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図書館で見つけた一冊

 翌日の朝。


 王立セイレーン学院へ向かう道を歩きながら、セレネは昨日借りた本を胸に抱えていた。


『未来の選び方』


 昨日、図書館で見つけた一冊。


 まだ一ページも読んでいない。


 だからこそ、セレネは朝から楽しみにしていた。


「セレネ!」


 前方から声が聞こえる。


 振り向くと、エヴリンが手を振りながら走ってきた。


「おはようございます」


「おはよう! その本、昨日の?」


「はい」


 セレネが本を見せる。


「『未来の選び方』って本なんですね」


「面白そうだったので」


「昨日からずっと持ってるの?」


「はい」


「寝る時も?」


「……」


 セレネが少し考える。


「枕元には置きました」


「本当に?」


「はい」


 エヴリンが笑った。


「セレネって、意外と本が好きなんだね」


「私も昨日知りました」


「自分のことなのに?」


「今まで、本を楽しむということを考えたことがありませんでしたから」


 その答えに、エヴリンは一瞬だけ黙った。


 けれど、すぐに優しく笑う。


「じゃあ、これからいっぱい見つければいいよ」


「……はい」


 セレネは嬉しそうに頷いた。


 二人が学院へ向かって歩いていると、後ろから足音が聞こえた。


「おはよう」


 リヴィアとルシアンだった。


「おはようございます」


「おはよう、セレネ。昨日借りた本、もう読んだ?」


「まだです」


「そう」


 リヴィアが本の表紙を見る。


「今日の休み時間に少し読んでみるといいわ」


「はい」


「ただし、授業中は読まないこと」


「分かりました」


 ルシアンが横から言う。


「ずいぶん真面目な学生になったな」


「当然です」


「昨日まで世界を見ていた人物とは思えないな」


「……」


 セレネが考え込む。


「それは褒めていますか?」


「もちろん」


「なら、ありがとうございます」


「どういたしまして」


 リヴィアが二人を見て笑う。


「ルシアン、セレネをからかわないで」


「からかってはいない」


「あなたの場合、どこまでが本気なのか分からないのよ」


「それもよく言われる」


「でしょうね」


 そんな会話をしながら、四人は学院へ入っていった。


 教室では、すでに何人かの生徒が席についていた。


 セレネが自分の席へ向かうと、机の上に小さな紙袋が置かれていることに気づいた。


「……?」


 中を開く。


 そこには、小さな焼き菓子が入っていた。


「これは……?」


「私が置いたの」


 エヴリンが言った。


「昨日、学院生活を楽しんでいるみたいだったから」


「ありがとうございます」


「友達へのちょっとしたプレゼントだよ」


「友達……」


 セレネはその言葉を繰り返す。


 そして、焼き菓子を両手で大切そうに持った。


「友達からもらったものは、大切にするものですか?」


「もちろん」


「食べてしまっても?」


「え?」


「食べたら、なくなります」


「……」


 エヴリンが一瞬固まる。


 そして吹き出した。


「ふふっ……そういうところ、セレネらしいよ」


「間違っていますか?」


「ううん。食べていいよ」


「分かりました」


 セレネは焼き菓子を一口食べた。


「……美味しいです」


「よかった」


 その笑顔を見て、エヴリンも嬉しそうに笑った。


 その頃。


 廊下では、リヴィアがルシアンと歩いていた。


「そういえば、昨日言っていた秘密の場所ってどこだったの?」


「まだ秘密だ」


「……」


「そんな顔をするな」


「気になるでしょう?」


「今日の放課後に教える」


「本当に?」


「ああ」


 リヴィアは少しだけ目を細める。


「何か企んでいる?」


「企んでいない」


「怪しい」


「信用してくれ」


「あなたの場合、その言葉だけでは信用できないのよ」


「では、実際に見てもらえばいい」


「……分かったわ」


 リヴィアは少し笑った。


 昼休み。


 いつもの中庭に、いつもの顔ぶれが集まった。


 そして、いつものようにフィリアがパンを並べていた。


「今日は八個です!」


「昨日より減ったわね」


 リヴィアが感心する。


「セレネが三個食べなかったからです」


「……私は一個しか食べていません」


「だから八個です」


「計算がおかしいわよ」


 ノエルがパンを見ながら苦笑する。


「フィリア、そのうち学院中のパンを買い占めるんじゃないか?」


「それは良い考えです」


「冗談だよ」


「私は本気です」


「……」


 ノエルが黙った。


 セレネがその様子を見て笑う。


「ノエル」


「何だ?」


「あなたはフィリアに勝てませんね」


「……最近、そう思うようになった」


「成長しましたね」


「何の成長だよ」


 皆が笑った。


 その笑い声を聞きながら、リヴィアはふと周囲を見渡した。


 少し前まで、ここにいたのは自分とルシアン、エヴリンたちだけだった。


 今では、セレネもノエルもフィリアもいる。


 それぞれが違う場所から来て。


 違う過去を持って。


 それでも、今は同じ場所で笑っている。


「……不思議ね」


 リヴィアが呟く。


「何が?」


 エヴリンが聞く。


「こうして皆で昼食を食べていること」


「そう?」


「ええ」


 リヴィアは空を見上げた。


「昔の私なら、こんな未来は想像できなかったと思う」


 ルシアンが静かに答える。


「だからこそ、未来なんだろう」


「……そうね」


 午後の授業が終わった。


 生徒たちが帰宅の準備を始める中、セレネは本を鞄へしまった。


「今日こそ読もう」


 そう呟く。


 しかし。


「セレネ」


 リヴィアが声をかけた。


「はい?」


「昨日の約束、覚えてる?」


「図書館ですか?」


「ええ」


「もちろんです」


 セレネは嬉しそうに立ち上がった。


 だが、その瞬間。


「俺との約束も忘れないでくれ」


 ルシアンが言った。


 リヴィアが振り返る。


「……そうだったわ」


「忘れていたのか?」


「少しだけ」


「ひどいな」


「ごめんなさい」


 セレネが二人を見る。


「二人は今日も一緒に出かけるのですか?」


「ええ」


 リヴィアが答える。


「放課後に少しだけね」


「では、私も――」


 セレネが言いかける。


 しかし、リヴィアは笑って首を横に振った。


「今日は私とルシアンだけにしてあげて」


「……?」


「二人で話したいこともあるから」


「分かりました」


 セレネは素直に頷いた。


 そしてリヴィアとルシアンは学院を出た。


 王都の街をしばらく歩く。


 ルシアンは何も言わない。


 リヴィアも尋ねなかった。


 やがて二人は、王都の外れにある小さな丘へ到着した。


「ここ……?」


 リヴィアが目を見開く。


 丘の上には一本の大きな木が立っていた。


 夕方の風に葉が揺れ、遠くには王都の街並みが見える。


「綺麗……」


「ここなら、学院より静かだ」


「それで?」


「君に見せたかった」


「どうして?」


 ルシアンは少しだけ黙った。


「君がこれから選ぶ未来の中に、俺もいると伝えたかったからだ」


「……」


 リヴィアの頬が赤くなる。


「また、そういうことを……」


「嫌だったか?」


「……嫌じゃない」


 小さな声だった。


 ルシアンが微笑む。


「それならよかった」


 二人は並んで丘に立った。


 沈みかけた太陽が、王都を黄金色に染めている。


「リヴィア」


「何?」


「俺は急がない」


「……うん」


「君が答えを出すまで、待つ」


「ありがとう」


「だから――」


 ルシアンが空を見る。


「今は、こうして一緒にいられる時間を大切にしたい」


 リヴィアも同じ方向を見る。


「私も」


 それだけだった。


 結婚の答えも。


 未来の形も。


 まだ決まっていない。


 それでも二人は、同じ景色を見ている。


 それで十分だった。


 その頃、学院の図書館では。


 セレネが一人、昨日借りた本を開いていた。


 ページをめくる。


 そこには、こんな文章が書かれていた。


『未来とは、まだ存在しない時間である』


 セレネはその一文をじっと見つめた。


 さらにページをめくる。


『だからこそ、人はそこへ何を残すのかを自分で選べる』


「……自分で」


 セレネは小さく呟く。


 昔の自分なら、未来を残すことを「記録すること」だと思っていた。


 けれど違う。


 未来に残るものは、記録だけではない。


 今日食べたパン。


 友達からもらった焼き菓子。


 笑い声。


 誰かと歩いた道。


 誰かに言われた言葉。


 そういう小さなものも、きっと未来へ繋がっていく。


 セレネは本を閉じた。


「……明日も、読もう」


 そして立ち上がる。


 図書館を出る前に、もう一度だけ本の表紙を見る。


『未来の選び方』


 その本を抱えながら、セレネは微笑んだ。


 未来は、選ぶだけではない。


 選んだ今日を積み重ねていくことも、未来を作るということなのだ。


 夕暮れ。


 学院の廊下に、一人の少女の足音が響く。


 観測者だった少女はもういない。


 そこにいるのは――。


 自分の明日を楽しみにしている、一人の少女だった。


 そして。


 その夜。


 王宮では、別の場所でも一つの未来が動き始めていた。


「……この書類、本当にここに?」


 王宮の執務室。


 アルベルトが一枚の書類を手にしていた。


 そこには、エルディア王国とヴァロリア王国の今後の交流について書かれている。


 そして、その最後に。


 一つの新しい計画が記されていた。


『両国合同・王立セイレーン学院交流祭』


 アルベルトは静かに目を細める。


「これは……少し面白くなりそうだな」


 まだ誰も知らない。


 それが、学院に新しい日常をもたらすことを。


 そして――。


 リヴィアとルシアンの関係にも、小さな変化を生むことを。


 未来は、まだ決まっていない。


 だからこそ。


 また一つ、新しい出来事が始まろうとしていた。

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