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笛吹いて死ぬ運命を変え天下を掻き乱す話  作者: 悠
そうだ京都、行こう。
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33/41

第33話 西国管領とやべぇ奴


政久はそうした国内の体制を整えると再び京都へ上洛した


朝廷や幕府に根回しをするためである


大量の銀の贈り物や根回しの結果政久は「正三位」という高い位を頂くことになった


また今の領土の守護を正式に幕府から認められただけでなく山名政豊や宇喜多能家といった自らが国を与えたもの達への守護も認められたのである


またこの結果尼子政久の為ににある役職が作られた


「さ…西国管領とは…?」


政久は困惑していた


足利義晴より新たに新設し頂戴されたのはこれまでにない「西国管領」という役職


つまり西国をお前に任せるという意味であり関東管領と同格ということではあったがこれまでになかった役職をいきなり新設し与えられてもその効果の程は低い


後にこれは管領家の細川氏による嫌がらせであった


政久は足利義晴より苦笑いでこの役を受け取りどうしたもんかと居城に戻ると宇山久兼が言った


「ならばその役職の通り西国を平らげて価値を作れば良いのでは?」


全くもってその通りである


役職の意味が無いなら作ればいい。


むしろこれは「九州・四国への遠征を認められた」と考えれなくもない


発想を転換し前向きにとらえた政久は九州遠征の準備を整えるのであった


~~~~~~~~~~


1527年、政久は桜井宗的・亀井秀綱を筆頭に5万の兵力で九州に遠征しにきた


これに対し少弐氏を中心に反尼子連合を作ったが九州では常に争いをしていた為一枚岩になれることなどなく結局各個で対応することになった


尼子政久はまず豊後の大友と戦いを始めることになった


~~~~~~~~~~


大友義鑑はこの尼子の進軍に和睦をしようとしていた


しかし家臣達に反対され戦うことを余儀なくされた


そんな大友では尼子に抵抗する力などなかった


…彼一人を除いて


戸次鑑連、史実で立花宗茂の養父であり「大友の雷神」と恐れられた男である


戸次鑑連はまだ14歳であったが病弱の父に変わり初陣、その類まれなる軍才からまとめあげ6000で尼子軍を迎え撃った


勝敗は火を見るより明らかではあったがこの時戸次鑑連は多勢に無勢ながらも果敢に戦い尼子軍を足止めて見せた


結果この戸次鑑連の足止めが功を奏し大友軍は当初は大友を助ける気がなかった伊東・相良・阿蘇の援軍を得て3万に膨れ上がり尼子軍を迎え撃つ体制が整ってしまったのである


尼子軍はその兵の強さからこの連合軍を倒す事は出来たものの大友攻略に半年も費やしてしまったのであった


そして俺は思う


「あれが雷神…」


そう思うと奴を絶対家臣にしなくてはならないと感じたのであった

戸次鑑連の初陣は本当に14歳です


信じてください()

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