レスタ・ウールの静夜 上
──結果をいうと、マイルズは全然喜んでくれなかった。部屋を訪ねた私を見ていつになく安心した顔をしていたと言うのにオデットヴァイオレットの条件を話したら急速に不機嫌になったのだ。
『──それがあんたの要望か?お姫様』
心底冷えた声は数刻前、舞踏会で令嬢たちにかけた声とは比べ物にならない。
それに頷いた私に、短く『そうか』とだけ言って彼はすぐに私を自室に行くように促した。そうして王宮での会話はそれで終わり、私たちはろくにそのことを話すこともできず、王宮に逆戻りしたわけだ。
それから何となくギクシャクしているというか……こう、なんか変なのだ。
「おいセンシア、この収穫したレスタ・ウールは全部出荷に回していいのか?」
「きゃっ!」
背後からいきなり声をかけられて一瞬重心が崩れかけるが、足がもつれるよりも先にマイルズが体を支えてくれる。彼の鼓動すら聞こえそうな距離に引き寄せられて一瞬心臓が大きく跳ねた。
「いきなり声かけないでよ!……ええと、レスタ・ウールは表面に傷が入ってるのだけ選り分けてもらっていい?日持ちがしないから届く前に傷んじゃう」
「ん。了解。選り分けたのは俺が好きに使っていいか?」
「ええ、もちろん。……それよりも、自分で立てるから、そろそろ離してちょうだい」
いくら私がドンくさくたって、何もせず立っている時にすっ転ぶことはないんだから。
「センシア姫の仰せとあらば」
なのにマイルズときたらやけに甘い声でそんなふざけたことを言ってくるんだから困ったものだ。
彼の指先がわざわざ私の髪をひとすくいしてから離れていくものだから、なおさらモヤモヤとした感情がたまる。なんでそんなことをしてくるのよ!
落ち着かない気持ちを少しでも晴らすべく、私は私でわざとらしく笑ってみせる。
「へぇ。私がいえば聞いてくれるの?じゃあこれから奥の園でユニコーンエルダーの収穫もするんだけど手伝ってくれない?」
そう言えばマイルズの顔が一瞬固まる。……それから嫌味なほどに綺麗なお辞儀をして、哀れな声をあげてきた。
「いやぁ、残念ながら俺は今お姫様からいただいたレスタ・ウールの選別という作業があるもので。心苦しいですがまたの機会に」
そういうや否やくるりと背中を向けて足早で離れていってしまった。
「……またの機会にって。そう言い続けて奥の園に行くのを断るの、何回目だと思ってるのよ」
舞踏会から一ヶ月。マイルズときたらずっとこんな感じなのだ。たしかに私は首輪で彼に奥の園に勝手に行くなと命令はした。だがあくまで私の許可がないときは、だ。
多分彼は奥の園に行った流れでオデットヴァイオレットの世話をさせられるのを危惧しているのだろう。
だが、それ以外の働きは前にも増して素晴らしいのだから困ったものだ。薬草の名前と種類も完璧だし、自分から率先して仕事を見つけてくれる。
「仕事をしたくないっていうならいっそ徹底してサボりなさいよね……!」
奥の園でユニコーンエルダーをの蕾を収穫しながらも愚痴が止まらない。いっそ仕事をサボるなら真面目に働けと首輪を発動したっていいのに、拒むのはこの奥の園に来ることだけなのだ。
摘み取り損ねてぽとりと落下したユニコーンエルダーが、白い花びらを散らす。
「…………迷惑だったのかしら」
たしかにマイルズには何も聞かないまま、恩赦の話を進めていた自覚はあった。兄さんに手紙を書く前に一言でも相談していれば、また違っていたかも知れない。
それでも私はマイルズに少しくらい、報われてほしかったのだ。彼がこんなにここで頑張ってくれているのだと、物を欲しがることも少ないマイルズに何かの形であげたかった。
深くため息をつきそうになるのを必死に飲み込む。ここには人の悲しみでしおれる薬草だってあるのだ。私がこうもぐるぐる塞ぎ込んでしまっていてはよろしくない。
「──なんとかマイルズと話をしなきゃ」
***
実をいえばだ。
決意さえすればそんな機会はいくらでも巡ってくる。
何せ舞踏会から戻って以降、奥の園に行く時以外はいつだって私のそばにいるものだから。
「よぉ、お姫様。これ、なんだか分かるかい?」
夕飯を終えた後、寝る前の休息の時間。出会ってすぐなら自室に戻っていた時間にもマイルズはリビングに残り、細工のこまかな透明の瓶をかざしてみせる。
中にはやや緑がかった蜂蜜色の液体で満たされていた。
「え、何よ急に……いえ、ちょっと待って」
その色合いには覚えがある。加えてマイルズが日中に収穫した実と、選り分けた物を使いたいという要望。
「もしかして、レスタ・ウールでオイルを作ったの?」
私の答えにマイルズが不敵に笑う。
「さすが薬草姫、ご明察だな。例の図鑑に載ってたから試しにペーストにして布で絞ってな」
「よくそんなこと道具もなしにできるわね……」
レスタ・ウールはたしかに油分が多いが、圧搾には結構な力が必要だから専用の道具を使って加工するものなのに。こんなところでも異性としての力差を実感する。
「やってみたら案外な。で、長持ちもしねえから何かに使おうと思ってんだよ」
「え、だったら料理の前に言ってちょうだいよ!」
多少の副作用があるが、油なので料理に使える。今日のお肉を焼く時にでも使えたのに。
「別に料理に使うとは言ってねぇだろ」
「え?じゃあなにに……」
言い終わる前に彼の指先が私の髪を一房すくいあげる。毛先に触覚なんてないはずなのに、一気に体温が上がった気がする。
「な、なによ。急に……!」
「……やっぱりな。昼間にも思ったけど、毛先が痛んでんぜ。まあ日がなずっと園芸仕事をしてりゃ当然だけどよ」
それはそうよ。だっていつもメイド達に手入れをしてもらっているような令嬢とは違うんだから。そう言い返したくてもマイルズの瞳は言葉とは裏腹に砂糖水みたいに甘く見えて、うまく言葉が出てこなくなる。
「そ、そ。それでわざ、わざ作ってくれたってわけ?感謝するわ!!!」
ごまかすように語気を強め、さあ渡してちょうだいと言わんばかりに手を差し出す。だが予想していた固い感触ではなく、彼が私の手を下から恭しく掬いあげた。
「ま、まま、マイルズ!?」
「いいからいいから。たまにはお姫様らしく座って構えてな」
軽口とは裏腹に、熱のこもった瞳と優しいが強引な手つきであっという間に座らされる。
私の背後に回ったマイルズの方からほんのりと温められたオイルの、甘く少し青い匂いが立ちのぼった。
髪に触れる彼の指先は驚くほど優しくて、なのに私を縛り付けるような、茨に巻き付かれている錯覚を覚える。
いつもなら「自分でできるわ」と言えるのに。
髪をすかれるたびに彼の指先の体温が、彼のアイスブルーの強い光が、じわじわと脳裏にまで染み込んでくるようで息が苦しい。
──やっぱり、変だ。
恩赦の話をしてからずっとそう。
マイルズは私の提案を身軽にかわしながらその実、私に牙を立て毒を流し込もうとしてるんじゃないか。そんな錯覚すら覚えてしまう。
この目と指先を向けられる度に心臓が変な音を立てて軋み、呼吸も熱もおぼつかない。どうしようもなく落ち着かなくなってしまう。
──でも、駄目。今日という今日こそは、ちゃんとマイルズの本音を聞かなくちゃ。
満ちたレスタ・ウールの香りと指先の熱に翻弄されるまいと、私は真っ赤になった手のひらをぎゅっと握りしめた。




