第8話 サキュバスの暴走
キスシーンを目撃された瞬間、俺と由奈は同時に飛びのいた。
半開きになったドアの前で立ち尽くしているのは、中学三年生になる妹の美乃梨だ。
「お、お兄ちゃん……由奈ねぇとチューしてた……?」
そう言いながら、妹の目は真ん丸に見開かれている。
「さ、さぁ? 夢でも見てたんじゃないか?」
「いやいや、ここから誤魔化すの無理でしょ! チューしてたよ完全に!!」
「……こら、声が大きい!」
俺は慌てて美乃梨の口を手で塞ぎ、左右をぐるりと見渡した。
幸いにもご近所さんの姿はないが、朝の静かな住宅街に中三女子の叫び声は通りすぎる。
「んぐっ……誤魔化さないでよ! えっ何、ふたりってそういう関係だったの? いつから!?」
「ち、違うの美乃梨ちゃん! 私達、別に怪しい関係とかじゃなくて……!」
真っ赤になった由奈が手をブンブンと振って否定しようとするが、動揺しすぎて説得力はゼロだ。
すると、爛々と目を輝かせた美乃梨が、由奈に詰め寄った。
「ちょっと待って……ってことは、由奈ねぇが本当のお姉ちゃんになるってこと!?」
あまりの跳躍力を見せた思考に俺がポカンとしていると、美乃梨は由奈の手をギュッと握りしめた。
「嬉しい嬉しい! 私、ずっとお姉ちゃんが欲しかったの! この三年間由奈ねぇずっとウチに遊びに来なかったから、お兄ちゃんが愛想尽かされたと思ってた!」
「えっと……美乃梨ちゃん?」
「まさか高校に入って急に仲直り、からの義理の姉ルートだなんて!」
ハイテンションを崩さない美乃梨、その声のボリューム調節機能は壊れてしまったらしい。
こいつ……さっきから声を落とせと言っているのに!
「落ち着いて美乃梨ちゃん……! 私達、付き合ってるとか、そういうんじゃなくて!」
「そうそう。由奈の顔に虫が止まって、それで追い払おうとして……」
「言い訳が苦しすぎるよ二人とも! どう見てもチューしてたもん!」
美乃梨は呆れ果てた目で俺たちを交互に見た。
「恥ずかしがらなくても大丈夫! 私は全力で二人を推すからね!」
テンションのメーターが降り切れた様子の美乃梨が、その場でぴょんぴょんと跳ねる。
「……父さん母さんには黙っとけ、他の人にもだ。いいな?」
「分かってるってば! ねえそれより、告白はどっちから? 何て言って告白したの?」
「美乃梨、俺達バスの時間があるから……」
「あ、そうだね! お兄ちゃん、ゴミ出しは私が行っておくから、由奈ねぇと沢山ラブラブしてね!」
そう言って、美乃梨はバタンと扉を閉めて家の中へと戻っていった。
疲労感がドッと押し寄せ、俺は大きなため息をついた。
「はぁ、朝から疲れた……」
「びっくりしたね……」
「ごめん由奈、こんな事になっちゃって」
「まあ美乃梨ちゃんには遅かれ早かれバレてただろうし……仕方ないよ」
「完全に、美乃梨の中では俺達が付き合ってるって設定になっちゃったな……」
「そうだね……」
その時、ドアが勢いよく開いて、再び美乃梨が顔を出した。
「お兄ちゃん! 由奈ねぇを泣かせるような事があったら私が絶対許さないからね!」
「わ、分かったから! お前も早く支度しないと遅刻するぞ」
「はーい、じゃあね二人とも」
バタンと扉が閉まる。再び静けさが戻って来た。
「美乃梨ちゃん、喜んでるね……ちょっと心が痛いかも」
「まあ、サキュバスの事がバレるよりはマシってことで……」
味方が増えたような、余計に逃げ場がなくなったような。
俺たちは顔を見合わせて苦笑いを浮かべ、バス停へと歩き出した。
◇
その日の四時間目の授業中。
間もなく昼休みのチャイムが鳴る頃、俺のポケットの中でスマホが震えた。
教師の目を盗みつつ机の下で画面を開くと、由奈からのメッセージが届いていた。
由奈『学人、ごめん』
由奈『補給が必要かも』
俺は咄嗟に斜め前の席に視線を向けた。
由奈が苦しそうに背中を丸め、深い呼吸を繰り返している。その横顔はほんのりと紅潮していた。
(美乃梨のせいか……!)
思えば今朝のハプニングによって、満足な補給ができていなかった。
その弊害が、まさかこのタイミングで出てしまうとは。
机の下で、コソコソと由奈に返信を送る。
学人『わかった』
学人『先に例の場所で待っててくれ 時間差で行く』
程なくして昼休みを告げるチャイムが鳴り響き、それまで静まり返っていた教室は生徒たちの喧騒に包まれた。
授業が終わると同時に、ガタッと激しい音を立てて由奈が席を立った。
彼女はわずかに俯いたまま、小走りで教室を飛び出していった。
「学人、一緒に飯食おうぜ」
いつもの調子で大樹が声を掛けてくる。だが今の俺に、友人とゆっくり飯を食う時間は一秒たりとも無い。
「すまん大樹、今日はパスで」
「どうした、何か用事でもあんのか?」
「ちょっと野暮用があってな。悪いけど今日は他の奴誘ってくれ! それじゃ」
雑な嘘を必死にまくし立て、俺は素早く教室を後にした。
背中に大樹の視線が刺さるのを感じながら、内心で頭を抱える。
(……ああ、また怪しまれる)
だが今はそんな事より、例の場所で待つ由奈のもとへ向かうのが最優先だ。
俺は急ぎ足で廊下を駆け抜けた。
◇
三階の生物教室横にある、廃材置き場。そこに由奈がいるはずだ。
俺は息を弾ませながら階段を駆け上がり、彼女のもとへと急いだ。
指定の場所にたどり着く。そこに広がっていた光景に、俺は言葉を失った。
「っっ!?」
由奈の側頭部から、禍々しくも美しい一対の角が伸びていた。更には肩口の辺りから、小さな漆黒の羽が生えている。
それは以前、ファンタジー小説の挿絵で目にした、サキュバスの姿そのものだった。
「がく、とぉ……」
「由奈っ……!!?」
俺が駆け寄ろうとした瞬間、強い力で壁に押し付けられた。
由奈の唇が、俺の首筋へと落ちる。小さな吐息とともに肌を舌が這い、全身を痺れさせていく。
「ま、待て、由奈……!」
そんな制止は聞き届けられず、由奈の舌が俺の首筋を執拗に嘗め回した。
「んはぁ……っ、がくと、好き……っ」
熱に浮かされた瞳で見上げながら、由奈の手が俺の胸元へ伸びてきた。
制服の生地越しに、胸の尖りに爪を立て、カリカリと焦れったく刺激される。
「っく……!」
理性を溶かすような甘い刺激に、俺の頭は今にも沸騰しそうだった。
「由奈、落ち着け……!」
荒い息を吐き出しながら、俺は必死に声を絞り出した。
だが今の由奈には、俺の声など届いていないようだった。
「がくと……わたしもう、我慢できない……っ」
上気した頬と、潤んだ瞳。
普段の控えめな彼女からは想像もつかない熱っぽい上目遣いで、俺をじっと見つめてくる。
「お願い、わたし、がくとに……めちゃくちゃにされたい……」
たどたどしくも艶を帯びた言葉が、俺の鼓膜を甘く震わせた。
(ダメだ……完全に暴走してる……!)
理性のタガが外れた由奈の手が、一切の躊躇も無く俺の下半身へと伸ばされる。
「ねぇ……がくとのココも、苦しそうだよ……?」
血流が集まって硬くなった俺のソレを、由奈の柔らかい手がズボン越しに執拗になで回す。
衣服越しに伝わる体温と摩擦が、崩壊寸前の理性を内側から更に削り取っていく。
「っ……く、由奈……!」
「わたしと……ここで、シよ? ね、お願い、がくと……」
熱い吐息を耳元に吹きかけられながら、密着するように体を寄せてくる由奈。
甘い香りと柔らかな身体に包まれ、俺の頭の中は真っ白になりかけていた。
「わたしのことも……触ってほしい……っ」
由奈の華奢な手が、俺の手首を掴む。そのまま自らの豊かな胸元へと誘導する。
掌に伝わる、吸い付くような柔らかさ。制服の生地越しであっても、その熱と弾力は脳髄をダイレクトに焼いた。
「好き好き、大好き……」
暴走状態の由奈から、熱烈過ぎる愛の告白。これが普段の由奈だったら、俺は天にも昇る気持ちになるのだろう。
だが今の彼女は、由奈であって、由奈じゃない。
「がくとの事が、大好きなの……っ」
彼女の心臓部に当てた手に、ドクドクと強い鼓動を感じる。
それが自分の脈拍なのか、それとも由奈のものなのか、もはや判別がつかない。
恐ろしいほどの勢いで、俺の血流は全身を駆け巡っていく。
「早く……がくとに、抱いて欲しいんだよ……?」
熱にうなされるような甘い声とともに、由奈は俺の手をさらに下へ滑らせる。
自らの下腹部へと、俺の手を強く押し当てさせた。
「ねえ、ここ……ひとつになれたら……絶対に気持ち良いよ……?」
「っ……!」
「お願い……今すぐ、私のこと……っ」
サキュバスの本能に抗えず、淫らに秘められた部分を擦り寄せてくる由奈。
その直球すぎる誘惑に、俺の理性の糸が。
ぶつりと――




