繚乱の兆し 上
あれから二ヶ月。
マイルズは最後に宣言した通り、それまで拒絶していたのが嘘のように真面目にオデットヴァイオレットを育てていた。
私があげた植物図鑑をもとに、分からないことがあれば遠慮なく聞いて。甲斐甲斐しい姿はここに来たばかりの頃からは考えられない。
薬草の世話だけじゃない。
なぜが気に入ったのかさっぱり分からないけど、あれからマイルズはやけに私の世話を焼くのだ。重い荷物は指一本触れさせず、足元が危うい場所ではわざわざ手を差し伸べてエスコートして。毎晩食事の後にレスタ・ウールのオイルで私の髪を手入れしたうえでひどく丁寧な手つきで──拒絶する好きもないほど手早く編み上げ続けた。
(マイルズが何を考えてるか、さっぱりわからない)
最初に会った時から食えない男だったけれど、私はここにきてますます彼のことがわからなくなってしまった。彼だけではない。
奥の園でいつものように薬草たちの様子を見ていた時、飛び込んできた光景に私は思わず目を疑った。
「え、嘘…………!?」
そこには生き生きと生い茂るオデットヴァイオレットの姿があった。私が見た時のおよそ数倍の面積に繁殖して、膨らみはじめた蕾の数も普段の十倍は優に超えている。
──こんなにオデットヴァイオレットって成長するものなの?なんで……。
しゃがみ込んで見分するけれど似た見た目の別の花な訳がない。愛を養分に育つ花が、こんなに急に咲き誇るなんて。その意図を考えるよりも先に、私の心には不安にも似た戸惑いが差し込んでいた。
ざっと数えても蕾は七十を超えている。
本来なら五年はかかるであろう五十輪の花を咲かせると言う恩赦の条件が、このままでは一年も経たずに達成するかもしれない。
本当なら喜ぶべきことなのに。心臓が縮み上がるような錯覚を私は覚えていた。
「──姫さん」
「っ!」
いつの間に背後まで近付かれていたのだろう。振り向けばマイルズが私のすぐ後ろに立っていた。その驚きに体勢を崩しかけると、マイルズは当然のように私の肩を支える。肩を包み込めるほどの大きな手がいやに熱く感じた。
「おっと、驚かせちまったか」
「お、お、驚いてなんてないわ!いえ驚いたけど!マイルズ、あんたいつの間にこんなに花をたくさん咲かせたのよ!?」
動揺から支離滅裂な調子になるが、マイルズは気にしたこともなく肩をすくめる。
「図鑑の通りに肥料と水をやっただけだぜ。……でも確かにずいぶんと景気がいいよな」
大真面目に感心する様子は彼もなぜ花がこんなに咲き誇ってるのか分かっていないようだ。
「……何かこう、特別な魔法とか使ってないの?」
「お前の兄貴じゃあるまいし、魔法なんて使えるわけないだろ。しかしまあ、これなら例の条件もすぐに達成できそうだな」
その言葉と彼の笑みにちくりとまた心臓が傷んで、私は思わず自分の胸元を強く握りしめた。
憎悪で枯れる花でもあるオデットヴァイオレットが咲き誇るのは良いことなのに。私が彼に花を咲かさないかと提案したのに。
──どうして彼は、花を咲かせる気になったのだろう。
思わずその問いを口にしそうになった瞬間。
……ゴーン……ゴーン…………。
響き渡る鐘の音が私を正気へと引き戻した。
「っ、あ。まずい!」
「あん?どうしたんだよ急に。……っていうか、今日はホウソンの爺さんが来る日だったか?」
訝しむマイルズの顔を見て気がつく。そういえばバタバタして話し損ねてたっけ。
「ホウソンお爺ちゃんじゃないわ。サリヴァンよ。兄さんが薬草園の訪問に来たの」
「…………、…………はぁ!?」
***
「ああ、久しぶりだねセンシア!俺の愛しいイーリス。会えない間の時間はまるで一日が永遠のようで……」
「そういうのいいから、兄さん」
いつものように抱きついてくる兄を適当にいなしながら、この場にいるもう二人を私は横目で見る。
ギルバートはいつものように呆れ返った目で何も言わずに私たちを見守っていたし、マイルズは何か恐ろしいものを見たように口をあんぐりと開けていた。
「…………おい、何だこの頭のネジが飛んだ奴。これがあの簒奪王だってのか?」
「陛下をヤバい奴呼ばわりとはずいぶんな挨拶だな、毒蛇。……いや、確かに今の陛下がだいぶアレなのは否定しないが」
「何をいうんだ。こんな可愛い子を思いきり抱きしめたいと思うのは当然な感情だろう?」
何をいうのかこの兄は。
「それは……まあ分かるが」
「あんたはあんたで何言ってんのよマイルズ!」
予想だにしないところから来たカウンターに思わず声を荒げた。何でそこを同意するのよ!
「はぁ……ひとまず陛下、お離れください。センシア姫。いつものように一晩客室をお借りしますがよろしいですか?」
「ええ。掃除はすませてるから好きに使ってちょうだい」
その言葉にギルバートは恭しく礼をする。兄さんはその間も園の四方を眺めていた。魔法を使いこなせる彼はいつものように、この園に咲いている草花の状態を確かめているのだろう。
「うん、いつものように落ち着く香りだ。……それにしてもオデットヴァイオレットの香りが強いな。普段より多く咲きそうだったりするのかい?」
言葉につまる私をチラリと見て、マイルズが渋々口を開く。
「はぁ、まあ。……今は七十ほど蕾をつけていますが」
「へぇ。それはずいぶんと花付きがいいな!マイルズの恩赦も近いんじゃないか?」
兄さんの声に私の肩はぴくりと震えるが、それよりも過剰に反応したのがギルバートだ。
「は!?……陛下、それはどういうことですか?」
「ん?ほら、今やってる刑罰関連の法整備あるだろ。恩赦のところのテストケースにしようかと思って」
「聞いていませんが!?」
え、何。兄さんってばギルバートにその辺り伝えてなかったの?ギルバートは兄さんに食い下がりつつも私とマイルズの方に射殺すような目を向けてきた。……う、怖い。私が一歩後ずさるとマイルズがその視線から庇うように前に出る。
「ギルバート」
涼やかな声が辺りに響く。
サリヴァンの表情は先ほどまでの私を見る兄としての顔から、王としての顔に切り替わっていた。
「いずれにしても恩赦関係の基準を制定するにあたり、実例は必要だ。お前だってそれは理解しているだろう」
「……それは……」
「反論があるのなら王宮に戻った時に聞こう。……今はセンシアたちもいるんだから、仕事のことは忘れてゆっくり過ごそう。な?」
そういうとあっという間に、また気の良い兄さんの顔をしてウィンクしてみせる。ギルバートは唇をかみしめてから「……承知しました」と深々とお辞儀を兄へとして見せたのだった。




