グゥープ・ウィズの秘め事 中
静かな薬草園の夜を崩壊させたのは轟く雷鳴と稲光だった。
「…………──っ!!!」
この地域に雷はほとんど落ちることがない。
だからこの薬草園で雷鳴が鳴り響く理由はただ一つだった。
寝巻きを着替える余裕もなく、申し訳程度に上着を羽織って私は駆け出す。雷が聞こえたのは昼間にも作業をしていた薬草園の北側だった。
たどり着いた時、薬草園の塀の付近はひどい有様だった。
壁の一部は焼けこげていて、薬草にこそ被害はないがそれ以外の雑草や道路は黒ずんで炭の塊になっている。
私は水で光を放つ洋燈草を入れたランタンを掲げて周囲を見た。雷が鳴ったということはつまり、この薬草園に入ろうとした侵入者がいるということだ。
この薬草園に咲いている花はどれも国の宝だ。だから兄さんは薬草園に護りの結界をかけていた。決して望まぬ第三者が入り込まぬように。決して国の宝を壊すものの悪意が侵入しないように。
程なくして、真っ黒になったかつて人だったものの遺体が転がっているのを見つける。でも私の目線はそれよりも先に、傍らにあるものへと引き寄せられた。
「ちょ……マイルズ!?!?」
なんと、彼がそこにいたのだ。幸い腕や足が焼けてはいないものの、雷の余波だろう。服はあちこちが焦げていて細かい傷が身体中についているのが見て取れた。
「ちょっとあんた、なんでこんな所にいるのよ!?」
「っ……く、それは……こっちの、セリフ、なんだがな……」
あわてて駆け寄って抱き起こしてみれば意識はあったようだ。苦悶の表情でこちらを見上げてくる。
「ちっ……運動音痴で世間知らずなお姫様とはいえ、こんな場所を見られたら言い逃れなんざできないってのに」
自嘲するように吐き捨てられる。
世間知らずなんて失礼ね。兄さんが即位する前は町で暮らしていたこともあるわよ。
そんな反論を口にする余裕はなく、私は焼けこげて誰かも分からない遺体と、抱き起こした男を交互に見る。
「……侵入の手引き?それとも脱走の?」
そう尋ねれば図星だったのだろう。一際鋭い舌打ちが返ってきた。
「脱走だよ。……っくそ!こんなお人よしの姫様なんざに気づかれる前に抜け出せると思ったのによ!」
「それはどうも残念だったわね」
この膝に乗せている頭、落としてやろうかしら。
「って、そんな馬鹿なこと言ってないでさっさと家に戻って手当するわよ。傷はそんなに深くなさそうだけど……」
「…………はは」
低い、どこか乾いた笑い声が聞こえてくる。マイルズの瞳はあのどこか遠くの、虚無を見つめているような目だった。
「無理だっての、もう」
「…………は?」
マイルズは酷く寂しげに笑うと、何かを諦めたように私の肩を押して距離を取らせようとする。理由を聞くよりも先にがり、と何か固いものを噛み締めた音が聞こえた。
膝の上の頭が一気に重みを増して、口の端から青紫の液体が垂れてくるのを見て瞬間的に頭が沸騰した。
その色と腐敗臭と甘酸っぱい香りが混ざり合った匂いを私は知っていた。
「────オロチナドキシン……!!」
オロチと呼ばれる異国の魔獣から取れる猛毒だ。
死ぬまでに時間がかかり苦痛も強いが、抗体として扱える毒があまりに少ないのと、何より遺体の魔力情報が読み取れなくなるほどに損壊することから刺客の自決用の毒として使われていることを私は知っていた。
自決しようとしているのだ、彼は。
おそらくここを出て兄を殺すか、秘密を守るために死ぬか。暗殺者の矜持としてその二択を迫られたのだろう。
……だがここは私の薬草園で、私はその管理者、薬草姫だ。
彼には彼の矜持があるように、私には私の矜持がある。
「死なせてたまるもんですか……!!!」
雷が落ちても雨が降らないのは不幸中の幸いだ。私よりも一回りは大きい男をなんとか持ち上げて、半ば引きずるようにして家へとつれていく。
寝台に引きずり上げた後は1秒でも早く薬草を持ってくるために、脇目も振らずに走り出した。途中目測を誤って木やら茂みにぶつかったがその程度は大した話じゃない。
エルダーポプラと白華雪、それからあと何種類かの薬草の材料をまとめて袋に摘んで入れた私は、東の園から北の園へと足を止めずに走る。
北の園は他の場所よりも気温が低く、場所によっては迂闊に入ると凍傷になってもおかしくない。
「あった…………!!」
上着一枚では抑えきれない寒さを耐えながら、私は目的のキノコに手を伸ばした。収穫を終えればこんな場所に長居をする必要はない。
今この瞬間だってマイルズの体には激痛が走り、魔力も体も溶けているのだ。一刻も早く戻らなくちゃ。
***
走った後にまた走る。
途中で三回は転けたけれど、薬草袋はなんとか潰さずに済んだから御の字としましょう。
泥だらけの姿で何とか家にたどり着いた時には、マイルズの意識は完全に落ちてしまったようで、真っ青になった唇からわずかに漏れる呼気だけが唯一彼の生存を示していた。
悠長にしている時間はない。
私は薬を作るための道具を用意する。ポーションを作るのに特殊なものは必要ない。料理と同じように適切な分量と手順で薬草を調合していくだけだ。
一方でただ一つ、扱いに気をつける必要があるものがある。
グゥープ・ウィズ。
このキノコは特殊な機能を持っており、他の薬草とかけ合わせた後一定時間のうちに服用させれば毒消し薬になる。
キノコの中の毒素が最初に触れた成分に近しいものだけを殺そうとするからだ。
一定時間を超えてしまえば、それよりも後に触れた成分を消そうとする──オロチナドキシンよりもはるかに効果の強い猛毒にだってなりうる。
だから調合の最後の最後に混ぜて、そのまますぐに飲ませなければならなかった。フラスコの中で薬草たちが溶けきった後、最後の最後にグゥープ・ウィズを入れる。水色だったポーションが一瞬だけ紫色に変化するのを確かめながらすぐそばに横たわっていたマイルズへと大きな声をかける。
「マイルズ!起きなさい、マイルズ!!」
「…………」
反応がない。このままうかうかしていれば、薬は毒へと転ずるだろう。今はしのごの言っている余裕なんてない。
勢いよくフラスコをあおり、中の薬を口に含む。
後で文句を言われようと知ったことか。青ざめた彼の頬に手を当て、指先で顎を押す。
冷え切った唇を押し開きながら、私の口から彼の口へと温かなポーションをゆっくりと送り込む。
息が詰まるような近さの中、意識のない彼の細い喉を、もう片方の手で優しく下へと撫でさすった。
──頼むから、 飲み込んで。
願いが通じたのか、彼の喉仏がコクン、と小さく動いて、薬が身体へと吸い込まれていく。
「……っ、」
それからどれほどの時間が経っただろうか。気がつくと窓から朝の光が差し込んでいた。
フラスコが空になるまでそうして毒消しのポーションを飲ませ終えれば、先ほどまで青ざめきっていた彼の頬に赤みがさしているのが分かった。
「……ふぅ、これで一安心ね」
とはいえ、これでおしまいお休みなさいとはいかない。昨日の後始末もあるし薬草たちの世話だってある。
マイルズはまだ起きる様子もないし、最低限のことはすませないと辛いのは後の私だ。
ふと、ベッドのシーツを握りしめている彼の大きな手が、ほんの少しだけ震えているのが見えた。毒の影響で悪夢でも見ているのだろうか。
「……バカね。私のベッドを泥だらけにしちゃって。この借りは後でしっかりかえしてもらうんだから」
徹夜の疲労で今にも倒れそうな身体に言い聞かせながら、私は泥と血の後始末をするために、部屋の扉を開けた。




