第3話:現場検証とコードの書き換え
案内された侯爵邸の2階奥、執務室の前は混沌を絵に描いたような惨状だった。
豪奢な絨毯が敷き詰められた廊下には、蒼白な顔をした衛兵たちと、煌びやかな法衣を纏った魔導院の調査官たちが右往左往している。扉の前には、光り輝く複雑な魔法陣が幾重にも展開されており、それが「立ち入り禁止の魔導結界」であることを主張していた。
「――どけ、邪魔だ」
レイヴァルトの冷酷な声が響くと、うろたえていた者たちが一斉に道を開けた。検察官のバッジと彼の纏う圧倒的な圧に誰もが固唾を飲む。だが、彼らの視線がレイヴァルトのすぐ後ろを歩く俺に移ると、途端に侮蔑と不快感の色へと変わった。
「な、なんだあの薄汚い奴隷は……!? 検察官閣下、現場にそのような者を連れ込むなど――」
「黙れ。私が許可した」
魔導院の調査官を一蹴し、レイヴァルトは俺を伴って執務室の重厚な扉を押し開けた。
室内に踏み込んだ瞬間、俺の鼻腔を突いたのは、濃厚な鉄の匂い――血の気配だった。
マホガニーの巨大なデスクの脇には、豪奢な衣装を着た中年男が倒れていた。背中に深々と突き刺さった短剣と、床一面に広がる漆黒の血痕。被害者は公爵家からの使者とされる男だ。
部屋の窓は完全に締め切られており、窓枠の四隅には防犯用の結晶が嵌め込まれ、鈍い青色のアウラを放っている。出入り口のドアも、内側から頑丈な魔導鍵が施錠されていた状態だった。
「見ろ、奴隷」
レイヴァルトが腕を組み、冷ややかな視線を室内へ向ける。
「出入り口の魔導鍵は、合鍵や解錠魔法を使えば記録板に必ず『アクセスログ』が残る仕様だ。だがログは一切存在しない。窓の結界も破られた形跡はなく、壁や床に隠し通路の類いもないことを騎士団の探知魔導で確認済みだ。……つまり、犯人はこの密室に入ることなく被害者を刺殺したか、あるいは……」
「あるいは、幽霊か悪魔の仕業って言いたいわけですね」
俺はやれやれと肩をすくめ、手にしていたほうきを壁に立て掛けた。
「おい、何を勝手なことを! 魔法の不可侵性を侮辱する気か!」
後ろからついてきた魔導院の男が青筋を立てて怒鳴り散らすが、俺は完全に無視した。俺の瞳の中では、既にこの部屋全体を構成する「ソースコード」が超高速で展開されていた。
【エリア解析:オズワルド邸執務室】
* 空間データ: 密閉率99.8%
* 魔導結界(窓): 正常稼働(ログに途切れなし)
* 魔導鍵(扉): 正常稼働(解錠ログなし)
* バグ検知: 部屋の南西角(温室隣接壁)に【熱膨張による物理周波数の干渉エラー】を検出。
(……なるほどね。見えてきたぞ、この世界の『魔法』のボロが)
俺はゆっくりと部屋の壁際へ歩み寄り、豪奢な絵画が飾られた壁面にそっと手を触れた。
「検察官様。この部屋の隣って、何があります?」
「隣か? ……温室(ボイラー室)だ。珍しい南国の植物を育てるため、常に高熱の魔導炉で温められている」
「そうですよね。じゃあ、答えは出ました」
俺がフッと嘲笑を浮かべると、魔導院の調査官が「ハッ、ハッタリを言うな!」と叫んだ。
「壁は完全な防音・防熱の魔導付与がされている! 隣の温度など、この部屋には1度だって影響せんわ!」
「ええ、魔法の『計算上』はね」
俺は壁をコンコンと指先で叩いた。
「でも、あなたがたが過信しているその魔導付与のプログラム……コードの記述が甘いんですよ。熱を遮断する処理が『魔導炉の稼働時』にしか対応していない。つまり、1時間前に温室の魔導炉が定期メンテナンスで【一時停止】した際、壁の魔導回路に一瞬だけ『処理のタイムラグ』が生じた」
「な……タイムラグだと!?」
「そのわずか数十秒の間に、急激な温度変化で壁の物理的な材質が熱収縮を起こし、ミリ単位の『隙間』が生まれた。犯人はその隙間から、極細の魔力糸で誘導した針を部屋の中に滑り込ませ、被害者を刺殺した。そして、魔導炉が再起動して壁が元の状態に戻ったことで、隙間は完全に埋まり、誰も破れない『完全密室』が完成したってわけです」
俺は首元を掻きながら、呆れたようにため息をついた。
「魔法は完璧でも、それを支える『物質の熱膨張』っていう物理法則のエラー処理を書き忘れてた。典型的な設計ミス……ただのシステムバグですよ」
シーンと、室内が静まり返った。
魔導院の調査官は口をぐうの音も出ないほど開け放ち、顔を真っ赤にして固まっている。レイヴァルトは眼を大きく見開き、俺の指し示した壁と、自分の手元の記録板を交互に見つめた。
「……信じられん。魔導のログに頼るあまり、物理的な壁の収縮など、誰も計算に入れていなかった……」
レイヴァルトの唇がブルリと震え、やがて、その口元から低く可笑しそうな笑いが漏れ出した。
「ハハ……素晴らしい。素晴らしいぞ、奴隷……いや、ルクと言ったな」
レイヴァルトは一歩踏み出し、俺の目の前に立つと、その眼光をギラリと光らせた。
「お前のその異常なまでの『論理』の力……ここで泥に塗れさせておくには、あまりにも惜しい」
「……へ?」
俺が嫌な予感を察して引きつった笑いを浮かべた瞬間、レイヴァルトはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、俺の首輪へと手を伸ばした――。




