ヴァロリアから来た転校生
翌朝。
王立セイレーン学院の教室には、いつもとは違う緊張感が漂っていた。
理由は明白だった。
今日から、ヴァロリア王立学院との交流祭に向けた合同活動が始まる。
昨日、講堂に姿を現したヴァロリアの学生たちは、今日から一定期間、セイレーン学院で授業や交流活動を共にすることになっていた。
リヴィアは自分の席に座りながら、教室の入口を何度も見ていた。
「……来るわね」
「誰が?」
隣からルシアンが尋ねる。
「ヴァロリアの学生たちよ」
「昨日からずっと気にしているな」
「だって、交流祭なんて初めてだもの」
「君が?」
「学院全体がよ」
リヴィアは小さく咳払いした。
「それに……」
「それに?」
「今回は、私たちも準備に参加するのでしょう?」
「ああ」
「失敗したくないじゃない」
ルシアンは少しだけ笑った。
「君らしいな」
「何よ」
「何でも完璧にやろうとするところ」
「……別に、完璧を目指しているわけじゃないわ」
「そうか?」
「そうよ」
その会話を聞いていたエヴリンが、後ろから口を挟んだ。
「リヴィアは昔から真面目だからね」
「エヴリンまで……」
「でも、無理しすぎないでね」
「分かっているわ」
その時。
教室の扉が開いた。
「失礼します」
昨日聞いた声が響く。
ヴァロリアの学生たちが入ってくる。
濃紺の制服。
銀色の紋章。
エルディアの制服とは似ているようで、細かなデザインが違っている。
先頭には、昨日講堂で挨拶した黒髪の少年がいた。
彼は教室を見渡す。
そして、教師に向かって一礼した。
「本日から交流活動に参加させていただきます。ヴァロリア王立学院、第二学年のレオン・アストリアです」
リヴィアはその名前を聞いた。
「レオン……」
どこかで聞いたことがあるような気がした。
しかし、思い出せない。
ゲームに登場した人物でもない。
少なくとも、自分の知っている『薔薇と運命の王冠』には存在しなかった。
リヴィアは少しだけ警戒した。
けれど、すぐに考え直す。
――知らない人物がいる。
それだけだ。
今までなら、それだけで「世界の異常」を疑っていた。
でも、もう違う。
世界に存在する人間が、すべて自分の知識の中にいる必要なんてない。
レオンは教室を見渡した。
そして――。
ルシアンを見つけた。
「……!」
彼の表情が少しだけ変わる。
「ヴァルクレスト殿下」
レオンが頭を下げる。
「久しぶりです」
「レオンか」
ルシアンも頷く。
「学院まで来るとは聞いていなかった」
「昨日決まったんです」
「そうか」
「殿下と同じ場所で交流できることを楽しみにしていました」
レオンはそう言って微笑んだ。
リヴィアは二人を見る。
「知り合いなの?」
「ああ。ヴァロリアで何度か会っている」
「なるほど」
レオンがリヴィアを見る。
「そして、あなたがリヴィア・アーデント嬢ですね」
「……ええ」
名前を呼ばれて、リヴィアは少し驚く。
「どうして私のことを?」
「ヴァロリアでは有名ですよ」
「……」
嫌な予感がした。
「ど、どういう意味かしら?」
「世界を救った令嬢として」
「……」
教室の空気が一瞬止まった。
「ちょっと待って」
リヴィアが小声で言う。
「その話、どこまで広まっているの?」
ルシアンが答える。
「かなり広まっていると思う」
「なぜ今まで教えてくれなかったの?」
「聞かれなかったから」
「……」
リヴィアは頭を抱えた。
「お願いだから、そういう重要なことは先に教えて」
「分かった」
レオンが少し不思議そうに二人を見る。
「……仲が良いんですね」
「え?」
リヴィアの顔が赤くなる。
「そ、そういうわけでは――」
「仲は良い」
ルシアンが即答する。
「ルシアン!」
教室の何人かが笑った。
レオンも笑う。
「なるほど」
「何が『なるほど』なのよ……」
リヴィアは小さく呟いた。
その時。
「レオンさん」
セレネが声をかけた。
レオンが振り向く。
「はい?」
「ヴァロリアの学院では、どんな授業をしているのですか?」
突然の質問に、レオンは少し驚いた。
「魔法史や剣術、王国史など、基本的にはこちらと同じですよ」
「では、魔法体系にも違いがありますか?」
「少しあります」
セレネの目が輝く。
「教えてください」
「え?」
「知らないので」
「……」
レオンは一瞬戸惑ったあと、笑った。
「もちろん」
リヴィアはその様子を見ながら微笑んだ。
セレネは本当に変わった。
知らないことを怖がらない。
むしろ、知りたいと思えるようになった。
それは、彼女が選んだ新しい未来の一つなのだろう。
午前の授業が終わる。
交流祭の準備班が発表され、それぞれの担当が決められていく。
リヴィアたちは料理交流の担当になった。
「料理交流……」
リヴィアが名簿を見る。
「私とセレネ、エヴリン、フィリア。それから……」
「僕です」
レオンが手を挙げる。
「ヴァロリア側の料理担当として参加します」
「あなたも料理をするの?」
「はい。実家では料理人に教えてもらっています」
フィリアが勢いよく近づく。
「ヴァロリアのパンは作れますか?」
「……パン?」
「はい」
「パンなら何種類か」
「ぜひ教えてください!」
「分かりました」
レオンが少し引き気味に頷く。
リヴィアがため息をついた。
「フィリア。あなた、交流祭の目的を忘れていない?」
「パンを通じた文化交流です」
「間違ってはいないけど……」
エヴリンが笑った。
「じゃあ、私たちはエルディアのお菓子を教えようよ」
「それなら良いですね」
セレネも頷く。
「私も作ってみたいです」
「決まりね」
料理室へ向かう。
学院の調理室は広く、長い作業台がいくつも並んでいる。
窓から入る光が白い床を照らし、棚には様々な調理器具が整然と並んでいた。
「まずは、簡単な焼き菓子からにしましょう」
エヴリンが材料を並べる。
「セレネは混ぜる係ね」
「分かりました」
セレネは真剣な顔でボウルを持つ。
材料を入れる。
そして混ぜる。
最初はゆっくり。
少しずつ力を入れる。
「こうですか?」
「そうそう」
エヴリンが横から確認する。
「上手だよ」
「ありがとうございます」
セレネの表情が嬉しそうになる。
その隣では、フィリアがパン生地をこねていた。
「これは素晴らしいです」
「何が?」
「パンを作るという行為そのものが」
「そこまで?」
「はい」
レオンが苦笑する。
「パンが好きなんですね」
「はい」
「では、ヴァロリアのパンを教えます」
「お願いします!」
二人の間に、妙な友情が生まれ始めていた。
リヴィアはそれを見て笑った。
「意外と仲良くなれそうね」
「そうだな」
ルシアンが調理室の入口から答えた。
「……どうしてあなたがいるの?」
「様子を見に来た」
「料理するわけじゃないの?」
「必要ならする」
「できるの?」
「ある程度は」
「意外ね」
「俺だって料理くらいできる」
「では、これを」
リヴィアが材料を差し出す。
「切ってくれる?」
「ああ」
ルシアンは包丁を受け取った。
手際よく野菜を切り始める。
「……本当にできる」
「言っただろう」
「ごめんなさい」
「素直でよろしい」
「なんで上から目線なのよ」
ルシアンが笑う。
そんな二人を見ていたセレネが、ふと口を開いた。
「リヴィア」
「何?」
「二人は本当に仲が良いですね」
「……」
リヴィアの手が止まる。
「またそれ?」
「はい」
「どうしてそう思うの?」
「一緒にいる時間が自然だからです」
リヴィアは少し考えた。
そして、柔らかく笑った。
「……そうかもしれないわね」
ルシアンも何も言わなかった。
ただ、少しだけ嬉しそうだった。
午後。
料理交流の試作品が完成した。
焼き菓子。
エルディア風の果実タルト。
ヴァロリア風のパン。
そして、フィリアが作った大量のパン。
「……フィリア」
「はい」
「どうして最後だけ量がおかしいの?」
「試食用です」
「試食ってレベルじゃないでしょう」
机の上に並べられたパンは、どう見ても十人分以上あった。
レオンが一つ手に取る。
「美味しそうですね」
「どうぞ!」
レオンが一口食べる。
「……美味しい」
「本当ですか?」
「はい」
フィリアが嬉しそうに笑う。
「では、次はヴァロリアのパンです」
「楽しみです」
レオンがパンを渡す。
セレネも一口食べた。
「……!」
目が輝く。
「美味しいです」
「でしょう?」
フィリアが満足そうに頷く。
「これは重要な発見です」
「何が?」
リヴィアが尋ねる。
「国が違っても、パンは美味しいです」
調理室に笑い声が響いた。
その笑い声を聞きながら、リヴィアは思った。
これでいい。
国が違っても。
生まれた場所が違っても。
過去が違っても。
こうして笑える。
それだけで、交流する意味はあるのかもしれない。
帰り際。
レオンがリヴィアに声をかけた。
「アーデント嬢」
「何?」
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ」
「明日もよろしくお願いします」
「ええ」
レオンが去っていく。
リヴィアはその背中を見送った。
「……普通の学生ね」
隣に立つルシアンが頷く。
「ああ」
「それが一番いいわ」
「何か心配していたのか?」
「少しだけ」
リヴィアは笑った。
「昔なら、知らない人が現れるたびに『何かの伏線かもしれない』って疑っていたから」
「今は?」
「今は――」
リヴィアは調理室の中を見る。
そこには、セレネとエヴリンが片付けをしている。
フィリアは残ったパンを袋に詰めている。
ノエルはそれを手伝っている。
そして、レオンも皆と話している。
「ただ、新しい人と出会ったと思えるようになったわ」
ルシアンは静かに笑った。
「それは大きな変化だな」
「そうね」
学院の外へ出る。
夕方の空が二人を包む。
リヴィアは歩きながら、小さく呟いた。
「未来って、案外普通のものなのかもしれないわね」
「どういう意味だ?」
「大きな奇跡じゃなくて」
リヴィアは前を見る。
「知らない人と出会ったり、友達と笑ったり、一緒に食事をしたり……そういう小さなことの積み重ねが未来になるんじゃないかなって」
「……そうだな」
ルシアンが頷く。
「俺もそう思う」
二人は並んで歩く。
その後ろから、フィリアの声が聞こえた。
「リヴィア!」
「何?」
「パンを持って帰ってもいいですか?」
「……好きにして」
「ありがとうございます!」
ノエルが呆れたように笑う。
「また増えてるぞ」
「明日の朝食です」
「今日の分じゃないのか?」
「今日の夜食にもします」
「食べすぎだろ」
セレネが笑う。
エヴリンも笑う。
リヴィアも笑った。
その光景を見ながら、ルシアンが静かに言う。
「こういう未来なら、悪くないな」
「ええ」
リヴィアは頷いた。
まだ答えは出ていない。
まだ未来は決まっていない。
けれど。
知らない人と出会い。
新しい友人を作り。
笑い合い。
時には迷いながら。
自分たちの未来を少しずつ選んでいく。
第三章の物語は、そんな小さな一歩から始まっていた。




