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草花図鑑と変化 下

 ホウソンおじいちゃんは私にとって、本当のおじいちゃんみたいな存在だ。私と兄さんを小さい頃から知っていて、立場が変わってもこうして形を変えて見守ってくれている。


 だからそんなおじいちゃんを思い切りマイルズが睨みつけているのも、そんな不機嫌そうな声を上げる理由も私にはてんで見当がつかなかった。


「な、なによ。変な言い方しないでちょうだい」


 戸惑いながらも言い返せば、はんと鼻で笑われる。久しぶりに目線があったアイスブルーの瞳は、やけにギラギラと熱を持っていた。


「変な言い方くらいしたくなるだろ。こんなところに引きこもり続けて、薬草が恋人な寂しいお姫様だとは思ってたが、まさかジジイがタイプなのか?」


「はぁ!?!?」


 いきなり話が飛躍しすぎじゃない!?


「ちょっと、妙なこと言わないでちょうだい!ホウソンおじいちゃんに失礼でしょ!!」


 そもそもおじいちゃんは死んだおばあちゃんに今でも一筋なんだから。マイルズが知っているわけがないとはいえ腹が立つ。


「大体私だって甘ったれた声なんて出してないわよ。失礼しちゃうわね」


「はっ、どうだかな。普段だったら──、……」


 言葉の途中で、マイルズがハッと何かに気づいたように目を見開いた。

 まるで、自分自身の口から出た言葉に驚いているかのように。


「…………なによ?」


 何事かとその様子を伺っていれば、みるみるうちにその顔は不機嫌に彩られていった。


 皮肉な物言いをしていたマイルズの言葉が突如止まる。何事かとその様子を伺っていれば、みるみるうちにその顔は不機嫌に彩られていった。


「…………何でもねぇよ。はぁ、興がそれた」


「はぁあ!?言うに事欠いてそれ!!?」


 私の怒声に何かを返すわけでもなく、フイとマイルズはその場を後にしてしまう。後に残ったのは私とホウソンと、行き場のない腹立たしさだけだ。


「〜〜〜〜っあのバカ!……ごめんねおじいちゃん、ちょっとマイルズとっ捕まえてお説教してこなきゃ。終わったらちゃんと謝罪に来させるから」


 私一人ならまだいいが、彼を巻き込むのは許されない。慌ててホウソンを見れば、あれだけ失礼なことを言われていたというのにいつもと同じ鷹揚な笑みを浮かべていた。


「ふぉふぉ、構わん構わん。あの青年も若いのぅ」


「……?」


 おじいちゃんがなぜこんなに上機嫌なのかもわからない。思わず首を傾げていれば、彼はそのまま手にしていた図鑑をこちらに差し出した。


「ワシのことは気にせんでええよ。荷物も全部降ろしたし勝手に帰るさ。それよりもセンシア、お前はこれを渡しておいで。……あの男に渡すために頼んだんじゃろ?」


 やっぱりおじいちゃんには見抜かれていたようだ。どことなく気恥ずかしさを覚えて、すぐに図鑑を手に取ることがためらわれる。


「まあ、そうだけど……あの調子じゃ受け取ってくれるかなんて分からないけどね」


 そもそも本人の希望を聞いたわけでもないのだ。余計なお世話だと言われてもおかしくない。ましてやあの不機嫌そうな反応を見てすぐに渡しに行こうとは中々思えなかった。


「なに、心配することはないさ。いってらっしゃい」


「う、うん」


 やけに自信満々なおじいちゃんに促されて、戸惑いながらも私は図鑑を受け取った。



 ***



 薬草園は広い。隠れられるような場所なんて山ほどあるし、マイルズがどこにいそうかなんて私には分からない。

 出来ることなんて足と土地勘を活かしてそれらしい場所を探し回るだけだ。


「もう、あいつってばどこに行ったのよ……」


 土仕事が本職だ。体力面は自信がある。

 だがどうしたって運動音痴なこの体は私の心のようにうまく動いてくれない。早く見つけなくちゃと言う思いばかりが積み上がってくる。


 そんな中、カツンと固いものがぶつかるような音が倉庫の裏側から聞こえてきた。

 もしかしたらマイルズの足音か何かかしら……。

 確かめるために建物の影へと近づいていき、裏手をのぞいた瞬間視界がぐるっと反転する。背中に硬い感触が伝わる。


「う、わっ!?」


「…………ったく。本当に不用心なお姫様だな。ノコノコこんな場所まで追いかけてくるなんざ、八つ当たりされても文句は言えねぇぞ?」


 気がつけば私の体は壁に押しつけられていた。痛みこそないけれど、顔の真横に置かれたマイルズの腕がその場から離れることを阻んでくる。


 マイルズの顔も厳しいけれど……その理由が私にはさっぱり理解できない。


「もう、何なのよ。さっきからあんたおかしいわよ!いえ、おかしいのは今にはじまったことじゃないけど!毒を飲んでからずっとそうじゃないの」


 胸元に抱えていた図鑑を思わず強く抱きしめれば、ますますマイルズの視線は鋭くなった。


「おかしい、ねぇ……誰のせいだと思ってんだ」

「はぁ!?私のせいだっていうの?」


 さすがにそれは言いがかりがすぎるだろう。私は彼を助けて看病した側だ。別にそれに感謝して跪いてほしいなんていわないけど、文句を言われる筋合いはない。


 アイスブルーの瞳は底冷えしているというのに、ギラギラと輝いていだ。そんなの矛盾だ。


「そりゃあそうだろ。……なぁ、」


 そう言ってマイルズは背をかがめる。先ほどまであった私と彼の距離は一気に近づいた。


「────あんた、あの夜のこと、本当に何も思ってねえのかよ」


 あの……夜?


「……、…………っ、…………!!!!」


 私の頬が一気に熱くなる。

 彼が何をさしているのか、理解してしまったからだ。


「っえ、あ、あれはただの医療行為よ!意識を失ってて、薬も一刻を争うなんてなったらああするしかないじゃないの!違う!?!?」


 私の必死な釈明をどう受け取ったのか、マイルズの顔が歪んだ笑みを浮かべる。


「……──はっ、やっぱりあんたにとっちゃその程度のもんだろうな。何せあんなジジイにも無防備に抱きつくような女だ。おおかた後生大事に抱え込んでいるそれで、あのジジイをたらし込んだのか? ジジイもジジイだ、歳甲斐もなく嬉しそうに抱きとめやがって……」


「〜〜〜〜っ!!」


 一度ならず二度までもおじいちゃんを侮辱するような物言いを看過はできなかった。

 それなりの力を込めて図鑑をマイルズの胸元に押しつければ「ぐっ、」とうめき声が聞こえてくる。


「失礼なこと言わないで!おじいちゃんにお礼を言ってたのも、子どもっぽい真似をしてたのも事実だけどねぇ、そもそもあんた用の本よ、これは!!」


「…………、…………え?」


 間の抜けた声が聞こえてきた気もするが、私の勢いがその程度で止まるはずもない。


「あんたいっつも仕事がない時どんな顔してるか分かってる?虚無よ虚無。これなら挿絵が多いから字が読めなくても分かりやすいし、ここで働くんだったら草花について知っておいて損はないでしょ?」


 はい、と差し出した植物図鑑は思ったよりもずっと素直に受け取られた。

 目を丸くしたままのマイルズの指先が、ぱらぱらとページをめくっていく。


「…………」


 ぱらぱら、ぱらぱら。


 一定の速度でめくられるページに反して、マイルズの顔は変わらない。アイスブルーの瞳だけが動いている。


 ──段々と、居たたまれなくなってきた。

 よく考えなくても暇な時に仕事関連の書籍を読んでね! なんて余計なお世話なんじゃない?

 もしかしたら字が読めないのを気にしてる可能性だってあるし、嗜好品なんていらないみたいなことずっと言ってたし……。


 段々と心臓が早鐘を打ってくる。もしかして私、ものすごい迷惑なことしてたんじゃないかしら。


「……あ、あの。気に入らないなら別に──」


 受け取らなくていいのよ。あんたが読まないなら私が読むだけだし。


 そう言いかけた口は本をバタン、と強めに閉じる音でかき消された。

 本と手のひらで隠された顔だが、その隙間から覗く耳が真っ赤に染まっている。


「…………はぁー……。クソ、本当あんたってやつは頭がどうかしてんじゃねえか」


 いつものような憎まれ口。だがその声は明らかに普段よりもずっと上擦っていて、熱を感じさせるものだった。


「は、……はぁ!?」


 文句を言えばいいのか、意図を尋ねればいいのかわからない。ただ私もこの空気の熱に困惑するしか出来なかった。

 図鑑を下ろしたマイルズの顔はのぞいていた耳からも予想できたくらいに赤くて、その顔に私の心臓も大きく跳ねる。


 何でそんな顔すんのよ。

 さっき売ってきたケンカはどういうつもりなの。

 そんな言葉を言うこともできなくて、相変わらず私の身体はレンガの壁と彼の腕に閉じ込められたままで──……。



「あーー、うぉっほん」


「「っっ!!?!?!?」」


 わざとらしい咳払いに私たちの体がそろって大きく跳ねた。先ほどまでが嘘のように、マイルズが弾かれるように私と距離を置く。


 でもそれを気にする余裕はなかった。

 私の目は倉庫裏を覗き込みながら咳払いをしている、ホウソンおじいちゃんに釘付けだったから。


「おおおおおおじいちゃん!!いえ違うの、これはね!?」


「ふぉっふぉっふぉ、別に言い訳する必要なぞありませんぞ。むしろワシこそ謝罪せねばな。大事な用を忘れていたとはいえ、うら若き男女の逢引を邪魔するなどと無粋な真似を……」


「逢引なんかじゃないって!!」


 必死に否定しても、おじいちゃんはどこ吹く風で笑っている。


「うう……もう!本当は帰るはずだったんでしょ!大事な用って一体何!?」


 思わず半泣きになって詰め寄れば、「そうじゃそうじゃ。また忘れるところじゃった」とお茶目な笑い声が聞こえてくる。


 けれどもそれからすぐに私の前に差し出されたのは、上質な厚手の紙で出来た封筒。

 艶のない黒地に輝く金で装飾がされた、ただでさえ厳めしい包みを封じているのは、魔力を帯びた真紅の蝋。


 刻まれている紋様は、この手紙が王家から届けられたことを示していた。


「サリヴァン=ハルモニア国王からのお達しじゃ。センシア姫様。来月の舞踏会、貴方にも参加していただきますぞ」

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