大きな未来になる。
セレネは眠る前に、もう一度だけ呟いた。
「明日も楽しみです」
交流祭まで、残り十二日。
そして――。
彼女たちがまだ知らないところで、交流祭に向けた別の準備も静かに進んでいた。




