第36話 桜井宗的の死
1529年
この頃の島津家は有名な島津四兄弟の祖父・島津忠良(日新斎)を後見人として忠良息子にして四兄弟の父・貴久が継いだ頃である
だが島津家は一門で島津宗家の家督争いをしていた時期であり磐石ではなく特に島津宗家を指揮したばかりの貴久・忠良親子(伊作家)と実久(薩州家)の対立が激しかった
そこで政久は一門の中の豊州家の忠広を使う事にした
豊州家は島津家の家督争いの中でも弱い位置であったがそこを利用しようと考えたのである
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「島津忠広でございます」
人吉城に構える尼子政久の元へ忠広がやってきた
「島津忠広よ。尼子家に味方すれば島津宗家の座を約束しよう。どうだ?」
「…わかりました。この島津忠広、尼子家に味方します」
「よくいった!では準備するといい!」
「はっ!」
こうして島津忠広の豊州家を味方につけた尼子家は島津家に対して攻撃を仕掛けたのだが…
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1529年・9月
尼子軍は桜井宗的を総大将に島津家の内城に進行。その道中で豊州家が味方し島津家に初戦で大打撃を与える予定だった
が…
「申し上げます!豊州家の島津忠広味方せず!桜井宗的様討死!」
「な…」
なんと豊州家の投降は虚偽であり島津家の策だった
これにより初戦で大敗しただけでなく桜井宗的を失うということになってしまった
「…」
転生してすぐに許した桜井宗的を失った俺は我を失っていた
「皆の者、すぐに出陣だ!島津の義を知らぬ者共を血祭りにあげてやる!」
怒り狂う政久
「お待ちください!そんなことをしては人は着いてきません!」
宇山が止めるが
「黙れ!」
宇山を蹴っ飛ばし
「ぶっ殺してやる」
宇山を無視して進む
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怒り狂った尼子政久率いる尼子軍は大軍で島津家を容赦なく扱った
投稿してきた薩州家も宗家も関係なく皆殺しにし誰一人許さなかった
この政久の行動に家臣たちの中に疑問を抱くものもいた
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「父上」
晴久が来た
「どうした?」
「島津との一戦はやりすぎではありませんか?」
そういう晴久に
「…そんな口を叩くほどお前が活躍したのか?」
「いえ…そういう訳では」
「下がれ!」
「…はっ」
俺は晴久を追い返すと一人で島津家の処分を行い九州統一を果たすことになった




