オデットヴァイオレットの証 中
激しい雨が容赦なく肌を叩く中、私はマイルズに背負われながら山道をかけていた。
ウルスタリアは薬草園から歩いて二時間ほどかかる場所にあるが、マイルズは私一人を背負いながらもものすごいスピードだ。これなら半分の時間で辿り着くだろう。
熱を奪う雨の中、マイルズの背中から伝わる体温から落ちないようにぎゅっと腕を回す。
──兄さんが護ってくれている薬草園から抜け出して、狙われている身でありながら自ら敵の元へ向かう。
これがどれほど愚かで危険な選択か、頭では痛いほどに分かっていた。
けれどももう、薬草園を燃やされ、母さんを殺された時のように何も出来ないままの自分ではいたくなかった。あの時とは違い私にだって出来ることがあると信じたかった。
(今度こそ助けたい……助けるのよ!)
一人では無理でもマイルズがいれば大丈夫だと信じたい。けれども熱が奪われていくこの雨の中では、どうしたって不安を晴らしきることは出来なかった。
『──例えばだ。もしお前が外にいた時、センシアの存在を知っていたらお前は必ず彼女を人質として利用しただろう。違うか?』
数週間前に兄が彼を問いただした時のやりとりが思い起こされる。あの時のマイルズは何も言わなかった。そんなことはないと、否定してくれなかった。
私を運んでくれている彼の背中はあたたかい。でもこの温もりを本当に信じていいのだろうか。
(……ううん。バカなことを考えてる暇はないわ。一緒に来てほしいって頼んだのは私でしょ)
目を瞑り自身に言い聞かせる。今はこの背中を信じるしかない。
拭いきれない恐怖と不安を飲み込みながら、私は彼の肩にぎゅっと顔を埋めた。
**
ルーン・スコープで見えた廃墟群が立ち並ぶ場所にまで差し掛かる。私はマイルズの背中越しにそのうちの一棟を指差した。
「あそこ……さっきおじいちゃんを見つけたのはあの建物よ!」
「了解した。姫さん、舌を噛まねえように気をつけな」
その言葉を言い終わるや否や、それまでも早かったマイルズの速度が一層増す。私は振り落とされないように必死に歯を食いしばるのでやっとだった。
滑り込んだ中には遠見で見た通り、ホウソンが意識を失って倒れている。マイルズの背中から飛び降りながら私は、持ってきていた薬草袋に手を突っ込んだ。
「おじいちゃん……!!」
「ッ、センシア、伏せろっ!!」
ガキンッ!と金属がぶつかり合う音がすぐ後ろで聞こえてきた。思わず視線を向ければ、刺客らしきローブの男が私に振り下ろした刃をマイルズがナイフで受け止めていた。
「チッ……、おいセンシア!ここは俺が食い止める!お前はじいさんの手当てに集中しろ!」
「う、うん……っ、」
マイルズの言う通り、私の今の役割はホウソンの治療だ。血を流して倒れる姿に息が止まりそうになるが、傷口を検分する。
──頭部も腹部もひどい出血だが、致命傷は免れている。今すぐ適切な手当てを施せば、絶対に持ち直す……!
だというのに震える手と体は私の思う通りに働かない。必要な薬草一つ取り出すのもやっとな手つきだった。鋭い刃の煌めきがこんなに恐ろしいものだと実感するのは久しぶりだった。あの刃は最も容易く私たちの命を奪えるのだ。
「貴様、マイルズだな……!?任務を失敗して生き延びた恥晒しが、何故おめおめとここにいて、しかも我らに敵対する!?」
刺客の鋭い声に私の肩は大きく跳ねた。嘘、マイルズの知り合い……?おかしい話じゃない。マイルズだって元は、兄さんを殺しにきた暗殺者の一人だったのだから。
「今ならまだその狼藉も不問にしてやろう。貴様が庇っているその女を捕まえろ!そうすればあの簒奪王を滅ぼす足がかりになる。我らの栄光も再び取り戻せるのだ!」
刺客の力は強いようで、マイルズが構えるナイフが段々と押し負けていく。あるいは、彼の心情が、葛藤が刃を鈍らせているのか。
──ううん。そんなことはない。
本当にそれで鈍るのなら彼がすることは簡単だ。刺客のいう通りナイフを収めて私を捕まえればいい。私のことをよく知っている彼ならその程度容易い話だろう。
それをしないのは、彼が私を守ろうとしてくれてるからだ。オデットヴァイオレットは猜疑を見抜く花。それをあそこまで美しく咲き誇らせた彼の誠実さを疑う必要が何処にあるのか。
「黙りなさい! マイルズは、あなたたちの思い通りになんてならないわ!」
私の叫びに彼らの動きが同時に止まる。
私はまっすぐマイルズを見つめ、祈るように言葉を紡いだ。
「──マイルズ。お願い、勝って」
「…………ハ」
口元だけで笑みを浮かべる彼を見て、私も改めておじいちゃんの傷へと向き直る。私は彼を信じると決めた。だから私も、今やるべきことをやらないと。
「ったく、こんな時も首輪の命令じゃなくてお願いとはな。姫様らしいよ。……とはいえ、センシアの珍しいわがままだ。応えなきゃ男が廃るってもんだな!」
激しい金属音の応酬が聞こえてくる。一歩間違えれば刃がこちらにいつ降りかかってもおかしくない状況だが、私の手はもう震えていなかった。
血止めと血液増加、苦痛の軽減。準備していた薬草たちから必要なものをすり潰しては掛け合わせ、傷口に塗りつけていく。最後に包帯を巻きつけてから、気付け代わりの実をホウソンの口へと押し込んだ。
ざく、ざくりと濡れた地面を踏み締める足音が聞こえてくる。
「おい、姫さん。……約束は果たしたぜ」
その言葉にゆっくり振り返れば、髪と服が乱れながらもなお不敵な笑みを浮かべているマイルズが立っていた。その表情を見てようやく、私の中につかえていた何かが溶け転がる。
「うん……。ありがとう、マイルズ」
じわり、と目元が熱くなったのを隠すように、私は目尻を抑えて笑った。




