第18話 いっそ本当に付き合うのはどうですか
カラオケボックスでの大騒ぎをどうにか乗り切った日の夜。
由奈の部屋のバルコニーといういつもの場所で、俺は彼女と一緒に今日の反省会を開いていた。
「なんか面倒な事になっちゃったね」
手すりに寄りかかりながら、由奈がぽつりと呟く。
「ごめんな由奈、色々と出まかせでっち上げちゃって……」
「あの場合は仕方ないよ。あれだけバッチリ見られちゃったら、そりゃ言い逃れ出来ないもん……」
「あの二人の中では、完全に俺達は交際二か月のカップルになっちゃったな」
「そうだね……」
由奈は頬をほんのり赤く染めながら、もじもじと指先を絡め合わせた。
「でもまあ、由奈のサキュバス体質の秘密は守れたってことで」
そう、最大の危機は脱した。
あのキスは、単なる恋人同士のイチャつきとして処理された。
生きるために精気を補給しなければならないという、由奈の浮世離れした体質の秘密は誰にもバレずに済んだのだ。
不意に、由奈がゆっくりとこちらへ向き直った。
「じゃあ、学人……今日の補給、お願い」
月明かりに照らされたその瞳は、昼間の焦りとは違う、溶けだしそうな甘い熱を帯びているようだった。
くっ、反則だ。可愛過ぎる。
「お、おう……」
そんな由奈の雰囲気に飲まれまいと、俺は彼女の肩を引き寄せた。
目を閉じて、俺からのキスを待つ由奈。
――ちゅっ。
互いの唾液と体温の、甘やかな交換が行われた。
彼女と一日二回のキスが習慣となって、もう二か月が経つ。
にも関わらず――舌の温度と感触に、俺はいつまでも慣れる気配が無い。
特に今のような、夜の補給は危険だ。
シャンプーの甘い香りと、パジャマの首元からのぞく無防備な鎖骨。
彼女と密着する関係上、心臓の高鳴りが伝わってないか毎回不安になってしまう。
やがて彼女の方から距離が離れ、今日の補給が終わった。
「ありがと」
微笑む由奈を見つめながら、俺は思わず口を開いた。
「なあ、由奈」
――いっそ俺達、本当に付き合ってみる?
そんな言葉が喉の奥まで出かかって、俺は慌てて飲み込んだ。
ダメだ。何を考えている里中学人。それをしたら本当の不純異性交遊だぞ!
雑念を振り払って、なんとか違う質問を絞り出す。
「あ、えっと、明日の弁当のおかずは何を入れる予定なんだ?」
「明日は、いつもの玉子焼きと――あとは内緒」
そう言って、由奈はふわりと笑った。
「そ、そっか、楽しみにしてる。じゃあ俺は戻るから」
俺はバルコニーの作に足をかけ、ピョンっと跳んで自分の部屋に戻った。
由奈がこちらに手を振る。
「また明日ね」
「おう……おやすみ」
「おやすみ、学人」
由奈が窓とカーテンを閉めたのを確認して、俺も窓にカギをかけた。
ふぅ、と呼吸を整えた、その時だった。
「うふふ、お兄ちゃんもなかなかやりますねぇ」
ニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべながら、部屋の隅から妹の美乃梨がヌッと現れた。
「うおっ、美乃梨!? 何勝手に人の部屋上がってんだよ!」
「カワイイ妹が漫画を返しにきただけじゃん。ハイこれ」
悪びれる様子もなく、漫画本を差し出してくる美乃梨。
俺の背筋を嫌な予感が駆け抜ける。
「……どこから見てた」
「えー。お兄ちゃんが由奈ねぇの肩をガッ! って抱き寄せて、むちゅー! ってした辺りから」
「全部かよ!」
俺は絶望のあまり頭を抱えた。
昼間は大樹と三ケ森さんに、夜は実の妹に、幼馴染とのキスシーンを目撃されてしまうなんて。
いや、なんて日だ!
「まさか二人が夜の逢瀬を楽しむステージまで進んでたなんて……私、お兄ちゃんのこと見直したよ!」
「見直すな!」
「ふふん、私が叔母さんになる日も近そうだね!」
「一回落ち着いてくれ、頼むから……」
「まあまあお兄ちゃん! 私は二人のこと応援してるからね!」
「早く自分の部屋戻って勉強するか、さっさと寝ろ。一応受験生だろお前」
「はいはーい♪ お兄ちゃんまたね~」
嵐のように去っていく妹の背中を見送り、俺は部屋の扉を閉めた。
そのままベッドに身体を放り投げる。
(にしても……明日からどんな顔して大樹達に会えばいいんだ)
そんなことを考えながら、重い溜息を一つ吐き出す。
やがて俺は、長すぎる一日にさよならを告げるように、ゆっくりと瞼を閉じた。
◇
次の日の昼休み。
俺は教室で大樹と昼食を食べていた。
由奈は先ほど、三ケ森さんと一緒に教室を出て行ったところだ。
玉子焼きを一口、もぐもぐと噛み締める。甘さとうま味のバランスが絶妙な、今じゃすっかり食べ慣れた優しい味わいだ。
大樹がいつものコンビニの菓子パンを食べながら、俺に言った。
「なーなー」
「ん?」
「今日も愛妻弁当?」
「んぐっ!?」
勢い余って喉に詰まった米を、ペットボトルの水で一気に流し込む。
「声がデカいんだってお前は……!」
「あ、わりぃ」
申し訳なさそうに手刀を切る大樹を、俺はキッと睨みつけた。
ていうか、手作り弁当のことまで知られてるのかよ……。
「学人、お前夏休みの予定は?」
「今のとこ特に予定は無いが」
「おいおいダメだろそれじゃあ! 八枝さん寂しがるぞ」
「だから! 声を! 落とせ!」
「すっ、すまん」
悪気の無いところが、大樹は尚更タチが悪い。
今度はわざとらしく声を潜め、俺にだけ聞こえるように耳打ちした。
「お前のお陰で夏休みの補習も回避出来たことだし、いつメンで海行かね?」
「海か……」
「言い出しっぺは彩音なんだけどな。八枝さんも誘って四人で、どうだ?」
海。
つまり、由奈の水着姿が見られる、ってことなんだろう。
幼馴染のそんな姿は、小学生の頃にプールの授業で見たスクール水着が最後だ。
あの頃と比べれば、色んな所が目立ったりしているわけで……。
「一応、由奈にも相談してみる」
俺の理性……もつのか?




