栄光とすみれの条件 下
「センシア、俺の可愛いペネラティアの実、元気そうで何よりだ。ああでも少し目尻が赤いね。泣くのをこらえでもしたのかい?たしかにお前は笑顔が似合うけれど時には──」
「そういうのいいから兄さん」
「全くです。陛下、はやく中へお入りください」
私だけでなくギルバートですら冷めた目だ。私をポーションの材料となる草花でたとえ、過剰に溺愛する兄の姿はそれほどまでにいつものことだった。
「ああそうだね。センシアをいつまでも立たせておけない。お入り。ギルバート、あとは任せていいか?」
「勿論です。陛下のご意向のままに」
私たち二人が室内に入り、深く一礼をしたギルバートが扉を閉めて立ち去るのを見てほっとする。
兄の私室は殺風景だ──王の私室として奪い取った時に調度品のほとんどを売り払ったという。だがその中で、私好みのティーカップと器に入った焼き菓子だけが部屋を彩っていた。
「ほら、座りなさい。お茶もいい塩梅だろう」
「うん、ありがとう。兄さん」
兄とこうして語らうのは半年ぶりだ。王宮か薬草園でしか会うことができないから、彼が多忙になるにつれて年々頻度が遠のいていた。
それでも二人に戻れば幼い頃の空気に戻るんだから不思議ね。
「薬草園はどうだ?今頃はニブクロカの花やトゥールが芽吹く頃かな」
「ええ。最近肌寒かったから心配だったけど、無事にトゥールの芽も出てきてくれたわ」
ハーブティーに顔を近づけると、爽やかで甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐる。
「それは良かった。俺も最近は忙しくてうちのアダマナスの様子もろくに見れてないからな。今日の舞踏会で蕾がいくつかほころんでくれればいいんだが」
その言葉に先ほどの光景が脳裏によぎる。マイルズとのダンスに裏庭へと二人で降りてきた時の庭。そして……。
「……っ、」
急に先ほどまで程よい温かさだったハーブティが冷たく感じる。もしかしたら心持ちで温度を変えるハバライゼの葉も混ざってたのかもしれない。
兄は私の機微を見逃さず、穏やかな視線を向ける。
「……センシア。マイルズはどうだい?いきなり送り届けたから驚かせてしまったかもしれないが、彼はお前の力になってくれているかな?」
息を吐く体が弛緩して、ようやく私は自分がいつの間にか緊張していたことに気がつく。
「え、ええ。たまにこっちをからかってくるもんだからケンカみたいになるけど、最近は力仕事以外も色々と助けてくれるし……うん、助かってるわ」
私の言葉に兄さんは「なら良かった」とうんうん頷いて微笑んだ。
「もしセンシアが本当はいじめられてて、無理やり恩赦の手紙を書かされたらどうしようかと思ってたから」
その言葉に心臓がどきりと跳ねる。図星だからではない。もしここで彼への愚痴を口にしていた場合の未来が浮かんでしまったからだ。
(……分かってる。兄さんは私を、最大限守ろうとしてくれているだけ)
そのための薬草園、そのための招待状、そのための首輪。
唾を飲み込んでから、乾いた唇を開く。
「そんなことないって。……もちろんマイルズがやろうとしたことは許されないし、今すぐ許してなんて言わないわ。でもたとえば働きに応じて少し形を軽くすることとかは出来ないのかしら」
無茶を言っている自覚はある。これでもし一言でも兄が「それでも彼は自分を殺そうとした」と口にすれば、私から言えることは何もなくなってしまう。
でも兄さんは眉ひとつあげることなく頷いた。
「そうだな。実際うちの国は法制も見直してる最中だからね。恩赦関係の流れを整備するにあたって模範例として扱うことは可能だろう。だが、それには彼の心根がしっかり変わったことを示す必要がある。それは分かるね」
「……ええ」
「だからそうだなぁ。暗殺という罪と未遂という事実を加味して考えるなら……」
どんな無茶を言われるだろうか。握り拳を作った私に告げられたのは思ってもみない言葉だった。
「オデットヴァイオレット。あの花を彼が五十輪咲かせること。それでどうだい?」
「…………え?」
オデットヴァイオレット。
それは薬草園の中でも特に秘された奥の園で育てられている薬草だ。紫色の花がつくには何よりも欠かせない条件がある。
それは他者への愛。
そういえば難題に聞こえるが、私のホウソンおじいちゃんや兄さんに向ける親愛だけでも毎年小ぶりに数輪咲くくらいのものだ。
「……思ったより簡単なのね」
もっと無理難題を言われるか、あるいは無理だと突っぱねられると思ってた。そんな本音を見透かしてか、兄はわざとらしく目を丸くする。
「おや、そうかい?でもあの花は現状年に十輪も咲けば上等だ。愛がなければ咲かず、猜疑で容易に枯れる花だからね。マイルズが他者を疑わずにいられるか、愛を持つことができるか。それを測るのにあの花はぴったりだろ?」
──確かに、そう言われたらそうかもしれない。
「そうね。事情は分かったわ。どれだけ早くても五年くらいはかかりそうだけど……」
「うん。もしもそれまでの間に『やっぱりやめた』と言うんだったら遠慮なく言いなさい」
まるで私がその五年間のうちに心変わりをすると言いたげな物言いだ。不満を示すように唇を尖らせてみせる。
「言わないわよ。兄さんこそ四十輪近くになったところで『やっぱギルバートに怒られたからなし』とか言わないでよね」
現状最もこの話に反対しそうな男の名前を出せば、兄さんは声をあげて笑った。
「ははは!あいつはそんなこと思ってても言わないよ」
「……まあそうね」
兄さんに言って聞くならとっくにマイルズとか死罪にされてておかしくないものね。
ようやく飲みやすい温度になったハーブティを飲み終えると、扉を叩く音が聞こえてきた。
「サリヴァン様、センシア様。お時間です」
「ええ、分かったわ」
私が立ち上がれば兄はあからさまに残念そうに眉を下げて笑う。
「センシア、俺の可愛いペネラティアの実。もうお別れなんて寂しいよ」
「別にこれがついの別れでもないんだからシャキッとしてよ、兄さん。……、いつものあれは、来れるの?」
毎年舞踏会が終わった三ヶ月後、兄が薬草園に訪問に来てそのまま泊まるのが通例だった。でもマイルズをこちらに寄越すくらいに仕事が忙しいんだから、もしかして今年は難しいだろうか……。
「もちろん!あれは俺の人生の癒しだからな。絶対時間を見つけてねじ込ませるさ!なぁ、ギルバート」
「無論です。サリヴァン様の憩いのひと時とあらば私も全霊でサポートさせていただきます」
二人の言葉に私の頬も緩む。なんだかんだあの園に兄さんが来てくれるのは私も嬉しいもの。
「よかった……。じゃあ、その時までにお土産用の果実のジャム瓶、用意しておくわね」
「ああ。楽しみにしているよ。マイルズにもよろしく伝えておいてくれ」
その言葉に頷いた。戻ったら恩赦の話、ちゃんと伝えておかなきゃ!




